第3話

 

「ふふ、おもしろかったね!」

「続きはまた明日ね。じゃあ寝る支度しましょ」

「はーい!」


 絵本の読み聞かせが終わると、ミライくんはすぐにすやすやと眠ってしまった。


 チップくんとナッちゃんは相変わらず元気にはしゃぎながら、それぞれのベッドへ移動する。

 お風呂から上がってきたモモちゃんは、1階からぼくらを見上げてニコッと笑った。


 モモちゃん、ナッちゃん、ミライくんのベッドは2階、トーマスくん、チップくんのベッドは3階にある。

 それぞれ間隔を空けて、同じ向きに設置されている。


「マサシ兄ちゃん、こっちー!」

「いま行くね」


 チップくんに呼ばれ、ぼくははしごを上って3階へ移動した。

 長男のトーマスくんはベッドに寝転んで、小説のような本を読んでいる。


「ちょっと狭くなるけど、ベッド入りなよ。ふかふかであったかいよ」

「ありがとう。お邪魔するね……。ほんとだ、ふかふかだ」


 ぼくはチップくんのベッドに入れてもらい、体を横にする。布団の中に入ると一瞬無重力になったような感覚になり、すぐにでも夢の世界へと行ってしまいそうだ。

 2階から、おかあさんの歌う優しげな子守唄が聴こえてくる。


「つきが みている もりのなか♪よいこは おやすみ いいゆめを♪……」


 子守唄をぼーっと聴きながらうとうとしていると、チップくんがぼくの肩をとんとんと叩いた。


「ねえマサシ兄ちゃん、寝ちゃダメだよ。もっとお話聞かせてよ」

「はは、そうだね。何から話そうかな……」

「えっとね、マサシ兄ちゃんは、どこに住んでるんだっけ?」

「えー、その……。普通に、人間が住む街に住んでるよ」


 ……うーん、何て答えればいいんだろう。

 悩むぼくに構わず、チップくんは続ける。


「どうやってここに来たか、覚えてないんだよね? マサシ兄ちゃんのおうち、ここから近いのかなあ。近いといいのにね」

「うーん、そうだね……。ちゃんと帰れたらいいんだけど……」


 家に帰るには、まず絵本の世界から抜け出さなくちゃいけない。一体、どうすればいいのだろう。今のところ、手がかりは全く無い。

 でも……今は、そのことは忘れよう。悩みごとは何もかも忘れて、絵本の世界——ねずみさんたちの世界を、存分に楽しむんだ。


「マサシ兄ちゃんのおうち、また遊びに行っていい?」

「あはは、いいよ。……今日遊んだお友達は、みんなこのへんに住んでるの?」

「うん! 近くの小川を下ったとこや、野原の周りにみんな住んでるんだ」

「そうなんだ。今日遊んだあの【ヒミツキチ】は、みんなの遊び場なんだね」

「そうだよ! ヒミツキチの他にも、小川、林の中……、遊ぶとこはいーっぱいあるんだ!」

「楽しそうだね。ぼくももっとチップくんたちと一緒に遊びたいな」

「もちろんだよ。いっぱい遊ぼ!」


 太陽の下、涼しい風。青い空、流れる雲——少年時代の思い出が脳裏に浮かび上がってくる。いつの間にか、自然の中で遊ぶ機会が少なくなっちゃったなあ。


 ぼくは今21歳。

 夕方までは大学の講義、夜からはライブハウスでのバイト。大学が休みの日もだいたいバイト。

 夜11時に帰宅してシャワーを浴びてからが、自由時間。そのまま夜中の2時や3時まで、ダラダラとお酒を飲み、お菓子をつまみながら、スマホでSNSを見つつゲームをする。だからろくに睡眠もとらないまま朝7時半に起き、体はバキバキのまま大学へ行き、疲れが溜まったままバイトへGo……、毎日そんな生活だ。

 子供の頃の純粋な心を、元気いっぱいの体を、いつのまにか失ってしまっていた。


 だけど今日、自然の中で元気に走り回る自分をまた取り戻すことができたんだ。

 “ヒミツキチ”に誘ってくれた、チップくんのおかげだ。

 風を切って走る、あの感じ。陽射しを受けて汗ばむ、あの感じ。子供たちと一緒に何もかも忘れてはしゃぐ、あの感じ。


「チップ、早く寝なきゃ……。いつもはもう寝てる時間だよ」


 隣のベッドにいたトーマスくんはそう言って読んでいた本を閉じ、眠たげな目をこする。


「そうだね。じゃあマサシ兄ちゃん、明日話の続き聞かせてね」

「わかった。……じゃあ寝よっか、チップくん」


 窓から上弦の月の光が優しく射し込み、ぼくらを照らしている。こんなに早い時間に眠るのも、いつぶりだろうか。

 今日1日を思い返しながら天井をボーッと眺めていると、ねずみのおばあさんがはしごを上ってきたことに気が付く。

 おばあさんは目を細めながら、ぼくに話しかけてきた。


「マサシくん、賢そうなニンゲンのお兄ちゃんね。私にも明日またお話聞かせとくれ。……私の名前、覚えてくれたかね?」

「はい、よろしくお願いします。サンディおばあちゃん、ですよね」

「おお、その通り。さすがだねえ。ふふふ、チップたちに素敵なお友達ができて良かったよ。さあ、今日はゆっくりおやすみ。いつものこもりうた歌ってあげるわ」


 おばあさんはぼくらの布団をそっとかけなおした後、明日着る服をきれいに畳んでくれた。


「さあ、明日もいっぱい遊ぶぞー! ……あっ、その前にマサシ兄ちゃんのおうち、さがすんだったね」

「あはは、じゃあその前にちょっとだけ一緒に遊ぼっか。じゃあおやすみ、チップくん」

「おやすみなさい、マサシ兄ちゃん!」

「はい、みんないい子でおやすみ。……つきが みている もりのなか♪よいこは おやすみ いいゆめを♪……」


 おばあさんのこもりうたを聴いて、みんな眠りにつく。


 だけどこのまま眠ると、目が覚めた時には、元の世界へと戻されているかもしれない——。


 ふと、嫌な予感が脳裏をよぎった。

 せっかく心も体も癒されたというのに、またあの忌々しい現実に苦しめられるのだろうか。

 このねずみたちの世界は、束の間の夢に過ぎないのかもしれない——。

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