第4話
大きなコナラの木の家に、たどり着いた。
チップくんは、玄関の扉をトントンとノックする。
「おかあさーん、たぁだいまー!」
「ふふ、おかえりなさい」
声が聞こえると共に、玄関の扉が開く。
中からはほんのり、シチューのような匂い。
迎えに出てきたのは、桜色のエプロンの似合う、優しそうなねずみのおかあさんだ。
「……ん? どうしたの? マサシ兄ちゃん。早く入りなよ」
チップくんが呼びかけるが、ぼくはジッとねずみたちの家を眺めていた。
確か、玄関の真上に小さな窓があって、真反対には裏口があって——記憶の中に埋もれた、ねずみくんの絵本に描かれていたねずみたちの家を思い起こす。
やっぱり——目の前にあるチップくんたちの家は、絵本に描かれていたそれと、全く同じものだ。
「……やっぱり……そうだ。間違いない……」
「んん? 何の話?」
「あ、何でもない。ごめんごめん……」
やはりぼくは、本当に絵本の世界に来てしまったようだ——。
「あらあら。チップの新しいお友達?」
ねずみのおかあさんがぼくに目を向けてから、チップくんに尋ねる。
「うん! マサシ兄ちゃんっていうんだ! さっき一緒に遊んでたの」
「まあ、はじめまして、マサシくん。うちの子たちと遊んでくれて、ありがとうね。よかったら、うちでゆっくりしてってね。お茶出すわ」
ねずみのおかあさんはぼくに目を合わせ、花のように優しく微笑んだ。
「さあ、あがってあがって! たっくさんお話ししよー!」
「うん! お邪魔しまーす」
♢
ぼくは、1階の広間へと案内された。
広間の真ん中にある長方形のテーブル。そのそばにある木製の長椅子に、腰を下ろす。
木と土の匂いが、ほんのりとぼくを包んだ。
家の中を見渡していると、ねずみのおかあさんがお茶を持ってきてくれた。
「はい、どうぞ。ゆっくりしてね。私は母の【マリナ】といいます。よろしくね」
「ありがとうございます、マリナさん。ぼくはマサシといいます、よろしくお願いします」
言ってお茶を一口飲む。体の中がぽかぽかと温まる。
今のぼくは、自然と笑うことが出来ていた。
この世界に来る前、頭の中にいっぱいだった不安や悩みは、今はもう綺麗に消し飛んでしまっている。
お茶を飲み終わる頃、チップくんがバタバタと足音を立てながら駆け寄ってきた。
「さあ、家の中、案内するよ。ついてきて」
「うん!」
チップくんに案内され、コナラの木をくり抜いて作られた家の中を見て回った。
1階には居間や台所、大人たちの部屋があり、ねずみ1匹分が通れる大きさの木の扉で仕切られている。
広間は3階まで吹き抜けになっていて、見上げると2階、3階のフロアが見える。
2階、3階は居間の面積の半分ほどの、木の枝を敷き詰められた床になっていた。それぞれ木のはしごで繋がっている。
木のはしごを上って2階に行くと、子供たちのベッドが3つ、そしておもちゃ箱とクローゼット。
さらに3階に上ると、また子供たちのベッドが2つ。壁には子供たちが描いた絵が貼られていた。
「チップくんたちの家族は何人……いや、何匹なの?」
「9匹だよ。おじいちゃんがいて、おばあちゃんがいて、【トム兄ちゃん】、モモ姉ちゃん、僕、ナッちゃん、そして末っ子の【ミライ】」
「わあ、大家族なんだね。チップくんは、きょうだいの3番目なんだ?」
「うん! そうだよ!」
後で、1匹ずつみんなに挨拶することにしよう。
ひと通り家の中を見て回った後は、再び1階の居間へ。テーブルの側にある長椅子に、もう一度腰を落ち着ける。
数分後、玄関の扉が開く音がした。
「ただいま」
「ただいまーっ!」
玄関の扉から入って来たのは、3匹のねずみだった。
ぼくと同じくらいの背丈の、大人のねずみが2匹。
そしてチップくんより少し背が高い、ねずみの子供が1匹。
「あっ! おとうさんとおじいちゃんに、トム兄ちゃんが帰ってきた!」
チップくんは嬉しそうに、玄関の方へ駆けて行く。
「やあ、お客さんかい?」
ぼくを見て問いかけたのは、土にまみれた紺色の長袖の服に、ダボダボのこれまた土まみれの白いズボンを着ている、大人の男性のねずみ。農作業でもしていたのだろうか。
ぼくは立ち上がって一礼し、自己紹介をした。
「マサシといいます。お邪魔してます、よろしくお願いします」
ねずみの男性も、笑みを浮かべながら挨拶し、自己紹介を始めた。
「やあ、はじめまして。僕はこの一家の
ねずみのおとうさんからの、唐突な夕食の誘い。
ぼくは戸惑った。
この世界のねずみさんたちは、予想外にフレンドリーだ。
「え……? いいんですか?」
「もちろんさ! じゃあ着替えて手を洗って、早速支度しよう」
おとうさんは子供のようにスキップしながら、別室に行ってしまった。
チップくんは、大はしゃぎだ。
「やったー! 今日はね、きのこのシチューだよ! あ、紹介するね。こっちはお兄ちゃんの【トーマス】だよ。しっかり者だけど食いしん坊なんだ」
土の付いた白いTシャツに青色の短パン姿のトーマスくんが、照れながら軽くお礼をする。
おとうさんのお手伝いをしていたのだろう。
「どうもはじめまして。長男のトーマスって言います。気軽に【トム】って呼んでね」
「うん、よろしくね。ぼくはマサシって言います」
もう1人いた大人のねずみは、抹茶色のセーターに、丸眼鏡がお似合いの、ねずみのおじいさんだ。
温かな微笑みを浮かべ、挨拶してくれた。
「初めまして、マサシくん。わしは【ダン】と申しますじゃ。どうぞよろしくね」
「はい、よろしくお願いします!」
♢
広間のテーブルでお茶を飲みながら、チップくんとおじいさんと話していると、また玄関の扉が開いた。
今度は、ぼくより少し背の低い大人のねずみ1匹と、背の小さい1匹の子ねずみの姿。
扉越しに見える空は、オレンジ色に染まっていた。
「ただいま……あら?」
大人のねずみは、ぼくを見るなり首を傾げる。頭巾をかぶり、おじいさんと同じく丸眼鏡をかけている。声の質から察するに、女性だろうか。
隣にいるねずみの子は、チップくんの半分ほどの背丈だ。こっちを見ながらきょとんとした顔をしている。
例によって、チップくんが紹介する。
「あっ、お帰り。紹介するね。おばあちゃんと、弟の【ミライ】だよ」
丸眼鏡と和服姿が似合うねずみのおばあさんは、微笑みを湛えながらぼくの方へ歩み寄った。
「あらあら、はじめまして。チップの新しいお友達かい? よろしく。あたしの名は、【サンディ】だよ。ほら、ミライも、挨拶しましょ?」
「んっ、と、ぼくミライだよ」
黄色のサスペンダーにオレンジ色のズボンがお似合いの、ちびっ子ねずみの男の子ミライくん。
にんまり笑って、ぼくを見上げた。
「どうもはじめまして。マサシです。よろしくね」
「はい、よろしくねぇ」
「んっと、よろしくー!」
ねずみたちと話をすることにも、慣れてきた。
チップくんの家族は、みんな話しやすくフレンドリーだ。言葉を交わしているだけで、心が綿毛のように軽くなる。
「これで、家族みんな紹介したよね!」
「素敵な、9匹家族だね」
幼い頃に読んでもらった、表紙に1匹のねずみの子供の絵が描かれている、あの絵本——。
朝ごはん作り、芋掘り、お月見、海水浴、雪遊び、遠足……。少しずつ、思い出してきた。
自然の中で力を合わせながら、一生懸命生活する9匹のねずみの家族——今目の前にいるねずみの家族の姿が、確かに描かれていた。
その絵本の中に、ぼくは今いるのだ。
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ここまで読んでいただきありがとうございます。
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