第2話

 

「うーん……」


 瞼の裏が眩しい。

 太陽の光を、じかに受けているかのような感じだ。

 鼻をくすぐる、草の匂い。

 明らかに、自分の部屋じゃない。


 ぼくは目を開けた。


 広がっていたのは、見たこともない景色。

 透き通るようにどこまでも青く澄んだ空の下に、緑一面の草原がただただ広がるばかり。

 一体どこなんだろう、ここは。

 ぼくは原っぱのど真ん中で、大の字になって寝転がっていたようだ。部屋着のままで。


「え、ええー……?」


 思わず声が出る。

 一体、何が起きたんだ。何でこんな所にいるんだ。


 歌うような小鳥のさえずりが聞こえる。かすかなそよ風が、心地いい涼しさを感じさせる。

 人の気配は、全く無い。


 ふと、大きな違和感に気が付いた。

 それは、周りの草木のサイズがばかにでっかいということだ。

 自分の背丈よりもはるかに大きなパンジーの花が、微笑むように見下ろしている。


 何なんだ……? 一体ぼくに、何が起こったというんだ……? 

 訳がわからなくなって、ぼくはただ、ぼーっと景色を眺めていた。


 その時——。


「ねえねえ、なにしてるの?」


 誰かの声。

 思わず振り向く。


「え……? わっ……!」


  そこにいたのは何と——1匹のねずみ。

 だけどその姿は、小学校5年生くらいの背丈で、人間と同じような服を着た、元気そうな男の子。

 水色のしま模様の半袖Tシャツと紺色の半ズボンを着こなし、群青色のキャップをかぶっている。


「ん? どうしたの? 顔になんかついてる?」


 ねずみの男の子は、不思議そうに首をかしげる。


「え……いやあの、えっとこれはどういう……?」


 言葉が出てこない。頭が追いつかない。

 そんなぼくに構わずねずみの男の子は、笑顔を見せながら言う。


「ねえねえ、僕らのヒミツキチにおいでよ。一緒にあそぼ!」

「え、えー!?」


  何が何だかわからないままだったが、ぼくはとりあえず、ねずみの子供について行くことにした。


 ♢


 草が生い茂る、森の小道に入った。

 ふわり、とキンモクセイの匂いがぼくを包む。季節は、秋真っ盛りのようだ。

 周りを見てみると、やっぱり草木や石ころが、とてつもなく大きくなっている。ぼくの背丈よりもずっと高いリンドウの花が、風に揺れる。


 もしかすると。

 周りの物が大きくなったんじゃなく、ぼく自身が、ねずみ並に小さくなってしまったんじゃないだろうか——。

 いや、きっとそうだ。


「今日からお友達ね! 僕、【チップ】っていうんだ。よろしくね」

「あ……ああ、よろしく……」

「わあーい!」


  元気な子ねずみのチップくん。ほんと、無邪気な子だなあ。ぼくはこれから一体どこへ、連れてかれるんだろう……。

 なでるようなそよ風に吹かれながら、森の小道を2人で——いや、1匹と1人とで駆け抜ける。


 森を抜けると、小高い丘の開けた場所に出た。緑一面の絨毯のような草原が、よく見える。


「着いたよ!」


 子ねずみチップくんに案内された場所は、苔むした巨大な岩の壁に空いた、洞穴ほらあなの入り口だった。

 ぼくの背丈でもすっぽり入れるほどの大きな洞穴だ。中から、子供のはしゃぎ声が聞こえてくる。


 チップくんは洞穴の中に向かって、誰かを呼びかける。


「ナッちゃーん! 新しいおともだちだよー!」


 すると洞穴の中から、チップくんと同じようなねずみの子供の影が見えてきた。


「チップ兄ちゃん、おともだちってあれー?」

 

 駆け寄ってきたのは、ねずみの女の子。

 チップくんより一回り小さく、オレンジ色のスカートを着て桃色のリボンをつけた、可愛らしい姿だ。

 ぼくを指さすねずみの女の子に、チップくんが答える。


「そうだよ! さっき、そこの野原で会ったんだー!」


 ぼくはポカンと口を開けてしまった。

 ここは、しゃべるねずみたちの世界……? 


「お兄ちゃん、紹介するね。妹の【ナナ】だよ」

「ナナだよー! よろしくね!」


 戸惑うぼくの事など気にせず、ナナちゃんはぼくに挨拶をしてニコッと笑う。

 ぼくはしどろもどろになって返事をした。


「うん、ナナちゃん……? よろしく、ね……?」


 ふと、ある感覚に気付く。

 それはまるで子供の頃の——嫌なことを忘れて無邪気にはしゃいでいた、あの感覚——。


「ナッちゃんって呼んであげるといいよ。そうだ、お兄ちゃんはなんて名前なの?」


 懐かしさと温かさの混ざったような、ウキウキする感覚。

 自然と、口が動いていた。


「えっと、“マサシ”だよ。呼びやすいように、呼んでね」

「マサシくん! 覚えたよ。よろしくね! さあ、ここがぼくらの【ヒミツキチ】だよ! マサシ兄ちゃん、行こ!」

「え、ちょっと……」

「わーい! おいでおいで! みんなであそぼ!」

「あそぼー! こっちだよー!」


 チップくんとナッちゃんに案内され、ぼくはウキウキしながら、洞穴の中へ足を踏み入れた。


 ひんやりとした空気。土の匂いが、心地よく鼻をつく。

 下り坂を少し進むと、入り口の穴近くよりも数倍広い空間になっている。水が滴る天井からは、細い光が所々射し込んでいる。

 さらに奥へと進むと、子供たちのはしゃぐ声が近づく。


「おーいみんなー、新しいお友達だよー!」

「え、お友達ー?」


 見るとそこには、ねずみの子供たちが10匹。追いかけっこをして遊んでいたようだ。

 子供たちは足を止め、ぼくを見つめ始めた。ぼくは思わず身構える。

 気持ちを落ち着けてから自己紹介しようと思ったが、先にチップくんがぼくを紹介した。


「マサシくんっていうんだ! みんな、仲良くしようね!」


 するとねずみの子供たちは、嬉しそうにぼくの元へ駆け寄ってくる。


「マサシくん! 一緒に、鬼ごっこしようよ!」

「わーい! 仲良くしてね。よろしくね!」


 無邪気なねずみの子供たちに囲まれたぼくは、少しほっぺたが緩んだ。

 よし……。ぼくも今は全てを忘れて、子供の心に戻って、思いっきり鬼ごっこを楽しんでみよう——。


「……うん! マサシです。みんなよろしくね!」


 ♢


 さあ、今からねずみの子供たちと一緒に、鬼ごっこだ。

 みんなでじゃんけんをして、鬼を決める。


「じゃんけん、ぽん!」

「わーい、マサシくん、鬼ね!」


 ぼくはじゃんけんに負けて、鬼になってしまった。

 ねずみの子供たちは一目散に、洞穴の奥へと逃げて行く。はしゃぎ声が響き渡る。

 ぼくは、逃げていくねずみの子供たちを追いかけた。だけど最近は思い切り走ったりすることなんてなかったので、今ひとつ身体が言うことを聞かない。


「キャー!」

「わーい! 逃げろー! 隠れろー!」


 逃げ回るねずみの子供たちを、ぼくは夢中で追いかけた。

 そう——この感覚なんだよ。大人になって忘れていた、体の内側からエネルギーが溢れるような感覚。だんだんと、身体が軽くなる。

 ずっとずっと求めてた、子供の頃のようなウキウキワクワクした気持ち。


 ぼくは嫌なことを忘れ、時間を忘れ、夢中になって遊んだ。

 澄んだ空気の中、土まみれになりながら、ねずみの子供たちの“ヒミツキチ”の中で、ひたすらに駆け回った。

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