【完結】優しい異世界に行った話〜ねずみたちとの、まったりスローライフ〜
戸田 猫丸
第1章〜ねずみの男の子との出会い〜
第1話
「ただいまー……。はぁ……」
2006年7月29日、午後11時——。
ライブハウスでのアルバイトを終え、家に着いた。思わず溜め息をついてしまう。
ぼくの名前は、【マサシ】。
大学4年生だ。
幼い時から音楽が大好きで、暇があれば気に入った曲をひたすらに聴き、ギターを引っ張り出してきてはオリジナルの曲を作ってる。
将来は、音楽を仕事に出来たらいいなぁー、なんて、漠然と思っている。
だけど今の時期は、卒論の作成に就職活動の日々。バイトもほぼ毎日あり、とにかく多忙だ。音楽ができるのは、やるべき事が終わってからのちょっとした時間だけ。
それに加え最近のぼくは、ツイてないというか、やることなすこと全てが裏目に出てばっかりで、ストレスが溜まっていた。
大学は、春季の試験で3科目も不合格となり、卒業までの単位が足りておらず、留年寸前。
就活は、とりあえず安定してそうな企業への就職を決めてから音楽も続けるつもりだったが、今のところ全て一次試験で落とされている。
同い年の人たちは、次々と内定を決めているのに……。
そして最近チャレンジした作曲コンテストは、自信を持って応募したんだけど、まさかの予選落ち。
「出来ない奴は努力が足りない」
「他の人よりも勝っていなきゃいけない」
子供の頃に親や先生——周りの大人たちから、言われ続けてきた言葉。
失敗して落ち込むたびに繰り返し言われ続けたことで、ぼくの心に厄介な価値観がこびりついてしまった。
自己否定、努力の強要、競争は善、などなど……。
努力不足な自分、他人に負けている自分——。
そんなダメダメな自分がほとほとイヤになり、ぼくは半ば自暴自棄になってしまっていた。
♢
「マサシ、今回頑張ってたのに惜しかったよね……」
「惜しくなんかないさ。ダメなのは分かってた。どうせ僕なんか……、何をやったってダメな奴なんだから」
「ちょっと、そんな言い方ないんじゃない?」
「うるさいな。ぼくのことに構うな!」
慰めなんて、いらない。
どうせ、ぼくなんて。人から、社会から、世界から、必要とされてなんかないんだ。
そんなふうに腐り切ったぼくを見て、彼女の【メイ】は、とうとう愛想を尽かす。
後日、はっきりと別れを告げられてしまった。
「……じゃあね。もう連絡もしなくていいから」
「ちょっと待ってよ。ひどい言い方したのは謝るから、考え直してよ」
「ごめんね。そういうことじゃないの。マサシは最近あまりに何ていうか、ネガティブすぎて、一緒にいたら私まで辛いの……。やっぱりもう終わりにしたい。今までありがとう」
「待ってよ、一方的すぎるよ!」
♢
失いたくないものまで失ってしまい、ますますヤケクソになってしまう。
誰に対しても、わざと辛く当たるようになった。そのため、今まで仲が良かった人も次々と離れていってしまった。
自らの手でグチャグチャに踏み潰してしまった現実。
悔やんでももう手遅れだ。
どうしたらいいかわからないまま、毎日はただただ過ぎ去って行く。
もはや、生きている意味が分からない。だけど、死ぬのは嫌だ。自分で自分の命を絶つことだけは、絶対にやりたくなかった。
じゃあ、どうすればいいのだろう。
一体どうすれば、苦しまずに、辛い思いをせずに、毎日を生きていくことができるのだろうか。
優しい人ばかりが住んでいる国は、どこかにないかなあ……。
毎日のんびり、何の心配もなく、自由気ままに暮らせる——そんな国は、ないかなあ。
もしあれば、永久にそこで暮らしたい。
もう、何もしたくない。誰にも会いたくない。
この面白くもない世界から、逃げたい。やだ、やだ、やだ。
シャワー浴びて、寝るか……。
ぼくはささっとぬるいシャワーを浴び、部屋着に着替えて自室に戻ると、ベッドに倒れ込んだ。
視線の先には、絵本が並ぶ本棚がある。
「……ん?」
目に入った一冊の絵本。表紙に、1匹のねずみの子供の絵が描かれている。
ぼくが3歳ぐらいの時に、親によく読んでもらった絵本だ。表紙に描かれた青いキャップの似合うねずみの男の子が、澄み切った空のように無邪気な笑顔で、ぼくの方を見ているような気がした。
絵本かあ……、懐かしいな。
これでも読めば、現実逃避できたりするかな……?
それは、小さな小さなねずみの家族が、自然いっぱいの森の中で生活する様子が描かれた絵本だ。
幼い時、ページの中に隠れている虫や草花、木の実を、隅々まで一生懸命に探した記憶がある。
青い空の下、無邪気に走り回るねずみの子供たち。ぼくにもそんな子供時代があった。
でも、嫌なことなど忘れ、夢中で友達と追いかけっこをしたあの日々は、もう二度とは戻っては来ない。
今は、ドロドロの人間関係と、やらなければいけない物事との狭間で、息を詰まらせながら毎日を何とか過ごしていくだけ。それが精一杯だ。
今夜も、蒸せ返るような熱帯夜。
早く夢の世界へと逃げたい。
目が覚めていると、頭の中でグルグルグルグル、否定的な考えが渦巻きぼくを苦しめる。
子供時代は、多少嫌なことがあったとしても、何かに夢中になればすぐに忘れることができた。
そんなふうに無邪気にはしゃぎ回っていた子供時代に、戻りたい。目の前に立ち塞がる嫌な現実から、逃げてしまいたい。
「ねえ、少しの間でいいから、苦しいことを忘れさせて」
絵本の表紙に描かれたねずみの子供に向けて、思わずそうつぶやいてしまった。
それでも、相変わらず蒸し蒸しした空気にどんよりした心——現実の全ては、変わらない。
……やっぱり、無理だよね。
明日も、ただただ陰鬱な1日が待っているのだろう。
ぼくは、溶けるように眠りについた。
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