【完結】優しい異世界に行った話〜ねずみたちとの、まったりスローライフ〜

戸田 猫丸

第1章〜ねずみの男の子との出会い〜

第1話

 

「ただいまー……。はぁ……」


 7月29日、午後11時——。

 ライブハウスでのバイトを終え、家に着いた。思わず溜息をついてしまう。


 ぼくの名前は、【マサシ】。

 音楽が好きな大学3年生だ。

 今の時期は、卒論作成に就職活動の日々。バイトもほぼ毎日あり、とにかく多忙だ。

 それに加え最近のぼくは、ツイてないというか、やることなすこと全てが裏目に出てばっかり。


 単位は足りずに、留年寸前。

 就活は、同い年の人たちが次々と内定を決める中、ぼくはまだ何も進展は無し。

 最近チャレンジした作曲コンテストは、自信を持って応募したんだけど、まさかの予選落ち。


「出来ない奴は努力が足りない」

「他の人よりも勝っていなきゃいけない」


 子供の頃に親や先生——周りの大人たちから、言われ続けてきた言葉。

 失敗して落ち込むたびに繰り返し言われ続けたことで、ぼくの心に厄介な価値観がこびりついてしまった。

 自己否定、努力の強要、競争は善、などなど……。


 努力不足な自分、他人に負けている自分——。

 そんなダメダメな自分がほとほとイヤになり、ぼくは半ば自暴自棄になってしまっていた。


 ♢


「マサシ、今回頑張ってたのに惜しかったよね……」

「惜しくなんかないさ。ダメなのは分かってた。どうせ僕なんか……、何をやったってダメな奴なんだから」

「ちょっと、そんな言い方ないんじゃない?」

「うるさいな。ぼくのことに構うな!」


 慰めなんて、いらない。

 どうせ、ぼくなんて。人から、社会から、世界から、必要とされてなんかないんだ。

 

 そんなふうに腐り切ったぼくを見て、彼女の【メイ】は、とうとう愛想を尽かす。

 後日、はっきりと別れを告げられてしまった。


「……じゃあね。もう連絡もしなくていいから」

「ちょっと待ってよ。ひどい言い方したのは謝るから、考え直してよ」

「ごめんね。そういうことじゃないの。マサシは最近あまりに何ていうか、ネガティブすぎて、一緒にいたら私まで辛いの……。やっぱりもう終わりにしたい。今までありがとう」

「待ってよ、一方的すぎるよ!」


 ♢


 失いたくないものまで失ってしまい、ますますヤケクソになってしまう。

 誰に対しても、わざと辛く当たるようになった。そのため、今まで仲が良かった人も次々と離れていってしまった。


 自らの手でグチャグチャに踏み潰してしまった現実。

 悔やんでももう手遅れだ。

 どうしたらいいかわからないまま、毎日はただただ過ぎ去って行く。


 もはや、生きている意味が分からない。だけど、死ぬのは嫌だ。自分で自分の命を絶つことだけは、絶対にやりたくなかった。

 じゃあ、どうすればいいのだろう。

 一体どうすれば、苦しまずに、辛い思いをせずに、毎日を生きていくことができるのだろうか。


 優しい人ばかりが住んでいる国は、どこかにないかなあ……。

 毎日のんびり、何の心配もなく、自由気ままに暮らせる——そんな国は、ないかなあ。

 もしあれば、永久にそこで暮らしたい。

 もう、何もしたくない。誰にも会いたくない。

 この面白くもない世界から、逃げたい。やだ、やだ、やだ。


 シャワー浴びて、寝るか……。


 ぼくはささっとぬるいシャワーを浴び、部屋着に着替えて自室に戻ると、ベッドに倒れ込んだ。

 視線の先には、絵本が並ぶ本棚がある。


「……ん?」


 目に入った一冊の絵本。表紙に、1匹のねずみの子供の絵が描かれている。


 ぼくが3歳ぐらいの時に、親によく読んでもらった絵本だ。表紙に描かれた青いキャップの似合うねずみの男の子が、澄み切った空のように無邪気な笑顔で、ぼくの方を見ているような気がした。


 絵本かあ……、懐かしいな。

 これでも読めば、現実逃避できたりするかな……?


 それは、小さな小さなねずみの家族が、自然いっぱいの森の中で生活する様子が描かれた絵本だ。

 幼い時、ページの中に隠れている虫や草花、木の実を、隅々まで一生懸命に探した記憶がある。


 青い空の下、無邪気に走り回るねずみの子供たち。ぼくにもそんな子供時代があった。

 でも、嫌なことなど忘れ、夢中で友達と追いかけっこをしたあの日々は、もう二度とは戻っては来ない。

 今は、ドロドロの人間関係と、やらなければいけない物事との狭間で、息を詰まらせながら毎日を何とか過ごしていくだけ。それが精一杯だ。


 今夜も、蒸せ返るような熱帯夜。

 早く夢の世界へと逃げたい。

 目が覚めていると、頭の中でグルグルグルグル、否定的な考えが渦巻きぼくを苦しめる。

 子供時代は、多少嫌なことがあったとしても、何かに夢中になればすぐに忘れることができた。

 そんなふうに無邪気にはしゃぎ回っていた子供時代に、戻りたい。目の前に立ち塞がる嫌な現実から、逃げてしまいたい。


「ねえ、少しの間でいいから、苦しいことを忘れさせて」


 絵本の表紙に描かれたねずみの子供に向けて、思わずそうつぶやいてしまった。


 それでも、相変わらず蒸し蒸しした空気にどんよりした心——現実の全ては、変わらない。


 ……やっぱり、無理だよね。


 明日も、ただただ陰鬱な1日が待っているのだろう。


 ぼくは、溶けるように眠りについた。

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