悪役なんて嫌なので、大好きな家庭教師の恋を応援しようと思います。
刻露清秀
悪役なんて嫌なので、大好きな家庭教師の恋を応援しようと思います。
私は今世では公爵家の長女として生まれましたから、何不自由なく暮らすことができました。転生してしばらくは前世に残してきた家族や友達のことを思うと胸が痛みましたが、赤ん坊として暮らすうちにその思いも薄れました。
自分でいうのもなんですが、今世の私は美少女でございます。緩くカールした柔らかい金髪に、吸い込まれそうな青い瞳、薔薇色の頬、長い睫毛。転生して数年のうちは、我ながら惚れ惚れするわ、と鏡を見つめていることもありました。まあ、この姿になってもう十一年経ちますので、いい加減慣れましたが。
そんな私には好きな人がいます。そのお方は家庭教師として、公爵家にやってきました。その美しさ、物腰の気高さにたちまちのうちに魅入られて、私は恋に落ちたのです。
前世と合わせても初めての恋でした。
その人のちょっと猫っ毛の茶色の髪、優しさをたたえた緑の垂れ目、少し嗄れた低い声。全てが好ましくて、愛おしくて。見ているだけで胸がいっぱいになるのです。一目見るだけで、物陰から声を聞くだけで、何日も幸せな気持ちになりました。
見た目のことばかりではありません。その人は家庭教師としても優秀で、小さな子どもの意見でも尊重し、物腰は穏やかで、とびきり聡明な方でした。私でなくても、好きになるのは当たり前のことでしょう。あの人を嫌いになれる人なんているのかしら。
一つ不満を言うならば、あの人は最後まで私の恋心に気がつかなかったことでしょう。
ですがそれも仕方ないことかもしれません。あの人が家庭教師としてやってきた時、私は七歳、あの人は十九歳でした。一度それとなく口にしたことがございます。
「先生は随分と女の人に好意を寄せられているようだわ。私はお邪魔かしら」
あの人はまず口を半開きにして、それから腹を抱えて笑いました。
「貴女は随分とませてらっしゃるようだ。邪魔になどなるはずありませんよ」
転生者なのだから中身は十七歳です。いっそそう言ってやっても良かったのですが、この世界で前世の記憶があるなんて言えば、頭のおかしな人として扱われます。私はあの人にとって優秀な生徒でありたかった。
今思えば最初から不毛な恋だったのかもしれません。あの人が私のような(中身はどうにせよ)小さな子どもを、恋愛対象にしていないことは、最初からわかっていました。けれど私は、私が優秀な生徒でいつづければあるいは、と期待を持っていたのです。
それほど不利な戦いではないと思っていました。年齢はともかく私は美しく、家柄も良く、持参金だってたっぷり用意できます。お父さまもお母さまも私を溺愛しています。欲しいものはなんでも手に入りました。家には部屋が百以上あり、馬場もあれば大きな温室もあります。あの人は我が家の温室を散歩するのが好きでした。私が
「温室にバラを見にいきませんこと?」
と誘うと、嬉しそうに、でも表面上は仕方がなさそうに
「そうしましょう」
とため息を吐きます。私とあの人は、とっても仲良しでした。
二人でバラ園を歩いていると、まるで恋人同士のようで、夢でも見ているようでした。いいえ。夢でもああも美しくはないでしょう。あの人が私に対して好意を持っていたのは明らかです。私は聞き分けがよく、優秀で、ウマの合う生徒でした。あの人の好意はけして、私の求めていた意味での好意ではありませんでしたが。
ひとまずの目標、仲の良い生徒になることは達成いたしました。私は浮かれていたのです。あの人が私に微笑むたびに、話しかけてくれるたびに、天国にでもいるようだった。
私は前世の両親も、友達も、お父さまもお母さまも愛していますが、それでもなお孤独でした。私が我儘なのでしょう。けれど転生者であるということは、秘密を抱えて生きるということです。本当のことは誰にも喋れません。そんな私の孤独を埋めるべく、あの人が遣わされたように思えてなりませんでした。転生をお世話してくれる神さまがいるとしたら、私に随分多くのものを下さったものです。
そんな私の初恋は昨年の冬、私の十歳の誕生日にあっさり破れました。
きっかけは些細なことでした。あの人は私の誕生日パーティーに出席し、たいそうお酒を飲まされ、酔っ払って客間に忘れ物をしたのです。あの人が大切にしている懐中時計でした。私は慌てて玄関まで追いかけました。そこである人と我が家のメイドが話しているところを見たのです。
何か特別なことを話していたわけではありません。けれど女の勘が働きました。二人の間には甘い空気が漂っていたのです。
翌日、あの人を問い詰めると、例のメイドに恋をしていることを白状いたしました。あの人の片想いだそうです。そんなはずはありません。メイドもあの人のことが好きなはずです。そう言うとあの人は困ったように言いました。
「貴女はどうしてそんなに僕の恋路を気にするんだい?」
随分と残酷な質問です。私はあの人に恋をしているのですから。私はこう答えました。
「貴方の恋を応援したいからよ」
両思いの二人を引き裂く悪役なんて御免です。私はあくまで優秀で仲良しの生徒として、あの人の記憶に残りたかった。
私の応援の甲斐あり、二人はそれからほどなくして恋仲になり、ついに先日、結婚することになりました。お父さまの計らいで、あの人は王子の教育係に任命され、この公爵家を去りました。私の十一歳の誕生日を最後に。
「貴女のことを忘れないよ。本当にありがとう」
あの人は私の大好きな声でそう言って、私の大好きな顔で微笑んで、私以外の女の人と、私の前から去りました。
こちらこそありがとう。私の初恋の人。貴方との思い出を、忘れることはないでしょう。
私は貴方に恋ができて幸せでしたね。貴方のその鈍感さも、秘密を抱える私には救いでした。私は貴方に恋をしていたけれど、本気で貴方の恋を応援していたんですよ?貴方には幸せになって欲しいから。
でもね、やっぱり切ないです。夜には涙が溢れることもあります。今の私はまだ十一歳だから、このくらいは許されるでしょう。
夜になっても泣かなくなったら、お手紙を出してもいいですか?また我が家のバラを見に来てください。その頃には私、貴方が思わず見惚れるような貴婦人に成長してみせるから!
悪役なんて嫌なので、大好きな家庭教師の恋を応援しようと思います。 刻露清秀 @kokuro-seisyu
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