6.新たな人生(1)誘拐計画
杏子は子どもたちの騒ぐ声で目を覚ました。隣室から賑やかな笑い声やはしゃぐ声が聞こえてくる。
「うるさいなあ」
杏子は隣室に聞こえるように大きな声を出した。その声もかき消されてしまう。
「何なのよ」
自室を出て隣の弟の部屋を除くと、開けっぱなしのドア越しに子どもの姿と見知らぬ男性の姿が見えた。杏子は気付かれないようにそっと階段を下りる。
「ねえ、真の部屋にいるのは誰?」
「お隣の智和君と聡美ちゃんの子どもたちよ」
「何で真の部屋にいるのよ」
「智和君がお姉さんの子どもたちを連れて遊びに来たのよ。真とは約束をしていたみたいよ」
「真と智和君ってまだ仲良かったのね」
「今日、バイトは?」
「今日はお休み。うるさくて寝ていられないわよ」
捨て台詞を吐いて、冷蔵庫から缶ビールを持ち出し杏子は自室へと戻った。相変わらず賑やかな声は聞こえてくる。子どもの声がこんなにも耳障りだったとは、自分の器がどんどん小さくなっていることに少しだけ恐怖を覚えるのだった。その日は一日中、家族とも顔を合わせずふて寝をして過ごした。
翌日、喫茶店の休憩中に杏子はずっとスマホを見ていた。
「眉間に皺を寄せて何見ているのよ」
早紀にいつものように指摘されても無視をしていた。
「本当にどうしたの?何かあった?」
早紀を一瞥しただけですぐに視線はスマホに戻した。
「どれどれ?何?インスタグラム?誰の?超セレブって感じだね」
「うるさいな。隣の娘の。シンガポールのマリーナベイサンズのプールだって。子どもたちと戯れている」
「どうしてそういうのを見るかな。見なければ不快な思いはしないのに」
「昨日、この子たちがうちに遊びに来ていたのよ」
「仲良かったの?」
「私じゃなくて弟たちが仲良くてね」
「それで気になって見てみたら、ムカついてしまったってわけね」
「ムカついてなんて・・・いるね。どうして私は外国にも行けないのよ。実家からも出られずこんなところで働いて・・・もう嫌になっちゃう」
「こんなところで悪かったわね」
「ごめん。そんな意味じゃあないのよ。ただ、仕事だって・・・」
「仕事が充実したら良いわけ?」
「そうね、そうでもないかな。やっぱりお金かな」
「お金ね。お金があっても幸せとは限らないよ。この間、例の会長さんが娘さんを連れて来ていたのだけれど、色々と事情がありそうだし。その娘さんって本が好きで結構地味だったわよ」
「お金に苦労していない人の事情なんて・・・」
「確かにね。私さ、趣味で最近占いに嵌っているのよ。それでその彼女から名前と生年月日を聞いて占ってみたのね。そうしたら、お金には困らない星の下にいたわよ」
「そうでしょうね。私も占ってよ」
「じゃあ、このノートに名前と生年月日を書いてください」
出されたノートには『吉村愛莉』という名前と生年月日が書かれていた。
「ねえ、これが会長さんの娘?」
「そうよ」
杏子は何故だかしっかり記憶に留めていた。
「杏子はねえ、あら、ちょっと苦労をする星の下にいるわね。でもね、頑張れば良いことがあるって出ているわね」
「何それ、占わなくたって自分でもそれくらいわかるわよ」
「頑張ればっていうのがみそよ。わかる?」
「もういいよ。仕事に戻ります」
何をどう頑張ればいいのかわからない杏子にとって、早紀の忠告は腹立たしいだけだった。
家に帰ると最近めっきり明るくなった真がリビングでスマホを見ていた。後ろから覗くと女性二人と真の三人で撮った写真だった。
「誰それ?」
「えっ、ああ、同僚の彩夏さんと吉村愛莉さん」
「何?ちょっと、二人とも同僚なの?」
杏子は真に詰め寄っていた。
「違う、吉村愛莉さんは図書館の常連さん」
「だから、吉村愛莉さんって何歳?」
杏子の剣幕に圧倒されるばかりの真はしぶしぶ吉村愛莉の生年月日を口にした。普通ならどうして生年月日を知っているのかを問い詰めるところなのだが、杏子にとってはそれどころではなかった。
「何でお嬢様が図書館なんかに・・・そう言えば、本が好きって言っていたから・・・」
独り言をつぶやきながら、杏子は頭を働かせていた。真はお嬢様という言葉に首を傾げるも深い意味は考えなかった。
「どうして仲良くなったのよ」
「どうしてって、彩夏さんが最初仲良くなって、俺も誘われて、それで・・・」
「連絡先とか知っているの?家とかは?」
「LINEは交換したけれど、家とかまでは・・・」
「そう・・・」
杏子は一旦自室にこもった。弟の真が吉村愛莉を知っていた。ということは、吉村愛莉を呼び出すことができる。そうなると、虎之助からお金を・・・。
「吉村愛莉を誘拐したら・・・」
杏子は閃いた誘拐という文字を頭から消し去ることはできなくなっていた。
「真に協力してもらって・・・そうだ、真には誘拐の話はしないで呼び出してもらって・・・呼び出す場所は・・・」
不思議なくらいに頭が働くのだった。早紀に話をしたら、馬鹿にされ呆れられるのはわかりきっている。誰にも誘拐の話をせずに上手くことを運ぶにはどうしたらいいのか、更に計画を練っていく。杏子の心拍数は動きを止めたように静かだった。
「急いではいけない、じっくり計画を練って絶対に成功させなければならない、そうしないと、もう私には後はない」
囁くように自分に言い聞かせていた。杏子の目はランランと輝き、身体の細胞の全てが目覚めたことを意識していたのであった。
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