5. もう一人の私(2)父の告白

 愛莉は父に誘われて、父が最近通い出したという喫茶店に入った。喫茶店のマスターとその家族たちに歓迎され、愛莉はそのアットホームな雰囲気がすぐに気に入った。

「素敵なお店ですね」

「お嬢様に喜んでいただけて、光栄です」

 マスターの大袈裟な言い方にも悪い気はしなかった。

「今日は杏子ちゃんお休みなのかい?」

「はい」

「杏子ちゃんってどなた?」

「ここの店員さんで私の初恋の人にとても良く似た子なのだよ」

「あら、お父様の初恋の人に似ている方がいらっしゃるのね。お会いしたかったわ」

「いなくて良かった」

 小さな声でマスターの娘が言ったのだが、愛莉たちには聞こえなかった。愛莉と虎之助はカウンターから離れた窓際の席に落ち着いた。

「愛莉のお祖母ちゃんにそっくりでな」

「お祖母ちゃん?」

「ああ、愛莉のお母さんのすみれは私とその初恋の人との子なのだよ」

「えっ?・・・」

「今まで黙っていてすまなかった。すみれは父親の名を明かさないままだった。それで私は愛莉の父親として生きることを決めたのだ。いつかは真実を話さないといけないとはわかっていたのだが、なかなか言い出せなかった」

「お父様・・・頭を上げてください。これからはお祖父様と呼ばないといけないのかしら?」

「そうだな。今まで通りがいいかな」

「だったら、そうします」

 愛莉は笑顔で言った。父からの告白を聞かされても動揺していない自分自身にむしろ驚いていた。

「愛莉のお祖母さんと出会ったのは学生の頃で、結婚を意識して付き合いだしたのは仕事を始めたばかりの時だった。私は仕事中心の生活をしていて彼女のことを二の次にしていた。しかも事業を広げることに夢中になっていて、今では法に触れるような悪質な事にも手を出していてね。それを理由に彼女は私の前から去っていったのだ。彼女の実家は大きな旅館をしていて、そこの一人娘だったから後継ぎとして決まっていたということもあって、私は彼女が私の前から去っても、あの時は何とも思わないような人間だったのだよ」

 しばらくは沈黙が続いていた。愛莉はカフェラテを一口飲んだ。虎之助は水を口にした。

「すみれは愛莉がお腹の中にいるとわかり、私を頼って訪ねてきた。旅館は潰れ、母親は亡くなり、誰も頼れる人がいなくなったと言って」

「本当にお父様の子だったの?お母様は」

「ああ、それは間違いない。親子鑑定をしているから」

「あら、それは・・・」

「親子鑑定はすみれが望んだことだったのだ。私を頼るうえで筋を通したいと言ってね」

「・・・」

「愛莉の父親のことはすみれ自身もわからないのだと思うよ」

「えっ?」

「あの子は一時期、身体を売っていたそうだから」

「そんな・・・」

「それくらい金に困っていたのだろう。私がもっと早くに助けてあげられていたら・・・悔やんでも悔やみきれない。だけれどね、だからこそ、愛莉の命を一番に考えて私のところに来たのだよ」

「はい」

 心のざわめきが徐々に愛莉を苦しめた。だが、一番辛かったのは母なのだと言い聞かせてもいた。

「びっくりしただろう。本当に申し訳なかった」

「いいえ、お父様が謝ることではないですから。ちょっとびっくりしただけですわ。何だか腑に落ちることも多くて、むしろスッキリしました」

 それは愛莉の本心だった。

「愛莉のお母さんは本当に心のキレイな人だった。純粋過ぎたとも言えるかな。私なんて人に刺されてもおかしくはないことばかりをしてきて、心も荒んでいたから、すみれと愛莉との時間は本当にかけがえのないものだった。今でも愛莉との時間は私には欠かせない」

 愛莉は最高の笑顔で父に答えた。


 父からの告白の後、愛莉は本屋にも行かずしばらくの間、寝室に籠っていた。

「愛莉さん、お食事ができましたよ」

 百合に声をかけられ食堂に行くと、今日は公子も来ていた。

「愛莉様の好きなキッシュを作りましたよ」

「あら、公子さんの手作りキッシュが食べられるなんて・・・」

「良かった。笑顔が出ましたね。そう思って今日は母に来てもらったのです」

「ごめんなさい。百合さんにも公子さんにも心配をかけてしまって・・・」

「食べてみてください。他にも愛莉様の好物ばかりを作ってみましたから」

「本当ね。ありがとうございます。そうだわ。お二人も一緒に食べて行ってくださらないかしら」

「そうおっしゃると思いました。一緒に食べましょうか」

「わあい、愛莉さんと食事をご一緒したいってずっと思っていました」

「百合、あまりはしゃがないの」

 公子と百合の親子のやり取りを見ているだけでも、元気が出てくる愛莉だった。

「私の話を聞いてくださいますか?」

「勿論ですよ。秘密は守りますし」

「百合、当たり前のことを言わないの」

 公子に咎められ、百合は舌を出した。

「百合さん、ありがとう。話しやすくなったわ。実はね・・・」

 愛莉は父からの告白を二人に話した。公子は冷静さを失わなかったが、百合は涙ぐんでいた。

「公子さんはそのことをご存じだったのですか?」

「いいえ、ハッキリとお聞きしたことはありませんでした。ただ・・・」

「ただ何?ママ」

「今のお話を聞いてもそれほど驚きませんでした。詮索したことはないから何とも言えませんが、私が母親でもそうしていたかもしれないって思ったものだから」

「母は幸せだったのでしょうか。父が私の本当の父親であったのなら、幸せだったのかもしれませんが・・・」

「前の家政婦さんからお聞きしたことがあります。お母様はお父様の愛情を受けてとても幸せそうだったと」

「私もそう思うの。でも、本当に幸せだったのか、幸せを演じていたのかわからなくて・・・」

 少しだけ沈黙が広がった。

「好きな人の子ども・・・あっ、ごめんなさい。余計な話でした」

 百合は自分で言って後悔していた。

「いいのよ。そうね。そんな話をしたものね。そうなの、私って何なのかしらって・・・」

「確かに、好きな人との子どもなら、という話もあるかもしれませんが、私なんてその時は好きな人だったけれど、後から嫌な部分を見てしまって、何でこんな人の子を育てないといけないのかって、何度後悔したことか・・・」

「あら、そうなの。私たちを産んで後悔しているのね」

「続きを聞いて。でもね、女は子をお腹に宿し産んでしまうと、誰が父親かなんて関係なくなりますからね。愛しい我が子を守るためにどうすればいいのか、そればかりを考えるだけです。そしてそれが幸せだと感じるのですよ」

 愛莉はまだ心が全て晴れたわけではなかったが、公子と百合と話ができたことで今までと同じ日常を取り戻しつつあるのだった。

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