4.真の初恋(1)家族とは

 谷川真は五年前から図書館で働いている。国立大学を出て大手保険会社に就職をしたのだが四年で辞めていた。辞める前の一年間は傷病手当金を受給しているような状態だった。医者からうつ病と診断をされ休職していた。会社に復帰する道もあったのだが、同じ職場に戻っても、また、うつ病になることが分かりきっていたので、真は思い切って退職を選んだ。そして今の職場に辿り着き、非正規雇用ながら自分らしく働けている今の職場に満足をしていた。

「何だか彩夏さん楽しそうですね」

 真は同僚の彩夏を羨ましそうに見た。

「そうですか?わかった。愛莉ちゃんと仲良くしているから、焼きもちをやいているのね」

「そんなことはないですよ」

「またまた、知っていますよ。真さんが愛莉ちゃんのことを好きなこと」

「何を言っているのですか。彼女はまだ二十一歳ですよ。三十四のおじさんなんて相手にしないことはわかっていますから」

「十三歳の年の差か・・・彼女はしっかりしているし、真さんは童顔だから、結構お似合いだと思うのだけれどな」

「そうですか」

 真はまんざらでもなさそうな顔をしていた。

「おい、真、久しぶり」

 突然声をかけられて、真は驚いた。

「ああ、悟志か、びっくりさせるなよ。何だよ、こんな時間に今日は休みか?」

 中学の同級生だった悟志が子どもを連れて図書館に来ていたところだった。

「うちの奴が妊娠中でさ、そろそろ生まれるんだよ。今病院に連れて行ったところなのだけれど、まだ数日はかかるようで俺も育児休暇取って上の子の世話をしているって訳」

「そうか、イクメンか」

「まあ、その言葉は女性陣から非難されるけれどな」

「大きくなったな。生まれたばかりの頃にあったきりかな」

 真は悟志の息子を見た。

「宏太、挨拶は?」

「宏太です」

「こんにちは。何歳になった?」

「六歳」

 真は図書館で働くようになってから、苦手だった子どもの扱いにも少しずつだかが慣れてきていた。

「こっちに絵本が沢山あるから、おいで」

 宏太を絵本のあるコーナーに連れて行った。しばらくすると悟志の携帯電話が鳴り、悟志は真に康太を預けて外に出ていった。戻ってきた悟志の顔は真っ青だった。

「どうした?」

「ちょっと、いいか」

 悟志は真をベランダに連れ出した。

「何も聞かないで宏太をしばらく預かってくれないか?」

「しばらくって?」

「夜までかかるかもしれない」

「何があった?聞かないことには預かれないよ」

「実は・・・付き合っている人がいて・・・」

「はっ?浮気しているのか?」

「もう別れようと言っているのだけれど、納得してくれなくて。今、電話で『死にたい』って言っていて・・・」

 悟志は慌てて図書館から出て行ってしまった。残された宏太は父親のことより絵本に夢中になっていた。


 真は宏太を連れて家に帰った。母親には悟志の妻の具合が悪いことにして、宏太を預かったと言った。母親は宏太を歓迎してくれて、一緒に餃子づくりをしたり、トランプで遊ばせたりと、甲斐甲斐しく世話を焼いてくれた。

 宏太が寝てしばらくしてから悟志が宏太を迎えにやって来た。

「まあ、上がれよ」

 真は宏太をリビングに招き入れた。父も母も二階の寝室で寝ているはずだ。姉の杏子は友だちの家に泊まりに行っていた。宏太はリビングの隣の和室で眠っている。

「本当に助かったよ。ありがとう」

 悟志は疲れ切った顔をしていた。

「いいよ。良い子にしていたよ。それより、どうだったの?」

「うん・・・。何とか・・・」

「納得してくれたのか?」

「ああ」

「どうして浮気なんてしたの?」

「うん・・・」

「今日は泊っていけよ。腹は減っている?」

「ああ、でも・・・」

「残り物しかないけれど、ちょっと待っていて」

 真は夕飯の残りの餃子を焼いて、冷凍枝豆を電子レンジで温め、スナック菓子やナッツをテーブルの上に並べた。缶ビールを悟志に渡す。

「ありがとう」

 悟志の振り絞るような声は痛々しかった。

「つい魔が差したというか、飲み会で知り合って仲良くなってしまって・・・」

「奥さんと上手くいっていない訳ではないのだろう?」

「ああ、まあ、家族になってしまったというか、恋愛感情はもうないから・・・」

「家族と恋愛か、やっぱり違うものだろうしな。独身で彼女もいたことが無い俺には、理解不能だけれど」

「お前は昔からそういう奴だからな。ある意味羨ましいよ」

 自虐的な真の話に悟志にもやっと笑顔が出てきた。

「羨ましいか?」

「真は女性に対して幻想みたいなものを全く持っていないよな」

「そうだな。あんな母と姉がいるとね」

「男兄弟しかいない俺にはわからなかったよ。でも、結婚をしてお前の言っている意味が少しだけ分かった気がする」

「それなのに、他の女性とも付き合うなんて、バカだよな。懲りていないじゃないか」

「恋愛の良さを知らないから、そう言えるのさ」

「恋愛の良さ?」

「ああ、ドキドキしたり、ワクワクしたり、オシャレして気取ってデートする醍醐味みたいなことかな」

「何だよ、それ。まあ、女好きでスケベだってことだな」

「そうなのかもしれないな。でも、ちょっと懲りたかな」

「そんなこと言っていると、世の女性陣からボコボコにされるぞ」

「そうだな。でもさ、家族って何だと思う?」

「独身の俺に聞くか?そうだな、支え合う最小単位、かな」

「支え合うか・・・」

「何だかさ、結婚や恋愛に期待し過ぎていないか?」

「期待?」

「そう、悟志は他人に期待し過ぎているのだよ。人生なんて所詮一人称だろ。自分一人で自分を楽しませるとか、機嫌だって自分でとらないでどうするのだって話だよ」

「真の方が既婚者の俺より大人になっているな」

「でもさ、こんなだからいつまでたっても独身で彼女もいなくて、だから俺は姉貴に言わせれば、うだつが上がらないって訳だけれど。そんな姉貴も独身だけれどな。アハハ!」

「お前、明るくなったよな。それってすごいことだよ。何だか俺も心を入れ替えて家族を大切にしないと」

「そうだよ。せっかく結婚もできて、子ども二人も授かったのだから、大切にしないと罰が当たるよ」

 夜が白々と明ける頃には、悟志は宏太を連れて妻と新たな命の待つ病院へと向かったのだった。

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