3. 籠の鳥(5)自分で決めたこと

 百合は母親から一週間の自宅謹慎を命じられた。自宅で家事をしながら、ゆっくり自分のこれからのことを考えろ、ということらしかった。その後、どうしても愛莉の家で家政婦を続けたいのであれば、正式に給料を払うと言われていた。

 母親が朝、家を出たのを確認してから百合は自分の部屋からリビングに移動した。携帯電話をテーブルに置きキッチンに立った。冷蔵庫を開けるとスープが鍋ごと入れてあった。それを火にかけて食パンをオーブントースターで焼いた。他に何か作ろうかとも思ったのだが、それほど食欲もなかったので温まったスープとバターを塗った食パンをリビングで食べることにした。スープは南瓜のポタージュで、百合が風邪をひいた時などに母がよく作ってくれたもので、数年ぶりのその味に懐かしさが込み上げてくるのであった。

 家事をしていろと言われているのだが、母が結局は全てをしてしまった後のようで、百合の出番はなかった。思えば母は仕事を始めてからも家の中のことを疎かにしたことが無い。自分は働き出してからは、何も家事をしなくなっていたことに改めて気づき愕然としていた。母親の疲れ知らずの体力に完敗だった。体力に限らず気力すら負けている。子どもの頃から手の込んだ料理を当たり前のように食べていた自分の幸福を思い知り、何だか恥ずかしくなってくるのであった。


 夕方になりキッチンで夜ご飯のメニューを考えていると沙和子から電話がかかってきた。

「百合、私もう死にたいよ・・・」

「何?突然、どうしたの?」

「もう会社に行きたくない」

「今、どこにいるの?」

「会社を早退したところ」

「身体の具合でも悪いの?」

「違う」

「ねえ、だったら私の家に来ない?私さ、今自宅謹慎中だから外出できないのよ」

「何それ、でもわかった。今から行く。お腹空いた」

「こっちが何それだわ。気を付けて来てね。待っているから」

 百合は沙和子のために何か美味しいものを作ろうと張り切り出した。


「わー、お腹一杯だ。やっぱり百合は料理上手だわ」

「少しは元気になった?」

「うん、ちょっと聞いてよ。部長というのが女なのだけれどね。その人が・・・」

 沙和子は自分で買ってきたワインをガブガブと飲みながら、上司の悪口を捲し立てていた。大勢の前で叱責されたことに腹を立てているようだったのだが、叱られた理由はどうも沙和子が勝手に仕事を進めたことに原因があるようで、百合は「沙和子の方が悪い」と口から出そうになるのをやっとの思いで抑えた。

「ああ、何だかスッキリした。百合ありがとう」

 ワインをほぼ一人で空にすると、沙和子の顔色は穏やかになってきた。

「少しは元気になったみたいね」

「うん、百合に話しをしているうちに、私も悪かったのかなって、反省しないとなって、思うようになってきた」

「それは良かった」

「ボーナスが出たと言っても、思っていたほどではなかったし、仕事だって雑用も多くておもしろくはないし、ちょっと自棄になっていたんだ」

「そうなの?」

「うん、百合の前ではちょっと見栄を張ったかも。ハワイ旅行というのもね、そんな計画でも立てないと頑張れなかったのよ」

「そうか」

「百合の方はどうなのよ。どうして自宅謹慎になったの?」

「実はね・・・・・・」

 百合は沙和子に愛莉の家で家政婦をしていること、愛莉の持ち物をネットで売って儲けようとしたことなど話した。

「おばさんは自分の仕事に誇りを持っているのね」

「誇り?」

「そう、会社にもね、少しだけ先輩の人がいるのだけれど、その人の仕事がすごいのよ。会議用の資料を印刷するとか、会議の後の片付けとか、そういった簡単な仕事なのだけれどね、皆、結構ズルしたりして要領よくやるのだけれど、その人は生真面目に何でも取り組むの。会社には来客用のペットボトルがあるのだけれど、それってちゃんと数えたりしないから、皆こっそり飲むのね。でもその人は絶対に飲まないの。最初はドンくさいなってちょっと感じていたのだけれど、この人は仕事に誇りを持っているなって、些細な事なのだけれど、私はそう思っちゃったのよね。おかしいかな」

「いいや、おかしくないよ。私もまだよくはわからないけれども、ズルをしないって大切なことなのかもしれない」


 沙和子は翌朝、母の作った朝食をこれまた『美味しい、美味しいと』二人前以上食べ、元気に帰って行った。

「沙和子ちゃん、相変わらず元気で楽しい子ね」

「昨夜はひどく落ち込んで、上司の悪口三昧だったけれどね」

「あなたも息抜きができたのではないの?」

「そうかも。皆大変なのだなって思ったわ」

「そう。ところで、仕事はどうする気なの?」

「うん、やっぱり私には会社勤めはできないだろうから、また、愛莉様の家で働きたい。もう二度と愛莉様の持ち物をネットで売ったりしないから」

「現金五万円も返しなさいね」

「あっ、忘れていた。それは違うのよ。渡そうと思っていたお金をエプロンのポケットに入れっぱなしにしてしまって、それで・・・」

「そういうことを些細なことだとバカにしていると、取り返しのつかないことになるのだからね。自分でちゃんと返しなさい。自分で決めたことなのだから、しっかり頑張ること。わかったわね」

「はい」

 母から離れると百合はホッと溜息をついた。仕事としてちゃんとできるかまだ分からないが、母親に負けないような家政婦になることを決意していた。

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