2. お金のかからない暮らし(5)至福の時

 愛莉は母の婚礼家具を眺めていた。母の真実を知った翌朝の照美との会話を思い出す。

「愛莉ちゃんの部屋にある白い家具ね、あれはお母さんのお母さん、あなたのお祖母さんが送ってくれたものだって言っていたわよ」

「じゃあ、やっぱり婚礼家具?」

「そう、マスコミにも騒がれ、愛莉ちゃんのお父さんのご両親からも冷たくされて田舎にはいられなくなって、こっちに出てきたお母さんはお祖母さんとは連絡を取り合っていたらしいの。そのお祖母さんもすでに亡くなっていて帰る家はないって言っていたわね」

 家具に頬を寄せると、母と会ったことはない祖母の温もりが感じられるような錯覚に陥った。何だか一人ではないような気になってくる。愛莉は元気を取り戻していた。


 噂話はいつの間にか霧のように消えていた。以前から作り話や嘘が多い人だったらしく誰も彼女の話をまともに聞いていなかったのが幸いしたようだった。言いふらした本人は離婚をして街から出ていったという。今回の嘘は真実も含まれていたのだが、悪質さが際立っていると彼女の夫は思ったらしく、それが離婚の引き金になったのではないかと照美は言っていた。本当のことなんて分からなかった。愛莉にとっては関係のないことだと思った。


 週に一日は仕事を全く入れない日をあえて設けていた。図書館に一日中いるためだった。日が差し込む窓際の席に座り、一人で大好きな絵本や本をずっと眺める。持参したスケッチブックに絵を描いたり、思いついた文章を書いたり、そんな時間を大切にしていた。

 お昼ご飯を食べようと外に出た時だった、図書館でアルバイトをしている彩夏あやかが声をかけてきた。

「一緒に食べない?」

「はい」

 彩夏は一見冷たく暗い印象だったのだが、話してみると楽しい人でお笑いや漫画に詳しく、愛莉にも気軽に話しかけてくれるのだった。

「いつも沢山おかずのあるお弁当を作って来るわね。いいな、私なんてお金が無いから、ひどい日なんて食パンだけってこともあるのだから」

「これ、食べますか?今日は多く持ってき過ぎてしまって」

「えっ、いいの?だったら、遠慮なくいただきます」

 昨日、総菜屋の照美から貰ってきた肉ジャガを美味しそうに食べる彩夏だった。

「これ作ったの?すごいわね」

「バイトをしているお総菜屋のです」

「バイトしているの?」

「はい、古着屋でも」

「古着屋?」

 そう言えばプライベートの話はお互いしたことがなかった。

「てっきり、あなたはどこかいいところのお嬢さんかと思っていた」

「そんな・・・お嬢さんが図書館に来ますかね」

「そう言われればそうだけれど、いつもかわいい服を着て絵本を読んでいて、何だか余裕があるなって勝手に思っていたから」

「お総菜屋と古着屋で働いているので、お金がかからないから余裕があるように見えるのですかね」

 愛莉は笑いながら言った。

「そうか、お総菜屋と古着屋でバイトをしたら衣食は足りるのよね」

「はい、それに安いアパートに暮らしていますし」

「一人暮らしなの?」

「はい、母が亡くなってからは」

「お母さん亡くなったの。ごめんね。色々聞いてしまって」

「いいえ」

「そうか、偉いわねあなた。まだ、二十一歳だっけ。ごめんね、登録カード見ているから年齢知っていて」

「いいえ、彩夏さんは何歳なのですか?」

「三十五歳になるわ。正規の職員にはもうなれないし、お金は無いし、これからどうしようかと思っているの。実家は弟家族が住んでいるから帰るわけにはいかないしね」

「実家があっても帰れないのですね」

 それから二人はアイドル歌手のFGのコンサートの話で盛り上がった。

「今度のコンサートはどうするの?」

「無料チケットに並ぼうと思います」

「無料チケットか・・・、実家にいた時はファンクラブに入っていたのよね。でもさ、年会費の五千円が払えなくなって辞めちゃった。チケット代だって九千円するでしょう。行くのを諦めていたのよ」

「だったら、一緒に行きませんか?どうせ、私は一人で並ぼうと思っていたから」

「そうね・・・。何だか無料チケットって・・・」

「嫌ですか?私はお金がかからない方法を見つけるのが楽しくって、パン屋さんで食パンのミミを貰うとか、豆腐屋さんで豆乳をただで貰うことがあります」

「恥ずかしくはないの?」

「母もそうしていましたからね。商店街の皆さんは私の顔を見ると向こうから声をかけてくれて、何か渡してくれます」

「商店街の人たちに愛されているのね」

「はい、皆さんに助けられて生きています」

「それを素直に言えるのって、素敵ね」

「彩夏さんだって本が好きで働いているのでしょう。いつもカッコいいなって思っていますよ」

「そうだ。ねえ、その総菜屋のバイトって紹介してもらえないかしら?」

 彩夏は恐る恐る聞いてきた。

「あっ、大丈夫かも。断言はできませんがもう一人パートを増やしたいって言っていましたから。でも、朝早い仕事で立ちっぱなしですが大丈夫ですか?」

「大丈夫。私も頑張らないと。愛莉ちゃんと話をしていたら、そう思うようになったから」

「それなら嬉しいです」

「無料チケットでコンサート一緒にいこう」

「はい」

 彩夏の晴れ晴れとした顔をみていたら、愛莉の心も明るくなるのだった。

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