2. お金のかからない暮らし(4)初めての結婚式

 愛莉は生まれて初めて結婚式というものに出席をした。高い天井のややドーム型の白を基調としたチャペルに愛莉は目を見開いた。キリスト教信者でもないのに十字架の前で愛を誓うなんて納得できなかったのだが、一歩その部屋に踏み込んだ途端、愛莉の心は『私もここで式を挙げたい』というものに変わっていた。母は結婚式を避けていた。テレビで結婚式の場面が出ると必ず席を立つかチャンネルを替えた。結婚式について文句や不満を口にしたことはなかったが避けているのは明らかだった。その影響なのか、愛莉も結婚式への印象はそれほどよくはなかった。それが、今日を境に一変したと言っても過言ではない。

「愛莉ちゃんも疲れたでしょう」

「いいえ、おばさんこそ帰ってゆっくりしてくださいね」

「そうだ、ねえ、今日は泊っていかない?どうせ隆宏は飲みに行ったから朝帰りだろうし、お願い泊って行ってよ」

「はい、泊っていきます」

 珍しく弱気な顔をしている照美に愛莉は笑顔で答えていた。結婚式が終わり照美と二人タクシーで店まで戻る途中だった。それまで張りつめていたものが一気に放出したかのように照美は大きなため息をついた。愛莉は自分の母親が生きていて、もし自分が結婚したとしたら、同じように大きくて深いため息をはくのだろうかと想像していた。そのため息は決して嘆きや苦痛の意味合いではなく、幸福感に満ち溢れた深い愛の結晶のようなものなのだと、愛莉は照美の横顔を見ながら胸が熱くなるのだった。


 愛莉は湯船につかると嫌な思いに囚われてしまった。

「愛莉ちゃんのお父さんって殺人犯だったらしいわよ」

 数日前、店を出てすぐのところで買い物客の数人が話しているのを漏れ聞いてしまったのだった。愛莉はその人たちに気付かれないようにそっとその場を離れた。胸の鼓動が早まる。確かに自分の名前を言っていた。聞き間違えだったと何度も思おうとするのだが、否定すれば否定するほど頭からそのことが離れなくなるのだった。風呂から上がると先に風呂を済ませていた照美が夕食を用意してくれていた。

「すみません。私何もしていなくて」

「いいのよ。早く座って、一緒に飲みましょうよ」

 二人はビールで乾杯をした。

「ねえ、愛莉ちゃん何かあった?」

「えっ、どうして・・・」

「だってちょっと元気がないから。まさか真菜の結婚が理由ではないだろうし、どうしたのかなって・・・」

「いいえ、何でもありません」

「お父さんのことじゃない?」

「・・・」

 愛莉は言葉が出なかった。

「近所の人たちが噂をしているのを聞いてしまったのね」

「うん・・・」

「困ったものよね。この間辞めてもらった人、あなたのお母さんの同郷の人だったのよ。偶然なのだけれど」

「お母さんの?」

「そう、そこにある写真を見て気が付いたらしいの。名前を聞かれて言ったら、そう言っていたわ」

「私には何も・・・」

「私が口止めしたからね」

「おばさんは昔のことを知っていたの?」

「お母さんから聞いていたわ。お父さんのことも全部」

「どうして私には何も言ってくれなかったのだろう」

「言えなかったのよ。それに言いたくなかったのよ」

「あの・・・お父さんが殺人犯だって本当?」

「う~ん、ちょっと複雑でね。待ってね、日本酒開けよう」

 照美は台所から日本酒の瓶を持ってくると、コップに注いで一口飲んだ。

「愛莉ちゃんも少し飲んだら」

 愛莉のコップにもお酒を注がれたが愛莉はそれをじっと見つめるだけだった。

「もう、愛莉ちゃんも大人になったのだから話をするわね。でもね、愛莉ちゃんのお母さんもお母さんが愛したお父さんも愛莉ちゃんのことを心から愛していたことは忘れないでね」

「はい」

 照美は言い出し難そうだった。コップの酒が空になり再度注がれたところで話を始めた。


「結婚式の半年前、お父さんはお母さんを会社の先輩に紹介したそうなの。その数日後、お父さんが出張中にその先輩がお母さんを訪ねてきて・・・」

 照美はコップの酒を口に運んだ。愛莉は照美が酒を飲むのをじっと待った。

「お母さんを・・・」

「わかったから、言葉はいいよ」

 愛莉は母がその人に強姦されたことを知った。血の気が引いていく感覚だけが頭に残った。

「お母さんは誰にもしばらくは言えなかったらしいの。そして三月後、妊娠が発覚して自殺未遂をしたお母さんは病院に運ばれて、お父さんにそのことが発覚した。それでも二人は絶対に二人の子だと確信をしてその事実を乗り越えようとしたのよ。その時、自分はとっても幸せ者だと心から思ったって、あなたのお母さんは言っていたわ」

「うん」

 愛莉は喉が詰まるのをやっとの思いで堪えた。

「その先輩は会社や取引先の女性にも同じようなことを繰り返していたらしいの。それでも会社はその先輩を咎めることもなかったそうよ。社長の息子だったらしいから好き放題だったのでしょうね。一旦は忘れることとしてお父さんも耐えていたそうなの。それが結婚式の数日前、会社の飲み会があってそれにその先輩も参加していて、何かのはずみで口論となりお父さんはその先輩を殺してしまった」

「えっ・・・」

 引きつったような声を愛莉は出していた。

「そのことを悔いたお父さんは自殺をしてしまったの。相手が先に手を出したから正当防衛だという証言もあったそうだから、殺人犯というのは間違いよ」

 愛莉も照美もしばらくは黙っていた。

「おばさん、辛い話をさせてしまってごめんなさい。聞かせてくれてありがとう」

「いつかは話す時がくるだろって思っていたから」

「でも、おめでたい日に・・・」

「いいのよ。今日くらいしか話す日はなかったじゃない。二人でゆっくりできるのなんて今度いつになるのやら」

「おばさん・・・」

 愛莉は照美の胸の中で子どもの様に泣きじゃくっていた。物心ついた時から今までの多くの思い出が次々とスライドショーのように蘇るのであった。

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