1.女としての価値(4)プラトニックデート

 時々訪れるその紳士は、早紀の母親とも親しそうで時折は仕事の話をしているようだった。

「もう息子に全てを任せましたからね、これからは仕事の話はなしでお願いしますよ」

「まだ、お若いのに」

「いいや、もう七十歳ですからね。仕事からは離れようと思って」

「仕事から離れて何をなさるのですか?」

「これから考えようと思っているのですが、実は離婚もしましてね」

「あら、それは、それは・・・」

 杏子は早紀の母親とその紳士のテーブルにコーヒーを運んだ。

「はい、ブルーマウンテンコーヒーです」

 紳士は店で一番値段の張るブルーマウンテンを毎回注文していた。

「あれ、出戻りちゃんって皆が呼んでいる子だったかな」

「杏子ちゃんです。娘の友だちなの」

 早紀の母親が紹介してくれた。

「そう・・・」

 紳士はじっと杏子の顔を見つめていた。

「えっ、何か・・・」

「いいや、ごめん、ごめん、初恋の人によく似ているものだから」

「あら、初恋の人に?」

 早紀の母親が大きな声で言う。杏子はひたすら恥ずかしくなった。

 それからその紳士は毎日喫茶店にやって来た。かなり大きなリゾート開発会社の創業者で名前は虎之助といった。

「杏子ちゃん、今度デートをしないかい。今度来るときに打ち合わせをしよう」

 その日、虎之助はそう言い残して店を出た。

「どうしよう・・・」

「何言っているのよ、行けばいいじゃない」

 杏子の独り言を聞きつけた早紀が背中を押してくる。

「だって、父親と同じ年の七十歳のおじいちゃんよ・・・」

「ねえ、何を言っているの。本気で付き合うとか考えているの?」

「えっ、そういう意味じゃないのかな」

「どういう意味だと思っているのだか・・・」

 早紀は呆れ顔になる。

「お金は持っているわよ。結婚したら玉の輿だしね」

 早紀の母親まで横やりを入れてくる。

「玉の輿?」

「だって、会長さん離婚したって言っていたじゃない。これはチャンスかもね」

「チャンス?」

 杏子の目がギラッと光った。

「杏子ちゃんの好きそうなゴージャスな服やアクセサリーをたんまり買って貰えて、お金には苦労しない生活が約束されているものね」


 虎之助と杏子はデートに出かけた。待ち合わせは上野駅の公園改札前だった。そこからして杏子の想像とは全く違っていた。ヒールのあるパンプスを履いてきたことを後悔したが遅かった。上野公園を歩き回り、美術館やら博物館をはしごした。何が良いのかさえ杏子にはわからず、ゆっくり歩く虎之助の後をついていくのがだんだん苦痛になっていた。

「じゃあ、ここで。楽しかったよ。ありがとう」

 虎之助とは上野駅で別れた。杏子は真っ直ぐ家に帰る気になれず、喫茶店に顔を出した。


「あら、杏子ちゃん、デートはどうだった?」

 早紀の母親が真っ先に聞いてきた。

「どうって、高校生のデート、いやあ、年寄りのデートみたいで・・・」

「あんた、その格好で行ったの?」

 早紀は気の毒そうに言う。

「そうよ、気合を入れて新しいワンピースも靴も新調したのに・・・」

「歩きまわされたのね」

 早紀の母親は気の毒そうな顔をした。

「そうなの。公園を散々歩かされて、美術館やら博物館へ行っただけよ」

「まあ、それがデートというものだけれどね」

 早紀の母親は今度は面白がっていた。

「だから言ったじゃない、ジーンズとスニーカーで行けばいいって」

 早紀は呆れるばかりだった。

「早紀の言う通りにしておけばよかった」

「そのワンピースに願望が籠っていたわけね」

 何も言葉が出ない杏子だった。

「上野駅集合で、美術館へ行くって、言ってなかったっけ?会長さん」

「そうよね。言っていたわよ」

「それなのに、その格好って・・・」

「だって、美術館の後、ディナーに行くと思ったのだもの・・・」

「その後はホテルって訳ね」

「そりゃあ、その覚悟はあったけど・・・」

「あったんだ。杏子は玉の輿を狙っていたわけか」

「会長さんは楽しかったって言っていたのでしょう。次があるわよ」

 早紀の母親に慰められるも腑に落ちない杏子だった。

「本当に初恋の人との思い出を回想したかっただけなのではないの?」

 杏子は早紀の言葉に頷く。

「そのようだったわ。初恋の相手というのは高校生の時、同じ電車に乗っていた女子高の人だったらしく、男子高生だった虎之助さんは目があったりしていたそうなのだけれど、その時は誘えなくって後悔したそうだから」

「ねえ、本気で玉の輿を狙っているの?」

 杏子はしばらく考え込んだ。

「私にはそれしか残っていないのかなって、ちょっと思ったの」

「お金持ちのおじいさんと結婚して玉の輿にのるというストーリーね」

「ごめんなさいね。私が焚きつけたのかな」

「そうよ、ママが余計なことを言うから、杏子だってその気になってしまったじゃない」

 親子の会話を他人事の様に聞いている杏子だった。

「会長さんは娘さんがいなかった?」

「いらっしゃるわよ。愛人さんの子で確か認知をして溺愛しているって話よね」

「ここに以前来たことあったわよね」

「そう、大学も行かないで仕事もさせないで優雅に暮らしているはずよ」

「何不自由なく好きなことをして暮らしているのね」


 杏子は自分の鼓動が早まるのを感じていた。虎之助の娘の生活が自分とかけ離れているようで悔しかった。生まれた家の違いで、親の違いでこんなにも人生が違ってしまう。自分の不甲斐ない人生は自分の蒔いた種だと反省してきたのだが、そんな必要などなかったのではないか。そもそも生まれた家を間違えなければこんなに苦しい人生にはならなかったのではないか。杏子の心に暗い影が押し寄せてくるのであった。

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