1.女としての価値(3)女としての価値

 夕食はほぼ接待のため喫茶店に立ち寄ることのない早紀の母親がその日は珍しく戻ってきた。

「あら、お母さんどうしたのよ」

「今日は何も予定がないのよ。はい、杏子ちゃんに誕生日プレゼント」

 アレンジされた大きな花束を杏子は受け取った。

「こんなにすごい花束のプレゼント、生まれて初めてです。ありがとうございます。」

「モテてきたはずの杏子でも、男からの花束はなかったわけね」

 早紀が意地悪そうに言う。

「そうなのよね。私ってさ、男からプレゼントなんて貰ったことないかも」

「同棲していた彼からは何も貰っていないの?」

「うん、お金がそんなにある人ではなかったからね」

「女としての価値がなかったのね」

「ああああああああ!」

 早紀の母の言葉に、落ち込む杏子だった。

「ママさ、ちょっと言い過ぎじゃないの」

「何言っているのよ、あんただってさっきからずっと辛辣な言葉をぶつけて・・・」

「私はそこまでは言っていないわよ」

「ところで杏子ちゃんは結婚がしたいって話なのね」

「そうなのですって」

「どうして結婚がしたいの?」

「だって、女として生まれてきたからには・・・それが女の価値というか・・・」

「女の価値?なにそれ。そんなのあるわけないし、結婚したら女には価値が出るっていうの?」

「ええ~、だってさっきママさんが言ったじゃないですか、私には女の価値がないって・・・」

「ああ、女としての価値が無いっていうのは、誉め言葉だったのだけれどな」

「誉め言葉?」

「そうよ、私だって男性からプレゼントなんて貰ったことはないもの」

「そうなの?パパからは何も貰っていないの?」

「そうよ。婚約指輪も結婚指輪もお祖父ちゃんが買ってくれたものだからね。それに、欲しい物は自分で買うと決めているし」

「男性からプレゼントが欲しいって思ったこともないのですか?」

 杏子は早紀の母親の毅然とした態度に圧倒されつつ、恐る恐る聞いてみた。

「そうね。考えたことがないわね。杏子ちゃんはどうしてそんなに男性からのプレゼントが欲しいのかしら」

「それは・・・その方が女は幸せだから・・・それが女としての価値だから・・・」

「女性としての価値に拘っているのかしらね」

「杏子はそうかもしれないわね。高校生の頃からずっと杏子は杏子になろうとしないで、女になろうと必死だった」

 杏子は益々混乱してくるのだった。

「だったらママさんはどうして結婚したのですか?」

「どうしてね~。流れかしら、成り行きかな・・・」

「パパと結婚したかったからじゃないの?」

「そうね~、この人ならいいかなっていうのはあったかな。もう忘れたわよ。40年も前だもの」

「早紀は結婚したいと思ったことはないの?」

「ないわよ」

 ハッキリ言い切る早紀が杏子は羨ましかった。

「どうして?」

「だって、私は結婚に向いていないから。誰かを世話するのも、誰かに世話をされるのも嫌だからね」

「親だったら世話になってもいいってことよね」

「はい、その通りでございます」

 早紀は母親の嫌味にも負けてはいなかった。

「早紀はやりたいことがあったから、そう言えるのね」

「そうなのかな」

「女で生まれてきたことに喜びとかないの?男に生まれたかったの?」

「え~、どっちもないよ。私は私として生まれてきたわけだから。女とか男とか意識したことがないかも」

「そうね、この子を女だからこうするべきだとか、こうしなきゃならないって、育ててはいないわね。赤ちゃんの時も女の子用とか男の子用とか関係なしに、この子に似合う服を選んでいたからね」

「女の子だからって言われたことがないの?早紀は」

「記憶にございません。杏子は女の子だからって言われて育ってきたわけね」

「それが当たり前だと思っていたから、何も疑問すらなかったわ」

「まあ、うちはさ、ママが働いてパパが家事をして育ててくれたわけだから、普通の家とは違うからね」

「普通ね・・・」


 杏子が家に戻ると、父も母も弟も杏子の帰りを食事もとらずに待っていてくれていた。

「まだ食べていなかったの。ごめんなさい遅くなって」

「俺も今帰ったところだから」

 弟のしん》が言った。真は公立の図書館で司書として働いていた。非正規職員のため給与は安いようで家から出るつもりはないらしい。

「父さんもさっき帰ってきたから」

「どこに行っていたの?」

「町内会の集まりがあってね」

「さあ、食べましょう。今日は杏子の誕生日だから、お肉を焼いたわよ」

 テーブルにはワイングラスが用意されていた。真が買ってきてくれたというワインで乾杯をする。一本千円はしないワインだったが、飲みやすく美味しかった。

 杏子は改めて、良い家族だなと思った。言葉は少ないし、互いへの干渉もせず淡々と接してはいるが、家族の誕生日だけはちゃんと祝ってくれる。結婚が破談になっても受け入れてくれる家族がいたことで、杏子はどんなに救われたことか。

「幸せね~私たち」

 母がしみじみと言った。最近の母の口癖だった。

「それって無理やり感が強すぎだよ」

 真の言葉に杏子も頷く。

「何だか洗脳に近いかも・・・」

 杏子はハッとされられていた。母が必死で幸せだというこの家族は、どこかで何かが間違っているのではないかと思えてくる。母のもう一つの口癖を思い出していた。

「女だから・・・」

 そうか、自分は母親の影響で『女としての価値』に拘ってしまっていたのかもしれない。

 さっきまで良い家族だと思えていたのだが、今はそうは思えなくなっていた。

 母の笑顔も父の笑顔も弟の笑顔も全ては偽物なのではないのか。一人一人の顔を凝視しながら杏子は身震いをせずにはいられなかった。

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