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壊せ。再生のためには、まず壊さなければならない。
「きみは、何も悪くない」
絋一君に対して向けられる最初の言葉は、当然この言葉になるはず。全てはそこを足掛かりとして始まるはずなのに、それを認識できない周囲のモノたちは、残念な存在だと言わざるを得ない。
「ごめんなさい。気づくことが出来なかった。あまりにも想像力が欠如していた。配慮に掛けていた。本当に、ごめんなさい」
続く言葉。彼らはそれを言う機会と資格とを得ていたのに。
僕は、自らを普通だとか常識的であるとか思っている人間を、あまり信用しません。一体、どれだけの知見を以て、そのような感想を持つに至れたのか理解ができないからです。
自分の知識や経験則から外れる事象に出逢ったとき。それを恐れ嫌悪するか、目から鱗と喜べるかが人の差だと思うのです。内なる世界も外なる世界も、それで全く異なってくるのだと思うのです。
残念ながら。残念な人間が多いのも事実。でも絋一君は、そうではない人間が実在することを知っている。だから、絋一君ならこの苦難を打ち破れるのではないかと思っております。あっ!長文すみませんっ!
作者からの返信
呪文堂さん、コメントありがとうございます。
積もり積もったものがこういう形で表れてしまいました。溜まっていく前に気づくことができれば、少しずつ話ができていればと、あとから「たられば」の話になってしまうこと、多いと思います。
本当に、その言葉があれば当人はどれだけ楽になったでしょうね。自分の知識や経験則にあてはめると、そこから外れた人間を追い詰めてしまうことも多いですよね。「どうしてできないの」とか「どうして分からないの」とかもそうですが(よく言われてきました笑)
社会という組織の中では弾かれても、せめて家族って単位の中で守ってやるべきこともあり、逆にそれがいちばん難しいことでもあるのですが。
いつも丁寧なご感想をくださり感謝しています。ありがとうございます!
いや、よく言いましたよ、紘一くん。あっぱれです。
ちょっとひどすぎますよ、この両親。自分の問題から逃げ続け、さらには自分の子どもに責任転嫁。これでも人の親だっていうんだからもう嘆かわしいです。諒二くんも幼いのに、家族がこんなことになってトラウマ物じゃないでしょうか。本当に二人とも不憫でならないです。
作者からの返信
この両親(特に父ですが)の頭の中には、上手くいかなかった場合、という仮定が欠如してたんですよね。「普通」であることや、「うまく行くのが当然」という思い込みしかないと、そうでない場合の対処ができないと思います。結局こんな極端な状況になってしまって……。そうですね、幼い諒二にはトラウマみたいな思い出になってるかも知れません。
ここまでぐいぐいと引き込まれるまま、そして途中からは鉛を呑み込んだような重い心地で読み進めてきましたが、ここで胸がすくような、力が漲ってくるような感じがしました。思わず拳を握って快哉を叫びたくなるような。
味方が誰ひとりとしていないなかで、追い詰められて小さく膝を抱えてしまうのではなく、溜め込んできたものを爆発させた紘一くんに、そうだ、それでいいよ、もっと云ってやれと泣きそうになりながら頷いている自分がいました。
「家族」って、どんなときも味方であれば暖かく響く言葉ですが、そうでなければただのいちばん厄介な冷たい檻ですね。
作者からの返信
烏丸様、
コメントをありがとうございます。避けられそうな題材ですが、興味を持って頂けて嬉しいです。そしてここまで一気にお読みくださり本当にありがとうございます。
いじめの話がメインになりますが、これには親子というものがどれほど分かり合えるかということも関わってきますね。
確かに現実では何も言えないまま大人になってしまう人の方が多いかも知れません。紘一は吐き出せた分、救われたのでしょうね。ただ本当の関係修復はその先からで、決して簡単なものではないと思います。
警察が来て、家庭内暴力で片づけられる。それもまた違うと思いますが。
紘一はよくやった! 破壊してからの再生はここまで来ると必要かもしれません。あまりにも無理解なこの両親は、これでなにかに気づいてくれるのでしょうか。
作者からの返信
親子って、お互いが相手にこうあって欲しいと求めるものが(無意識にでも)積もり積もって、それがお互いの首を絞めているところがあると思います。その理想から外れたときにその家族の本当の姿が現れてしまう気がします。