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絋一君、よく言った。どん底の状況を自ら吐露することなんて、なかなかできるものではない。見事に殻を打ち破ってみせた。
保身のために問題を認めようとはしない教師、親としての欠陥があることを考えようともしない両親。ただ立場だけを振り回す年かさのいったものなど頼りにはならないのです。まずは力を蓄え、機を得たらその場から離れるしかない。
生命は現象です。化学反応を起こし合う現象。場を移し時が経てば、必ず変わる。
絋一君は見事に打って出た。よく頑張った。誉めてあげて下さい。泣きそう。
作者からの返信
自分から吐露することの苦しさ、小説だからこういう形にしましたが、現実にはなかなかできるものではないと思います。閉じこもったまま、閉じ込めたままひたすら時間をやり過ごすことの方がほとんどじゃないでしょうか。
物事を矮小化したがるのは歳を重ねるにつれて強くなるかも知れませんね。「立場」が守りに入らせるものなのか、鈍感になってしまうのか分かりませんが。
吐き出して楽になることと余計苦しくなることと両方あると思いますが、これは後者の方ですね。それでも打って出たこと、筆者としてもよく頑張ったと言ってやりたいです。
いやいやいや、無理ですって。
この小川先生って方は何を考えているんでしょう。「みんなで話し合いましょう」でいじめが解決したことなんて本気であります??
事なかれ主義のザ・教師ですね、典型的な。やっぱりこのお父さんもだめですね。事の重大さを見ようとしない、自分の息子と向き合おうとしない、もう見ていて腹が立ちます笑物語の世界の話なのに。
作者からの返信
学校側が事実を重く見なかった、というフレーズをいじめのニュースで目にするんですが、この小川先生のような事なかれ主義の結果、自殺する子どもが出てくるんでしょうね。
この父は残念です。やはり自分の尺度でしか物事が計れないです。
感情をこめて読んでくださって、本当にありがとうございます。書いた甲斐があります。
先生も先生だけど、頭にハゲまで作ってるのに、子供の立場に立ってやれない父親って、サイテーだと思う。
誰だか忘れたけど、子供が自殺するのは親が悪いって言ってた人がいたのを思い出した。
自殺するまで追い詰められてるのに、それに気づかないなんて、親じゃないって。
全くそう思います。
作者からの返信
親と子の関係は本当に千差万別で…きっとこの父はかなり無理解な部類に入ると思うのですが、なるべく事を小さく済ませたい、という気持ちは大人の中にあるんじゃないでしょうか。それが息子のことだとしても。あと、女の子ではなく、男の子というところで全然違ったり。男だから大丈夫だろう、みたいな逆差別のようなこともあると思います。
ただ、親ならば知っていなければいけないことはありますよね。自殺してからでは遅すぎますから。
必要な時に守ってくれなかったのにこういう時だけ保護者の立場をとる大人が、紘一さんには耐えがたかったのでしょうね。
「みんな、ちゃんと君に謝るから。だから、明日は学校においで」ではない、と私は思いました。謝って、それが何になるのだと思いました。クラスメイト達の謝罪は恐らく許されるためのものであって、償うためのものではないのでしょう。
真実を打ち明けたところで、紘一さんを取り巻くのが絶望的な現状であることに変わりはないように見えます。何か光があると良いのですが……。
作者からの返信
椎人さま、
沢山読み進めて下さりありがとうございます。
こういうことが明るみに出るとき、どれぐらいの大人が真剣に向き合ってくれるのでしょうね。謝罪の言葉などで表側をきれいにすれば済むし済ませたいという気持ち、少なからずあるんじゃないでしょうか。
「クラスメイト達の謝罪は恐らく許されるためのものであって、償うためのものではない」
そうですね、視点を変えるなら紘一に「許させる」ためのものですよね。償うというのはいじめの当事者に自覚があるときの言葉で、自覚がないものはきっと存在しないことになるんだと思います。
血の流れ出るような描写ですね。
大人たちに怒りを覚えます。言葉で、なんてことのなかったように表現する先生や、ここまで気付かずにいた両親にも・・・
本当に、親はもっと怒り狂って欲しいですし、気付かずにいた自分たちを責めて悔やんで欲しいです。彼の状況を何もわかっていなかったことを紘一君に詫びて欲しいです。
でも、紘一君は立派です。すべてさらけ出して言えたのがすごいです。
微妙に話がずれるのですが、最近日本で公開されたフランス映画、「グレース・オブ・ゴッド」は少年達が神父から性虐待を受けていた話でしたね。その登場人物も、言葉にできるまで30年かかった、と言っていました。
当時、事実を知った親達がどのように対応したかは様々でしたが、子供のために怒って行動を起こした親の子供の方が、その後強い精神を持っていたようにも映りました。
紘一君は、状況も状況でしたが、起きたことを周囲の大人にぶつけることができて良かった。
ちなみに、私はフランス映画よく見ます。また映画のお話できたら嬉しいです^^
作者からの返信
「言葉にできるまで30年かかった」ん、なんかすごく分かる気がします。人によって状況は様々だろうけど、いったん自分に封をした者は、それを開けるのにとてつもない勇気を必要とするでしょうね。
この場面はつらいですけれど、紘一はある意味きっかけを与えられたと捉えたいです。大人からではなく、神様から?
神原さん僕より仏映画ご存知かも。教えて下さって嬉しいです。
「ひみつの庭が荒れていく。僕は自分の足で大切な庭をメチャクチャに踏みにじっている」……この表現が初読のときより心に刺さります。
こんなにも、つらい目に遭っているのに「明日は学校においで」と言う担任!自分の学級には問題ないのですよと言いたい感じで腹立たしくなりました。
ところで『雨の庭』は、「ねんねよ、坊や Dodo l’engant do」と「もう森にはゆかないよ Nous n’irons plus au bois」というフランス童謡から主題を得たドビュッシーが描いた情景描写の曲です。
柊さんに教えて頂きたいのですが、それらふたつの童謡はフランスでポピュラーなのでしょうか。私は上記の二曲を知らないときに『雨の庭』を聴いて大好きになったあと、youtubeで主題を聴いてみたのですが、歌手によって全然、印象が変わりますね。またまた本編に関係ない長話を失礼しました。
早くも完結されたのですね! 今日は頭が痛くて色々滞っています(>_<) 治ったら続きを読みに参りますm(__)m
作者からの返信
「話し合おう」というのは、話し合う余地がある時に使われるべき言葉で、もう手遅れな時には意味をなさないと思うのです。先生はまだなんとかなると思っていたのかも知れませんね。
ドビュッシーの雨の庭を聴きました。子供の領分を思い出しました。Dodo は知ってますがもうひとつは知らなかったです。
本当は分けようと思ってたんですが、感情が勝っちゃって、最後まで掲載しました。
どうぞご無理なさらず、見届けて頂けたら、幸いです。
くれぐれもご自愛くださいね。
紘一はものすごく頑張った! 偉い!
それに対して大人たちは!! 殴り飛ばしてやりたい!
こういう親も、自殺してしまったら、被害者ぶるんでしょうね。腹が立って仕方ありません。この先生も、状況を知ってただ? ありえない!
作者からの返信
「自分で話せ」というほど苦しいことはないと思います。いじめに限らずですが、本人になぞらせることは二度も辛い思いをさせるのと同じです。紘一への温かいお言葉いたみ入ります!
物事を矮小化したがる事なかれ主義、その陰で必ず犠牲になっている者がいるのを、大人こそ忘れてはいけないですね。