第8話「たとえば12時が過ぎても」

そうして迎えた土曜日。

 

 レンタカーを借りて、少し遠くまでドライブすることにした。

「すご~い! 私、ドライブデートって初めてです~!」

 助手席で梓がはしゃぐ。

「意外ね。乗せてもらったことないんだ」

「ないですね‥‥‥最後に誰かとお付き合いしたのは、学生の時でしたから‥‥‥」

 そう言って落ち込んだ顔をする梓を見て、あたしはしまったと思った。

 梓に対して、この手の話題は地雷だ。

 確かにあたしだって、元カレとどんなデートをしたかなんて、わざわざ話したくはない。

 それが好きな相手に対してなら、尚更──。

「珠子さん? どうしたんですか?」

 ちらりと横を見ると、梓があたしを上目で見ていた。

「な、何でもない! 出発するわよっ!」

「はい! 珠子さん」

 その顔を、つい可愛いなんて感じてしまうあたしは、やっぱり梓のことが好きなのだ。



 海沿いをしばらく走った後、休憩がてら海の見える道の駅に立ち寄った。

 あたしは缶コーヒー、梓はミルクティーをそれぞれ手に、ベンチに座って青い海を眺める。

「お天気が良くて、ホントに良かったですよね~」

「そうね」

「運転してる珠子さん、すごーくかっこ良くて、思わず見惚れちゃいました」

「あれは見すぎ。運転に集中できないじゃない」

「ごめんなさ~い」

 梓はぺろっと舌を出した。以前ならあざとい女とムカついていたその仕草さえ可愛らしく見えるのだから、好意ってホントに厄介だ。

十月と言っても、今日は晴れていて気温も高い。海風がちょうど良く頬を冷ましてゆく。

 うん。これなら、大丈夫そうだ。

「この近くにね、遊園地があるのよ」

「遊園地、ですか?」

「そう。良かったら、行ってみない?」

 梓はにっこりと笑って頷いた。

「はい! もちろんご一緒します!」



 遊園地のゲートをくぐってすぐ、梓は腕を絡めて走り出した。

「珠子さん! ますはあれに乗りましょう!」

 と、はしゃいだ声で指さしたのはジェットコースターだ。

 あたしは思わず、固まった。

「どうかしました? 珠子さん」

「あっ‥‥‥べ、別に、何でもないわよ!」

 実を言うと、ジェットコースター始め、いわゆる絶叫系の乗り物が苦手なのだ。

 けれど、梓の前でそんなことを言いたくない。好きな相手という以前に、先輩としての意地で。

「ほ、ほら! 乗りたいんでしょ? 早く行くわよ!」

 手の震えを抑え、どうにか梓の手を引いて列に並ぶ。

 順番が回ってきた後のことは、あまり思い出したくない。


 ようやくコースターが止まり、よろよろと地面に足をつける。

「あ、あの、珠子さん。大丈夫ですか?」

「え、ええ‥‥‥大丈夫よ。運転してちょっと疲れてただけ」

「ええっ⁉ す、すみません! いきなりジェットコースターなんて乗せちゃって!」

「いいわよ。定番だもの」

「つ、次は珠子さんが乗りたいやつにしましょう!」

「うーん‥‥‥そうね‥‥‥」

 きょろきょろと周りを見渡すと、不気味な外観の日本家屋風の建物が目に止まった。

「お化け屋敷、なんていいかも‥‥‥」

「えっ」

「ダメ?」

 梓はぶんぶんと、首を横に振った。

「ダメじゃないです! 行きます! 珠子さんの為なら!」


 結論から言うと、梓はホラーの類が全くダメらしいことが分かった。

 暗いアトラクション内を進む最中、

「きゃあっ!」

 とか、

「ひっ!」

 とか、

「いやぁぁっ!」

 などと叫びながら、あたしの腕にひっついて離れなかった。

「も、もう嫌ですぅ‥‥‥早く出たいですぅ‥‥‥」

 最初は演技かと思ったけど、青ざめた顔やぽろぽろこぼれる涙、あたしの裾を掴む手の震えが、本気で怖がっていることを物語っていた。

 あたしは、そんな梓を見て、呆れるよりむしろもっと惹かれた。

 昔は(今もかもしれないけれど)可愛い女なんて、いないと思っていた。

 ドラマや漫画に出てくる『女の子』という生き物は、所詮は男の造り出した幻想にすぎないと。

 しかし、あたしにしがみつく梓は、まさにその幻想そのものだった。

 もちろん今のあたしは、梓にも裏や秘密があることを知っている。その秘密を抱えることで、たくさん傷ついてきたことも。

 それでも、梓を『可愛い』と思うことは真実だった。

 立花梓は、本物の、あたしが心から『可愛い』と思う、たった一人の『女の子』だった。



 お化け屋敷を出た後。フードコートで、少し遅めの昼食を取る。

「うう‥‥‥情けないところを見せてしまいました‥‥‥」

 コーラフロートをかき混ぜながら、梓が呻く。

「アンタってホント、期待を裏切らないというか、見た目まんまなのね」

「もー! 笑わないでください! そ、そういう珠子さんだって、絶叫系ダメなの言わなかったじゃないですか!」

「ちょ、ちょっと! アンタ、あたしがそんな子供っぽいわけないでしょ!」

「手がぷるぷるーってして、目をきゅーっとつぶってたの、バレバレでしたよー」

 そう言って梓は、ストローでコーラを啜った。

 ふんわりとした、花のような笑みが、あたしに向けられる。

「無理をさせちゃったのは申し訳なかったですけど、私の前でかっこつけてくれてるんだなーって思ったら、ちょっと嬉しくなっちゃいました」

 その笑い方が、いつもより少しだけ大人っぽく見えて、思わず心臓がドクンと跳ねた。

 梓のくせに! なんて思う暇もないくらい、ドキドキと早鐘を打っている。

「ふ、ふんっ。生意気なこと言ってんじゃないわよっ」

 平静を装って返すのが精一杯だった。

 梓は、分かっているのだかそうでないのか、曖昧に「えへへ~」と笑っていた。



 そして夕方──。


「やっぱり、観覧車って良いですよね。とってもロマンチックです」

「そうね」

 最後に観覧車に乗っていくことになった。

 真っ赤に燃える夕日と、壮観な景色を眺めながら、ゴンドラはゆっくりと回る。

 思えば、好きな相手と観覧車に乗るのなんて、いつぶりだろう。もしかしたら、学生時代以来かもしれない。

 あの頃のあたしは、観覧車に乗りながら、色々なことを考えていた。

 今は二人きりだなとか、ゴンドラが頂上に昇った瞬間にキスしたいなとか、そんなことを。

 いつも自分のことばかりで、相手のことなんかほとんど見えていなかった気がする。

 もちろん、あたしにとっては楽しい恋だったから、相手がどんな気持ちでいるかなんて、想像する余地もなかった。

「珠子さん」

 不意に名前を呼ばれて、前を向いた時。

 梓が、真っ直ぐにあたしを見つめていた。

「珠子さん‥‥‥私、今すごく幸せです」

「な、何よ。急に」

「えへへ、ごめんなさい。びっくりしますよね。でも、本当なんですよ。好きな人と観覧車い乗るのが、ずっと夢だったんです」

 夕日に照らされた梓が笑う。

 まるで、琥珀色の紅茶に砂糖を溶かしたような、甘い、甘い笑みだ。


「珠子さんは、私の魔法使いです」


 ゴンドラが止まって、ガタンと揺れる。


「もう終わっちゃいましたね‥‥‥残念です」

 梓は名残惜しそうに、ゴンドラを降りてゆく。

 その背中が、本当にこのまま夕焼けの中に溶けてしまいそうなほど儚く見えて、あたしは──。

「ねえ! 梓!」

 梓の手首を掴んだ。

 そして振り向く梓に、間髪入れずに言ったのだ。

「この後、もう少しだけ、寄り道して行きましょう」


 遊園地を出て数十分後。すっかり日が落ちて暗くなった頃に、目的地に辿り着いた。

 山の中にある小さな展望台。そこからは、街の明かりが一望できる。

「降りるわよ」

「は、はい」

 何の合図もなしに、あたしと梓は展望台の手すりに寄りかかって、景色を眺める。

「綺麗な夜景‥‥‥こんな場所、よく知ってましたね」

「‥‥‥前に来たことがあるのよ」

「‥‥‥そうなんですね」

「前に彼氏と別れた時──そうね、ちょうどアンタがあたしのこと知ったって時かしら。頭冷やしたくて、一人になりたくて、ここに来たの」

 今日みたいにレンタカーを借りて、日帰りで行けるような、人気のない場所を探して、車を走らせた。

「けどね、一人になったら、ただ寂しいだけだったわ‥‥‥」

 気持ちが晴れることはなく、元彼への怒りも、後悔も消えなかった。

 あの時、虚しさだけを土産にして帰ったあたしは、それ以来、ここへは来ていない。

 あたしの話を黙って聞いていた梓が、不安げな眼差しで、あたしを見上げている。

「珠子さん‥‥‥今は‥‥‥」

 おそらく、どんな風に尋ねたらいいのか分からないのだろう。

 梓の口からは、なかなか言葉が出てこない。

 けれど、あたしには分かった。


「今は、寂しくないわ」


 梓の瞳が大きく見開かれる。

 あたしはもう一度、息を吸って、その目をまっすぐに見つめ返した。

「梓、アンタがいるから、今は寂しくない」

 梓と出会ってから、楽しいことがたくさんあった。

 断ってもめげずに追いかけてきてくれて、あたしが何かするたび、バカみたいに直に、嬉しそうに「好きです」と想いを口にする。

 そんな梓といると、まるで子供だった頃に戻ったみたいに、あたしも素直になれる気がした。

 幸せを求めては失うだけだったあたしのところに、幸せが向こうから会いに来てくれたような、夢のような時間。

 すっかり太陽が沈んで、夜になった、こんなに真っ暗な世界でも、梓の顔だけは、はっきりと映る。

 なぜなら、あたしは梓に恋をしているから──。

「梓、恋人は今日で終わりなのよね?」

 まるで何かに怯えるように、梓の肩がビクリと跳ねる。

「は、はい。そうです‥‥‥今日で、おしまいです‥‥‥」

「うん‥‥‥そう」

「あ、あの! 珠子先輩! 私──」

「あたしの負けよ。梓」

「え?」

 あたしは、梓に一歩近づいた。


「あたしは、アンタが好き。アンタと偽物じゃなくて、本物の恋人になりたい」



 時が止まるって、たぶんこういうことなのだろう。

 梓は微動だにしないまま、ただじわじわと涙を溜め、ぽろぽろと零しはじめた。

「ほ、本当ですか‥‥‥?」

「嘘なんかつくわけないでしょ」

「で、でも、珠子先輩は、男の人が好きなんでしょう‥‥‥? わ、私はっ、女です‥‥‥っ!」

「知ってる。でも好きになったの」

「私、とっても重いです。ヤキモチもいっぱい焼きます。た、珠子先輩だけは、絶対、誰にも取られたくないから‥‥‥っ、束縛とか、しちゃうかもしれないです!」

「ヤキモチなら、あたしだって焼くと思うし、淡泊すぎるよりはマシよ。それに、男は懲りてんの」

「お、女の人が相手でもです!」

「さっき、あたしは男が好きって言ったのは誰よ」

「だ、だってぇ!」

 梓はぼろぼろ、ぼろぼろと、小さな子供みたいに泣きじゃくる。あんまり泣くものだから、化粧が落ちてぐしゃぐしゃだ。

 じれったくなって、あたしはよれたファンデがつくのも構わず、その頬を両手で包んだ。

「もう‥‥‥泣きすぎよ。あたしが泣かせたみたいじゃない」

「た、珠子先輩が泣かせてるんですよぉ‥‥‥」

「あー! もう! ごちゃごちゃ言わない! あたしに告白してきた時の勢いはどうした⁉」

 ごしごしと涙を拭ってやると、梓は「痛いです‥‥‥」と小さく呻いた。

「悔しいけど、アンタの告白に心を動かされたの。それで、好きになった。それだけの話よ」

 そうだ。本当に、たったそれだけの話なのだ。

 アイツら──元カレたちも、たぶんそうだった。アイツらの気持ちが、今なら少し分かる。

「もう一度言うわ。梓、あたしはアンタが好き。だからアンタと、ちゃんと付き合いたいの‥‥‥だめ?」

 梓はふるふると首を横に振った。それから、戸惑った顔で目を伏せて、涙を溜めて──うんと、嬉しそうに、顔を綻ばせた。

 柔かな身体がふわりと傾いて、あたしの胸の中になだれ込んでくる。

 そして、心から幸せそうな声で言ったのだ。

「珠子先輩、大好きです‥‥‥これからも、よろしくお願いします」

 あたしはその肩をそっと、抱きしめ返した。

「‥‥‥ええ」



 帰りの車の中、あたしは一つだけ梓に約束をさせた。

「付き合うのはいいとして、その前に、一個だけ聞いて」

「何ですか?」

「斉藤くんのこと、ちゃんとケリをつけて。もちろん、あたしのことも話しておくこと」

「斉藤くん‥‥‥ですか。どうしてですか?」

「まあ‥‥‥あたしも、共犯になろうかなって、そんな感じ」

 梓はそれ以上は何も聞かず、静かに頷いた。

「分かりました。珠子先輩がそう言うなら」

「うん‥‥‥ありがとう」


夜の闇の中を走り抜け、ポツポツと明かりの灯る街が、徐々に近づいて来る。

この先に、あたしと梓の居場所はないかもしれない。逃げ出すことだって、できたかもしれない。

それでも、賭けてみたいと思った。

梓を一人にしたくないと思ったあたし自身の気持ちに。

 

 あたしは、魔法をかけ続ける。

 あたしを好きだと言ってくれた、あたしの魔法使いの女の子──梓のために。

 そうして二人で、お互いや時には誰かを傷つけたり、傷ついたり、愛したりしながら、幸せに歩いてゆく。

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当て馬女と百合の花 御園詩歌 @mymr0701

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