黒心

「あーこまったな、こまったな」


私の前を歩く小学生ばかりの子が大きな声で、とても困った風に言った。

この前を歩く女性がふと振り向くが、いかにも面倒くさそうな顔をして早歩きで歩いて離れて行った。


「あーこまったな、あーこまったな」


私は子に追い付いた。横に並んでまた同じように言った、私を見ながら。これは知っている、助けを求む目だ。


「どうしたの?」


私は出来るだけ優しく言った。ぱっと子の顔が明るくなった幻覚を見た。

子は私の過去を写す鏡かと思った。


「こまったことがあってね、このチョウかガかとべずに〇〇〇小学校におちてたの、だから家につれてかえるんだけど、お母さんが虫ぎらいだから、もちかえってほしいの」


私は困った。子の手に乗るのは寿命を迎えようとしている蛾だった。

私はふと昔を思い出した。虫が好きだった、蟻であれ蝶であれ、何度も家に持ち帰ろうとした。だが無理だった、小さい私には虫を玄関の扉の先に入れるのは不可能だった。なんであれ捨てられた。


私は子から預かった。


「良いよ、代わりに持って帰ってあげる」


子の顔は私ができない顔をした。


「ありがとう、たぶん風で弱ったとおもうからおねがい」


ああ。この子は知らない、蛾の命の灯火が潰えて消えることを知らない。

私の手の上にある蛾はもう亡くなったかと思わすまで動かなくなっている。

子は考えたんだろう、知らないが多い脳で知識を集めて考えたんだ。知らないだけ、子に罪はない。


「またとべるよ」


子は知らない。家で世話をしたら再び飛べると思っている、いや信じている。


「じゃあね、よろしくね」


私はにっこりと返すしかなかった。子の純朴な夢を潰すのは胸が痛む、なら……知らない方がいい。知らない方が良いことはたんまりある。

子の元気な声が頭に響く。


手元に目をやった。蛾はピクリとも動かなかくなった。

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黒心 @seishei

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