相心流棒術の思い出。(十四)
切幡寺の『相心流』の絵馬武道額に大量の武器が貼り付けてあったことは先述(注1)しましたが、どういった構成だったのかもう一度見てみますと……
左半分の構成は上から四尺の棒、同じサイズの棒に鎌ついたの。その下が細いに尺五寸くらいの棒。一番下が三尺の法杖? 一番下には薙刀のようなものがついてました。
右半分は上から三尺?くらいの木刀が三本。ただし上二本はサイズがほぼ同じ太刀。形状がやや違うように見えなくもないが、これ野ざらしで歪んだだけかも…一番下の木刀が短いけど、だけど二尺五寸はありそうな…?その下が四尺の棒が二本。どういう組み合わせなのかよく解らない。
……武器だけ取り出して並べると
・四尺棒三本
・長柄鎌
・法杖(錫杖?)
・薙刀
・木刀三本(太刀二本、小太刀一本)
・鎖鎌
(元の文では書き忘れてましたが、鎖鎌もありました)
よく古武道は総合武術と言われたりしますが、四種、五種とある流派はそんなに多くはないと思います。
というか、四尺の棒が三本ってのはどういうことなんでしょうね?
三本の木刀?
一応、このことについては最初から気にはしていたのですが、古武術だし、そういうこともあるかなー程度にさらっと流してました。
この額にある四尺棒については、棒術なんだからまあいいとして、鎖鎌とか薙刀、長柄鎌は何処か湧いて出たのか――
まったくないところから創出したという可能性も考えられますが。
三本の木刀は二刀をさしているのではないかという指摘などを頂いたり、二刀流というのは心形刀流あたりからいれたのかな? とか、法杖らしきものは『柳生神影流』の演武にそれっぽいのがあるけど、なにか関連があるのでは? とか、細かい考察は重ねていたのですけども。
そもそもからして、『相心流』当初は棒術オンリーで、『柳生流』と合わせて剣・棒の流派となったのではないか?
どういうきっかけか、そのことにふと気づいた時――ごく当たり前のことを再認識した時、何か色々なものが繋がった気がしました。
『相心流』と『柳生流』が合わせられたのと同じように、他の流派も合わせられたのではないか――
そう思ったのです。
そしてそのことを示すだろう証拠――というか、話は、すでに出ていました。
阿波に柳生流を伝えた「木村郷右衛門」は、私の観測する限りでは『柳生神影流』と『相心流』と、そして『一天藤本流』の伝書に名前が載っていたと言います(注2)。
最後の一つは伝聞ですが。
これらは「木村郷右衛門」が伝説化したことによって,本来無関係なのに伝系に取り入れられたという可能性もありますが、『相心流』の目録免状のように、併修されていくうちに一体化していったもの……ではないか。そのように思ったのです。
そんなことを考えながら『徳島の剣道』をさらに読み進めていくと、絵馬武道額の特集がされた号がありました。
県内に残されたそう多くない絵馬武道額から、また新しい流派の名前が出てきました。
『新影相心流』と『一天宗心流』というものです。
(つづく)
注1
相心流棒術の思い出。(二)
https://kakuyomu.jp/works/1177354054907730269/episodes/16817330667901321456
注2
相心流棒術の思い出。(六)
https://kakuyomu.jp/works/1177354054907730269/episodes/16817330668221710475
当時の相互さんからおしえていただいたのだけど、垢消しされてしまわれた。
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