相心流棒術の思い出。(二)
その時の私には、「相心流」についてはぴんときませんでした。
そして肝心の『武芸流派大事典』にはというと。
相心流(棒) 『武術流祖録後輯流名』に見ゆ。
としかありませんでした。
先述しましたけども、『武芸流派大事典』は基本的に綿谷先生の個人の研究なものですから、その調査能力には限度があります。
むしろ、個人で(協力者や資金援助があったにしても)あんな大著が仕上げられたのが凄まじいといえるでしょう。
しかしそれはそれとして、その当時の、二十代前半の頃の私としましては、大事典で調べてすぐ解ればそれで手間がなくて助かるのにと思ってました。
その日が正確にいつ頃であったのかはすでに忘れてしまいましたが、恐らくは96年とか97年……99年までの間だったと思います。
その頃の私はインターネットは知ってたし、やったことはないでもなかったけれど、そこで調査しようということを考えておらず、当然、今でいうところの古武道クラスタのひとたちとの交流などまったくなく、古書店を巡って見つけた古武道関係の書籍を読み、あるいはそれが新刊書店だったり……たまに図書館でなにか読んだりしつつ、どうにかこうにか、日々情報を集めてました。
まあ、当時のインターネットの精度というか、情報量では、「相心流」を調べたとしても、大した話は出てこなかったでしょうけど。
当時の同僚の一人も、この絵馬武道額については興味をもったらしく、作業員の私と違って事務員ですから、寺の方にも話を聞く機会があったようです。
それで話好きな当時のご住職さんに色々と聞いて――――
「よくわからない」
とのことでした。
いつくらいからあるのかも、よく解らないそうですが、
「鎖鎌があったが、鎖は盗まれてしまった」
というようなことをおっしゃられていた……はず。
すでに三十年前の私の記憶も曖昧ですが。
とにかくご住職さんもよく知らないとのことで、ただその三重之塔からして大阪の古刹から買い取ったものなんだそうで、もしかして、買い取った時にはすでについていたものかもしれない……などと、当時は思ったものです。
さて、その絵馬武道額、どういう構成だったかについて少し詳細を書くと、左半分の構成は上から四尺の棒、同じサイズの棒に鎌ついたの。その下が細いに尺五寸くらいの棒。一番下が三尺の法杖? 一番下には薙刀のようなものがついてました。
右半分は上から三尺?くらいの木刀が三本。ただし上二本はサイズがほぼ同じ太刀。形状がやや違うように見えなくもないが、これ野ざらしで歪んだだけかも…一番下の木刀が短いけど、だけど二尺五寸はありそうな…?その下が四尺の棒が二本。どういう組み合わせなのかよく解らない。
しかし……とにかく、当時は大量の武器に圧倒されました。
(これは本当に棒術の流派なの?)
とも思ってしまいました。
刀とか鎖鎌とか薙刀がある棒術――今なら、ありえなくもないかな、くらいには思うのですが、当時の私はそういうこともよく解らず、もしかして大事典に別にあった、居合の相心流かとも思ったのですけど、こちらは加賀の流派だそうです。
(大事典に載ってるのとは、全然別の流派なのかもなあ……)
そうして仕事が終えた後、一度だけ自分で訪れて写ルンですで撮っただけで、結局は何も進展しないままで20世紀を終えてしまいました。
私はずっとこの相心流のことを気にしつつも、全然まったくなんの進展もなく、そうして2016年になって、ようやく少しだけ話が動くのです。
(つづく)
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