相心流棒術の思い出。(六)

 2019年のその日、私は糖尿病壊疽で足を駄目にして、それでも近所の図書館にいく程度には歩けたので、そこで仕事しようとして――けど気が進まず、郷土史の本を適当につまみ読んでました。


 そこで「井上恰」の名前を見つけ出したのです。


『相心流』の目録の発行していた井上恰については、珍しい名前ということもあってなんとなく覚えてた……ということもあるのですが、見つけた時は少し驚きました。


 以下少し抜粋します(注1)。


「本町剣道の達人の例として井上恰がある。井上恰は鴨島町中島に生まれ、井上家中興の人(一三代目)で、剣道・薙刀・棒術・鎖術等について柳生流の奥義を極め」


 柳生流!


 これは不意打ちでした。『相心流』が柳生流から出たのは知っていましたが、まだ井上恰の代でも柳生流を名乗っていたとは……

 しかも同書には別に、井上恰を『相心柳生流』とも記載しています。


 相心柳生流!


 と、なんかこればかりですね。

 鴨島町というのは、『柳生神影流』の道場のあった久武館さんの石井町の隣町です。『相心流』の絵馬武道額が奉納された切幡寺は、鴨島町の川向うの、さらに上流ですから、まあ近所といえなくもありません。

 なるほど、『相心流』と『柳生神影流』は近い関係にあると推論はしていましたが、地域的にも近隣にある流派だったとは……

 そして私は、この件で郷土史も詳細を読めば武術についての記載が拾えると学んだのでした。

 幾つもの流派についての情報が入りました。

 なんで私は、こんな簡単なことをしなかったのだと、本当に後悔しました。

 いやま、郷土史で武術に興味があるひと、ほとんどいないというのは本当でしたから、自分で調べるしかないというのは変わらず、しかしすでに素材が目の前に大量にあるのを知った私は、このあたりから一つの野望――というか、目標を持つことになりました。

 それについてはまた後として。

 徳島の古武術についての情報が集まる中、それらを元にTwitter検索をすると、別に徳島の武術について調べている人にも出会います。

 そういう中で、とある人と話す中で、一天藤本流(注2)という柔術のことを知ります。正確には、幾つかの郷土書でこの流派については知っていたので、詳細を知ることになるということなのですが。

 

「私が入手した伝書では、木村郷右衛門が開祖となっていました」


 とその方はおっしゃいました。

 その時の私は、柳生流から出た柔術流派……例えば起倒流のことなどが頭をかすめていました。

 元々、『相心流』の武道額からして鎖鎌などがあり、柔術も含んでいたらしいことは知っていたので、それ自体には驚きはしませんでした。

 そうして一天藤本流までも視野にいれ、私はなんとかいける範囲の図書館で郷土書を読み、あるかなしかの古武道流派の情報を拾い集めて――


 とある図書館で、一天藤本流の伝書写真を見つけました。


 その伝系の開祖は、木村郷右衛門ではありませんでした。





(つづく)







注1 鴨島町誌

 https://dl.ndl.go.jp/pid/3027823/1/588


注2 小豆島の流派。詳細は後述する


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