大化の改新

カール・ムント

大化の改新

 俺は蘇我入鹿。日本国の大臣、つまり最高権力者だ。天皇を含めて俺に逆らう奴はこの国にいない。蘇我家は祖父の代に権力を掌握し、俺は2年前に親父から大臣職を譲られた。


 俺はまさに我が世の春を謳歌していた。だが、ある朝のこと。


 馬で宮中へ出仕する途中、強烈に嫌な予感に襲われた。


 今日、俺は殺される。


 中大兄皇子と中臣鎌足が内裏で俺を暗殺する謀議をめぐらしている。そういう〝お告げ〟が、脳の中に届いた。俺は千里眼の持ち主なのだ。この超能力のお陰で、今まで何度も危ないところを切り抜けてきた。


 宮中に入ったらもう逃げられない。俺は、避けがたい災難に自分からノコノコ出向いていくような間抜けじゃない。俺は馬を歩ませながら、後ろをついてくる従者を振り返った。


「今日の出仕はやめだ。帰るぞ」

「帰るのですか」

「そう言ってるだろ」


 俺はいらいらしてきた。頭の血のめぐりが悪い野郎だ。こいつにはいずれ暇を出すとしよう。


「天皇様に何と申し開きを」

「後で何とでも言えばいい。俺は大臣なんだから」

「そういうものですか」

「そういうものなんだよ」


 声を荒げて睨み付けると、無駄に頑固な従者もやっと納得した。俺たちは馬首を廻らし、ゆるゆると屋敷へ引き返した。


 屋敷の門をくぐると、親父の蝦夷えみしが立っていて、俺の姿を見るなり「どうした」と聞いてきた。


「暗殺の謀議がめぐらされています」

「それで仕事をさぼったのか」

「さぼった……? 命あっての仕事ではありませんか」

「大臣ともあろう者が、そんな心掛けで良いと思うか」


 親父がふざけているのか真面目なのか、息子の俺でも時々分からなくなる。この時も顔だけは至極真面目だった。


「死ぬと分かっていても務めを果たす。そのように自ら範を示してこそ、民も国のために身命をなげうって働くのだぞ」

「嫌ですね。私はまだ死にたくない」


 そんなバカを模範にされる民の迷惑も考えろよ、とは言わなかった。こうやって人をからかうのは親父の悪い癖だから、いつものことだとは思ったのだが、この日はいつになくしつこい。


「『死にたくない』だと。この不届ふとどき者め、ご先祖様に何と申し開きを」


 俺はため息をついて馬を下り、それ以上付き合うのをやめて「小腹が空いてきました。何か食い物はありますかね」と聞いた。


「何かあるじゃろ。まあ今後のことを少し話そう。奥へ参れ」


 やはりいつもの通り、俺をからかっていたのだ。だが状況はふざけている場合じゃない。


 待ち構えていた中大兄一味は、俺を取り逃がしたと知って軍勢を差し向ける公算が大きい。謀反人の汚名を着せられる前に、奴らが陰謀を企んでいたことを明らかにしないとますます形勢不利になる。


 呑気に構えてる場合ではないのだが、親父は不自然に落ち着き払っている。


「父上。中大兄皇子らが攻めてまいるかもしれませんぞ」

「いまさら慌てても仕方あるまい。まあ、入れ」


 親父の部屋で俺たちは向かい合って座った。親父が手を叩いて、はしためを呼ぶ。入って来た婢に、親父は酒と朝食の残りを持ってくるよう命じた。


「一つ、確かめたいのですが」

「何だ」

「あなたは、本当に私の父親ですか」


 親父は顔色一つ変えず、「当たり前じゃないか」と答える。俺は頭に血が上って来た。


「いいですか。せがれが虎口を逃れて生還してきたのに、なぜそう落ち着き払っているのです? せめて『無事で何より』ぐらいの言葉はないのですか」

「ならばワシも、お前に確かめておきたい」


 婢が酒と朝食の残り物を持って入って来た。女が出て行くまでの間、親父は黙って俺の顔を見ていた。


「お前は本当に、ワシの倅か」

「何ですと」

「血のめぐりの悪い奴じゃ。お前は本当にワシの倅の、蘇我入鹿かと聞いておる」

「違うというのですか。私は今朝、屋敷を出て内裏に向かい、途中で引き返して」

「騒ぐな」


 親父の顔に気味の悪い笑いが広がった。


「いいか。蘇我入鹿は今日、宮中で死んだのだ」

「バカな」

「バカなもクソもあるか。ワシの倅は宮中で死ぬ。初めからそう決まっていたのだ。お前さんがここで泣こうがわめこうが、この『事実』は変えられん」

「『事実』? 誰がその『事実』を決めたのですか」

「『世間』が決めたのよ」

「『世間』とは天皇様ですか」

「世間は世間よ。どこにでもある。今、ワシらがおるこの部屋にもある」

「……ならば、ここにいる私は、何だとおっしゃる」

「知らんな」


 その時、屋敷の外がにわかに騒がしくなった。何者かが塀の向こうから叫んでいる。


 逆臣蘇我入鹿は討ち果たされた。一族の者ども、神妙にせよ。そう言っていた。


 大嘘だ。蘇我入鹿はここにいる。お前らはどこの誰を討ち取ったというのだ。親父は涼しい顔でこうほざいた。


「ほれ見ろ。蘇我入鹿は討たれたんだよ」

「ほう……。ならばあなたは、いったい誰ですか」

「先の大臣、蘇我蝦夷」

「このクソ親父」


 俺は剣を抜いて親父を袈裟懸けに斬った。蘇我蝦夷と称するクソジジイは、声も上げず血煙を立てて倒れた。剣を捨てて部屋を飛び出すと、家人たちが青ざめた顔で右往左往している。


「静まれ」


 引きつった表情の家人頭が廊下を駆け寄ってきて、ものも言わず俺の顔をじろじろ眺めている。


「どうした。俺の顔に虫でもついているか」


 家人頭は「いえ、門の外を」と言って庭の先を指さした。


 門外に寄せてきた者たちが、塀の外から槍に刺した男の首を高々と掲げている。確かに俺に似ている。だが目を凝らして見れば、年格好や顔つきを適当に似せた男の首でしかない。万一のために用意しておいた替え玉ではなく、計略を見破られたと知って、大慌てでどこかから見繕ってきたのだろう。慈悲の無いことをしやがる。


 一味の連中は全員地獄に落ちるがいい。


「どうだ。あの首と俺と、どっちが本物の蘇我入鹿だと思う」


 家人頭はまだ疑わしそうな顔で俺を見ていたが、やっと得心が入った様子で「あなた様が若旦那様です」と答えた。俺は外の首を指差した。


「あれは替え玉だな?」

「確かに」

「よく聞け。敵は中大兄皇子と中臣鎌足らだ。俺を殺そうと待ち構えてたが、俺は宮中に入る前に見破った。もうじき敵が攻めてくる。屋敷の守りを固めるから、味方の豪族連中に応援要請を出せ。あと、それから」


 少し迷ったが、急場で優柔不断は禁物だ。俺は決心した。


「親父が乱心して俺を殺そうとしたから返り討ちにした。死骸を片付けておけ」


 家人頭は腑に落ちない様子だったが、とにかく父の部屋へ走っていった。


 急使が四方に放たれた。しかし待てど暮らせど誰も返事を寄越さない。応援の兵も姿を現さない。こうしてその日も夕刻になり、俺は敵に先んじられたことを覚った。


 奴らは俺より一足早く、「逆臣蘇我入鹿を討伐した」と一帯の豪族に虚報を流したのだろう。間違いなく俺を討ったかどうかより、そっちが優先だったのだ。それさえ済ませてしまえば、あとは人の首だろうが狸の首だろうがどうでも良いことだった。


 「蘇我入鹿は死んだ」──この既成事実さえ作ってしまえば勝ちだったのだ。


 天は俺を見放した。悔やんでももう遅い。


 俺は屋敷にいる者たちだけで抗戦する覚悟を決めた。


 敵勢は翌朝になって攻めてきた。俺は、自分が本物の蘇我入鹿だと叫びながら悪鬼のように戦い、そして討ち取られた。



 怨霊になった俺は、自分の首が即座に替え玉と取り換えられたところを確認した。



 それから数世紀の間、俺は事あるごとに生者に憑りつき、事件の真相をそいつらの口を借りて語ったがすべて握り潰された。空しい努力を続けることに疲れ果てた俺は、ある時政府の雇った腕利きの呪術師の手に掛かり、神社の奥に封じ込められた。



 ここは暗い。うらみの念ばかりが募るが、力がない。力が回復しさえすれば封印を破り、外界に躍り出て、真相をもう一度暴露してやりたい。


 映画やドラマの脚本にうってつけの劇的クーデターが成功したわけじゃないってことを、万人に知ってもらいたい。


 その思いが、今も俺を苦しめ続けている。



 おわり

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