詐欺師の祈り
「ああ、くそっ! 何だってんだ、一体よ! 左腕も折れたし、誰がどう責任取ってくれるってんだよ、ああっ!」
理不尽な目に遭って、怒り狂う男を演じながら、レフの視線は冷静に周囲を探索する。すると、視界の端に登ってくる影があり、ゆっくりと覚られないよう振り向いた。
アズレトだった。ただ一騎だけで彼はレフの元に現れたのだ。アズレトが機甲兵を退けた事情など知らず、戸惑いもしたが、演技は続行することにして、登ってくるアズレトに詰め寄っていく。
「ふざけんなよ、てめえ……あっ! おまえ、ベクラで会ったやつじゃねえか! なんなんだ一体? なんかあんたの癇に障るようなことしたのかよ?」
アズレトにすごんで見せたものの、彼は無反応で、ただレフの周りに目を向け、最後にまたレフへと視線を向けた。まるで数万本の針をまとめたかのようなとげとげしさにレフはしばし演技をすることを忘れた。
アズレトは視線以上にとげとげしい口調でレフに問うてきた
「女はどうした?」
「知らねえよ! おれが聞きてえよ! あんたらに吹っ飛ばされた時にあいつもどっか行っちまったんだよ!」
「ふん。ならいい」
リェータを追ってきた割にはあまりにも淡泊な反応に、レフは面食らって、再び演技を忘れた。アズレトの目的がどこにあるのか、わからぬだけに不気味だったが、さらに追い打ちを掛けるように衝撃的な言葉が彼の口から飛び出してきた。
「もう小芝居はいい、レフ・グレフ。ここにはおれと貴様しかいない。腹を割って話すにはちょうどいいだろう?」
すでに名前まで露見していることを知り、レフが受けた精神的衝撃は決して小さくなかったが、そこまでわかっているのならばと開き直ることもできた。
「んだよ。すでにばれてんのかよ? で、どっからおれだってわかったんだよ?」
「ベクラからと言いたいところだが、実はそうではない。貴様のことは以前から知っていた。まあ、正確に言うのなら、グレフ家のことを調べるうちに貴様を知ったのだがな」
名前どころか、素性まで調べ上げられていたらしい。もうここまで来ると驚きと言うより自棄になってくるが、アズレトの言葉が正しいとして、一つ疑問が浮き上がる。レフはそれをアズレトにぶつけた。彼もまた今更隠し立てなどしないと思ったからだ。
「だったら、なんでベクラでおれを捕まえなかったんだよ?」
「貴様らを捕まえる気など毛頭ないわ」
「は? だって、おまえら、おれじゃない方を捕まえるために追ってきたんじゃないの?」
「ふん。直に死者になるやつに女など必要あるまい。あの奴隷女がどうなろうと、おれの知ったことか」
アズレトに名前や素性を知られている以上の衝撃がレフを襲う。ならば、今までの追跡や攻撃はヨシフから出ている命令とは異なる意図で動いているということではないか。アズレトは独断で第八皇子の私兵を動かし、行動しているのと同義だった。明らかな越権行為であり、この一事だけで軍法会議に処されても仕方がないというものだ。
しかし、アズレトに恐れている風は微塵も感じられない。レフのような小悪党とは違い、腹の据わりようはどうやら本物のようだ。
ならば、アズレトはレフを追っていたとでも言うのだろうか。それこそ、理解のできない行動だった。グレフ家に興味があるとしても、レフには何もないことは調べればすぐにわかったはずだからだ。レフとしても、その辺は確認せざるを得ない。
「じゃあ、おれを追っていたってことかよ?」
「その通りだ。こうやって二人で話す機会を作るのに難儀したがな」
「ずいぶんと大げさじゃねえか? こんなことしなくても、そんな機会はいくらでも作れただろう?」
「では、詐欺師の貴様がおれの招待に素直に応じたか?」
確かにアズレトから直々に呼ばれたとあれば、まず疑心が生じるはずだ。その結果、無視して、放置するに違いない。
気持ち悪いくらいに調べ上げられ、それでいて、なおアズレトがレフに執着する理由見つからない。レフは思い切って、腹の内を明かしてみせた
「あのさ、もしグレフ家の遺産とかを狙ってんだったら、とんだ見当違いだぜ。おれ、五歳の時にはすでに救児院にいたしよ」
「知っている。おれが興味を持ったのは、確かに帝国に飛躍的革新をもたらしたグレフ家がその技術をどのようにもたらせたかだったが、貴様自身を調べていくうちにさらに興味深いものが出てきた。その光の禁呪だ」
レフにとって、光球による瞬間催眠は切り札だった。だからこそ、一人で残ったし、何とか切り抜けられると思ったのだ。
しかし、あらかじめレフの力を知っていれば、対処のしようはいくらでもある。さらにその力は使い方次第でどんな相手も意のままに操れるとあれば、その力を求めるものが出てくるのは必然である。そう、眼前のアズレトのように。
アズレトは鋭いまなざしでレフを真っ直ぐ貫き、意外なことに賞賛の言葉を発したのだ。
「さらにおれの『予知』をかいくぐっての逃走、見事というほかない」
「予知だって?」
「そうだ。貴様の禁呪と同じようなものだ。こちらは闇の禁呪だがな」
これでアズレトが行く先々に現れたことも理解できた。すべてにおいて、先回りできなかったのはその力もそう都合よく使えるわけではないからなのだろう。
しかし、制約があったとしても、アズレトはついにレフに追いついた。アズレトに力で及ばなかった証拠でもある。レフは唇を噛みしめた。
「はっ! 世の中うまいことできてるじゃねえか」
レフは自身の力が万能だと思ったことはなく、慢心したこともないが、通用しない相手がよりにもよってアズレトだと、確かに世の中うまくできていると毒づきたくもなる。
アズレトはレフの内心を知ってか知らずか、驚くべき提案を突きつけてきた。
「投降し、おれの部下になれ。くすぶっていたのだろう? なら、おれがその力を存分に使ってやる。貴様にはおれが生の充実を与えてやろう」
最初、レフはアズレトの言葉に意味がわからず、思わず眉をしかめたが、理解が浸透するにつれ、悪い条件ではない、いや、破格の対応をいぶかった。
誰かに仕えることに至上の喜びを見いだすものにしてみれば、落ちぶれている我が身をここまで理解し、用いてくれることに感涙したことだろう。
しかし、条件が足りない。レフは半歩退いて、身構えると、低い声でアズレトに問いただした。
「じゃあ、リェータはどうなる?」
「リェータ? ああ、あの奴隷女か。それほどまでにほしければ、貴様にくれてやる。好きにしろ」
条件はこれで整った。レフにしてみれば、断る理由は何一つなくなったのだ。譬え従うふりをしていても、レフとリェータの安全は保証されたようなものだ。この期に及んで、アズレトが口約束だからと反故にするようなまねはすまい。ここに至るまでの自身の労力まで否定するとは思えなかったからだ。
しかし、レフは大きく口の端をつり上げた。アズレトの提案を受諾したのではなく、拒否の笑いだった。誰かに膝を屈して生きるのは趣味じゃない。レフとアズレトの関係は部下と上司ではなく、奴隷とその持ち主になることは明白だったからだ。
「おれのこと調べたってんなら、知ってるはずだよな。おれが奴隷をひどく嫌ってるってことによ。奴らときたら、陰気くさいし、辛気くさいしで、ろくなもんじゃねえ。おれはずっとああなりたくねえって思ってたし、今も思ってる。だから、おれの言いたいこと、あんたには通じているはずだよな?」
答えを聞かずとも、アズレトの眉根が大きく動き、仮面のような顔がひび割れ、そこから激情があふれだそうとしていたからだ。声もかすかに枯れていた。
「なぜだ? 貴様にしてみれば、これ以上ない厚遇だぞ。それをなぜ拒否する?」
「おれさ、あんたと違って、出世とかに興味はないんだよ。ああ、もちろんあんたの生き方を否定しているわけじゃない。むしろ立派だって思ってるぜ。向上心があるってことはすばらしいことさ。でも、おれはもう少し自由に生きていきたいね」
「詐欺師で生きることが自由だとでも言うのか? 天から与えられた能力をどぶに捨てると言うのか?」
「ああ、確かにそれを言われると、耳が痛いわ。まあ、だけどゆっくり探していくよ、別の道をさ。おれもまだ十六だし、どこかで何か見つかるだろ?」
先のことはわからないが、少なくともアズレトともに歩む未来だけはない。ここにおいて、二人は完全に決裂し、後は対決する以外に道はなかった。
「いいだろう。貴様のいう未来とやらをここで閉ざしてやる。せいぜい後悔しながら、死ね」
「殺伐としてるなあ。ここで円満にお別れするってことはできないのかね?」
「言っておくが、貴様には逮捕状が請求されている。それをおれが握りつぶしていたが、もう容赦する必要はないな」
「そりゃどうも。じゃあ、なおさら国外脱出しないとな」
レフはそう言うと、周囲に光球を展開させた。いくら対処法があろうとも、これだけの数をアズレトが凌ぎきれるか、興味がわいた。
「無駄だと言っているのがわからないか?」
「やってみなきゃわからないだろ?」
「だったら試してみろ」
アズレトの許可を得たので、レフは遠慮なく光球をアズレトに向けて飛ばしていく。光球は至近距離で視認しないと発動しないという欠点があり、しかも少しの衝撃で壊れるというもろさも備え持っている。
アズレトは剣を抜き、近づく光球を片端から斬り捨てていく。その剣の技の冴えは彼の才能と努力のたまもので、動きはまるで舞っているかのように華麗だった。
加えて、光球を捌きつつ、アズレトは徐々にレフとの間合いも詰めてきたのである。レフの攻撃も次第に単調になっていき、指呼の間からの攻撃も難なくはじかれてしまう。そうしているうちに、ついにアズレトはその間合いにレフを捉えた。
必殺の一撃をたたき込もうとしたアズレトだったが、よもやレフに誘い込まれたとは思わなかった。演技力はレフの方が一枚上手だったと言えよう。
レフはアズレトが間際まで接近するのを、心を削りながら待ち、その瞬間が訪れた時、最後に残った光球をアズレトへと向けた。
当然、アズレトは斬りにかかるが、その直前、光球はすさまじい勢いで膨らみ、周囲を白濁した闇に包み込んでしまう。
目くらましと思った瞬間、アズレトが咄嗟に腕で顔を覆ったのは上出来と言えよう。それでも一時的な視力低下は免れず、光の中、レフが背を向けて逃げる姿がかすかに映るだけだった。
アズレトは逃がさないとばかりに、レフの背中めがけて剣を投げつけた。中るなどとはアズレト自身、苦し紛れの行動だっただけに、肉を切り裂き、骨を砕く音とうめき声が聞こえてきた時は思わず自分自身の耳を疑ったほどだ。
レフは今までの幸運のつけをここで支払った形となっていた。アズレトが投げつけた剣は回転しながら、レフの左の肩甲骨に当たり、皮膚と筋を裂いて、骨を割ったのだ。かろうじて肺には届かなかったものの、出血と痛みは相当なものだった。
ともすれば、意識を失いそうになるのを堪えて、一歩、また一歩と山頂めがけて登っていく。
リェータがこの先で待っている。それだけが彼の希望であり、生への渇望に繋がった。そうでなければ、途中で座り込んで、緩やかに訪れる死を待ったに違いないのだから。
レフは途中何度も振り返って、アズレトの様子を見たが、視力はまだ回復していないようだが、異変を察知した機甲兵が三体ほど上官の下へと集まってきていた。
急がないと追いつかれる。レフは焦り、葛折りの坂を横断しながら、真っ直ぐ山頂を目指す。
九合目、山頂まであと少しというところでレフの意識は何度か途絶えかけた。出血は先ほどではないが、激痛が彼の意識を持っていこうとしたのだ。
登る。それ以外にレフはできない。足を一歩踏み出しては、滑り落ちそうになり、それでもたゆまず進んでいく。
もうアズレトも、機甲兵も追ってこなかった。途中、アズレトが狂ったように哄笑しながら、「ついにあの豚が死んだ!」と快哉にも似た声で叫んでいた。
「ま、再就職がんばってくれ」
レフはまだアズレトを気遣うだけの余裕があることに驚いたが、同時に恐ろしいことにも気づいた。あれほど苦しい痛みがなくなっていたからだ。死に瀕したとき、人はその苦痛から解放されるために脳は麻薬よりも強い鎮痛物質を出すのだと何かの本で読んだことがあったからだ。
「くそっ! 死にたくねえなあ」
ようやく自分がしたいことが見えてきたのだ。この先に、山頂を越えれば、きっと見つかる。レフは頂に手を伸ばす。
その手を誰かがつかんでくれたような気がした。かすむ視界の先にはリェータがいた。リェータは涙顔でレフを介抱している。
「先に行けって……言っただろ?」
「一人はいや! レフと一緒じゃなきゃやだ!」
「こんな時に我が儘言うなよ。ほら、これを見るんだ」
おれの旅はここまでだ。その思いで、レフは力を振り絞って、光球を出し、リェータの顔に近づけた。必死になって、レフの傷の手当てをしていたリェータの瞳から光が消えていく。
「いいか、よく聞けよ。これからおまえはレフ・グレフってやつを忘れて、一人で行くんだ。なあに、大丈夫。ここからずっと南に行くと海に出る。海を左手に見て、そうそっちの手だ、真っ直ぐ進むとやがて船が泊まっている港があるはずだ。そこに行って、大陸に渡る手筈を整えろ。金はおまえが持っている鞄の中に入ってるから。だから、さあ、行け。もう自由なんだ。おまえの、おまえだけの人生を全うしろ」
レフはリェータの背中を軽く押すと、彼女はゆっくりと下山していった。その足取りは危うかったが、光球がなくなれば、力強く故郷への道を歩き出すだろう。
「そうだ、行け」
レフは近くの崖に背を凭れさせ、リェータの姿が見えなくなるまで見送ったが、次の瞬間、膝から崩れ落ちた。起きようと思うも力が入らない。あまりにも血を失いすぎたのだ。「何だ、ここまでかよ?」
レフの息はすでに浅く、早い。手足の先がなくなってしまったかのように冷たくなっていく。これが死というものかとレフは無感動にそれを受け入れようとした。
悪い気はしなかった。最後の最後で誰かの役に立つことができたという思いは、譬え自己満足だとしてもかまわない。
「あ、そうだ……あいつの本当の名前、ついに聞きそびれたなあ……」
レフの意識が完全に闇へと落ち込む時、彼はちょっとした心残りを抱えてしまったことを後悔した。
だが、その理不尽もすぐに終わる。だからレフは恨み言を吐くより、最後は祈ることに費やした。
リェータがこの旅を無事に終えることができますようにと。
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