旅の終わり

 人生で最も落差の激しい一日をレフとリェータは味わっていた。


 ジュアムを抜け、南に走らせること一時を過ぎた頃だろうか、突如機甲兵二体の待ち伏せを受けたのである。


 気構えを崩していなかったのがせめてもの幸いで、突如の不意に対しても、身体がまず反応した。意識はその後についてきたが、恐慌に陥らないようにするだけで精一杯でとても状況を把握できたとは言えない。


 それでも渦中に身を起き続けたことで、徐々に冷静さを取り戻し、追ってくる機甲兵の詳細を見るだけの余裕ができてきた。


 機甲兵の肩に描かれた紋章は立金花。間違いなく第八皇子の手のものだ。当然、傍にはアズレトが居るはずだと思ったが、少なくとも視界に入る場所にその姿はない。


 ならば逃げうる。レフは自分の手足の如くタルナーダを操り、機甲兵を翻弄させた。このまま、彼らの電晶石切れを狙いたいところだが、稼働時間は軍事機密なので、レフが知るよしもなく、かすかな希望に縋るしかなかった。


 しかし、先に電晶石が切れかかったのはタルナーダの方だ。走行中の電晶石の交換は危険だと充分に言い含められていたが、それを律儀に守っている余裕はない。


 レフはレバーを引いて、機関部から電晶石を取り出すと、別の電晶石をそのまま取りつけた。


 外された方の電晶石は機甲兵へと投げつける。ちょうど機甲兵の足下に転がり、そのまま足の裏に吸い込まれた。するとうまい具合に電晶石が無限軌道に絡まったらしく、均衡を崩して、甲冑の表面を削りながら転がっていく。


 一度転倒すると、いかに軽量な二型と言えど、そう容易に立ち上がれるものではない。さらに転んだ拍子に配線の一部が途切れたか、あるいは中の兵士が傷ついたか、右手が動かない様子で、自力で立ち上がるのは困難を極めた。


 これで一体脱落と思ったが、状況はそれほど好転しなかった。まず転倒した仲間を見捨て、もう一体はレフたちを追ってきたのだ。しかも、すぐに新手が二体現れた。


 合計三体になった機甲兵に追われたばかりか、さらに二体が追加され、レフたちを半包囲しながら、南へと追い詰めていく。


 罠にはまったことを理解したが、時すでに遅く、南以外の逃走経路はすべてふさがれてしまった。


 どうやら彼らはどうしてもレフたちをビエーシ峠へと追い込みたいようだ。おそらくその先にアズレトが待っているのだろう。


「ちっ! わかったよ! だったらついてこい!」


 レフは加速装置を全開に絞った。すると、タナルーダは悍馬の如く前輪を浮かせたが、レフは強引に前輪を押さえ込む。前輪が再び接地した時、すさまじい急加速がレフとリェータの身体を後ろへと引っ張っていくかのような感覚を与えた。


 最高速度は機甲兵が上でも、加速性能はタナルーダの方が遙かに優れていた。一瞬で彼我の距離を開くが、直線では追いつかれ、両者はつかず離れずを繰り返しながら、ビエーシ峠へと近づきつつある。


 彼らが本気なれば、とうの昔に追いついていただろうが、後方から追う機甲兵の役目はアズレトという網に追い込むためにあった。


 その証拠にアズレトはビエーシ峠の入口で機甲兵二体を従えて、待ち構えていた。レフもその姿を視認した時、アズレトはかすかに笑ったようにも見えた。


「策が思い通りにはまってご満悦ってか? 最後までそううまくいくと思ったら、大間違いだからな。鼠だって、追い込まれりゃ、猫の喉笛くらい食い千切ることができるんだからよ」


 レフは虚勢を張っているというわけではなく、本気でアズレトに一矢報いてやろうと思っていたのだ。


 基本はアズレトさえ何とか潰してしまえば、機甲兵と言えど、頭脳を失った瞬間に雑兵と堕す。


 レフは車輪の先をアズレトへと向けたままだ。そのまま轢き殺すとまではいかずとも、追うのが不可能な傷を負ってくれればいい。起死回生の一手と言うには、あまりにもずさんな手だったが、方向性は間違ってはいないのだ。


 しかし、アズレトはよけようともしない。それどころか、馬を前へと、レフに向けて走り始めたのである。


 もう退くわけにはいかない。退けば、その瞬間に包囲網が完成してしまうからだ。突破する以外に選択肢はなかった。


 激突の直前、レフは身を低くし、衝撃に備えたが、いつまで経ってもそれは訪れず、代わりにとんでもないものを目撃した。レフが身を伏せる一瞬、いや、それよりも短い刹那の時間にそれは起こった。


 アズレトは馬ごとレフの視界から消えたのだ。正確にはレフの頭上を飛び越えたのだ。高速で突進してくる電導二輪車に臆することもなく、乗馬の冴えを誇るかのように、アズレトの乗馬もまるで天満の如く、軽やかに跳躍してみせたのである。


 レフたちの後方で着地の音がしたが、それにかまう余裕はなかった。アズレトともにいた二体の機甲兵が立ち塞がったからだ。


 すでに後方は壁の如く、六体の機甲兵が防いでいる。前方を突破する以外に道はなかった。


 レフは諦観に身を委ねない。自分一人だったのならば、レフは自尊心も何もかも捨てて、アズレトに慈悲を乞うただろう。捕まるのは恐ろしかったが、それ以上にリェータが彼らに連れて行かれることに耐えられそうになかった。


 そのあきらめの悪さが、針の穴に糸を通すような逃走路を見いださせる。レフは光で示された道を駆け抜けた。


 かすかに接触したが、レフにもリェータにも傷一つなく、彼らはそのままビエーシ峠へと突入した。


 ここでようやくアズレトの表情に焦りが見え始めた。よもやこの完璧な包囲網を突破されることを考えていなかったからである。このビエーシ峠を越えたら、いや、山頂まで辿り着いてしまえば、そこからは領外なのだ。なんとしても阻止せねばならなかった。


 アズレトは鋭い声で機甲兵に命を下す。


「何をしてる? 追えっ! 多少手荒なことをしてもかまわん。ただし、絶対に殺すな!」


 機甲兵に手加減しろというのは蟻を殺さないように踏めと言っているようなもので、命令としては過酷だが、平然と口にできる辺りが、アズレトという人間の本質なのだろう。


 しかし、軍人にとって、命令とは絶対であり、不可侵だ。死ねと命じられたら、即座に死ななければならない。当然、近代的な軍隊においては上官の命令にも制限が設けられるものの、死ねと言われるよりは遙かにましであると思えば、この程度の命令は受諾できる範囲内だ。


 すべての機甲兵で追うのは道が細いために得策ではなく、すぐにレフたちを追うための部隊が再編成される。四体で一隊をなし、いずれも熟練者揃いの精鋭だ。彼らはすぐに追尾を開始した。


 ビエーシ峠は長い坂道とほぼ反転するかのような曲がり角が延々と山頂まで続く葛折りとなっている。


 二型は一型に比べて、登坂能力は確かに高かったが、その重量が障害となり、出力的には速度が上がらないのが現状である。


 しかし、その構造的問題を、彼らは操縦技術によって補った。新編成された追尾隊は直線の坂道をそのまま進むようなまねはせず、右左右左と規則よく折れ曲がりながら進んでいったのである。


 アズレトらがあっけにとられている間に、二合目まで登っていたレフだったが、下から上がってくる機甲兵の動きを見て、すぐに追いつかれることを覚った。


 そこでレフも彼らのまねをして、Z字形を描きながら登ることにした。少しではあるが、速度が上がった。


 だが、レフの運転技術は未熟の域を半歩も出ていなかった。加えて、タナルーダの出力機関は非力であり、思った以上に坂を登ってくれなかったのだ。


 レフと機甲兵の技術の差は歴然としていて、レフとリェータは四合目に届かないうちに追いつかれてしまった。


 機甲兵の目的は抹殺ではなく、制圧だったので、いずれも火器の類は持っていなかったものの、レフたちには何の慰めにもならない。


 機甲兵の先頭にいた一体が巨大な槍を振り上げ、躊躇なく振り下ろしてきた。レフは急いでハンドルを切ったが、体勢を崩し、側車側が浮き上がってしまう。


 しかし、リェータが身体を乗り出して逆方向へと体重を掛けてくれたおかげで、転倒せずにすんだ。


 それで息をつく間もなく、別の一体からの攻撃を受けるも、彼は最初の機甲兵ほど思い切りがよくなかったらしく、長柄の武器を振り下ろそうとして、途中でその動きを止めてしまった。


 ここで彼らも手詰まりの状況に陥ったことを覚ったのだろう。殺さず捕獲するという命令を忠実に果たそうとするのならば、武器を振り下ろすなんてまねができるはずもない。最初の一体が軽率だっただけで、すぐに彼らはその愚に気づかざるを得なかった。


 だからといって、手を拱いていれば、レフたちは悠々と機甲兵に見送られて、領外へと逃れてしまう。


 五合目まで対処法がなく、電導二輪車と機甲兵の奇妙な車列が続くところに、アズレトが追いついてきた。乗馬で追いついてきたのは奇跡と言ってもいいが、彼はそれを誇るでもなく、逆に怒声を上げていた。


「何をやってるか、馬鹿ども! 後輪を狙え! その程度のこともわからないか!」


 機甲兵たちの労に報いるでもなく、ただ罵倒するアズレトは狭量そのものだったが、その言葉の中に理があったのもまた事実だ。


 実行は最後尾にいた機甲兵が受け持った。彼が最も繊細な作業ができるからという理由だったが、誰もが責任を負いたくなかったからというのが主たる理由だった。貧乏くじを引いた機甲兵はやむなく先頭に出て、慎重に間合いを測った。


 一方でレフもそうはさせじと蛇行運転を繰り返し、安易に距離を測らせまいとする。しばらく彼らの虚々実々の駆け引きは続いていたが、やがて機甲兵は長柄武器を薙ぐ構えを見せた。


 それを見たレフは機甲兵の行動を自分を斬るつもりだと誤解してしまう。ならば、その機に合わせて、身体を沈み込ませると考えて、それが間違いだと気づかされた。


 機甲兵はレフの身体ではなく後輪を狙っていたからだ。その意図に気づいたものの、この狭い道の上では避けようがない。逃げうるのは前方しかないが、これ以上速力が出せない以上、これも不可能だ。


 せめて傷が最小限ですむようにとのレフの祈りは天に通じなかったばかりか、さらなる不幸を呼び寄せてしまった。


 機甲兵が薙ぎ払った武器は寸分違わず、その切っ先を後輪に当てることができたが、両断できず、食い込んでしまい、あろう事か、電導二輪車を持ち上げ、そして、そのまま宙高くに放り上げてしまったのである。


 レフとリェータは七合目近辺まで飛ばされ、道路と道路の間の灌木に二人して落ちた。幸い灌木が衝撃を吸収し、さらに持っていた荷物が緩和剤となって、リェータを怪我から守った。


 しかし、レフはそうはいかなかった。左腕から落ちた彼は落下の瞬間、乾いた木をへし折ったかのような音とその直後に鋭い痛みが全身を駆け抜けた。


 二人の落ちた場所はほとんど同じようなものだったにもかかわらず、少しの違いが明暗を分けた。


 リェータが悲鳴に近い声を上げながら、レフに近づいた。レフは自分に起こった状況を確認し、再整理してみた。


「こりゃ、左腕いったな。ほかは擦り傷だらけだ。くそっ、なんて無茶しやがる。あいつら、リェータを捕らえにきたんじゃねえのかよ? 殺したら、おまえら全員首括ることになるってことわかってんのか?」


 逃走奴隷と逃亡幇助犯を追いかけるのは本来警邏隊の仕事であり、アズレトたちはその職分を犯してまで追いかけてきたほどだ。ヨシフのリェータへの執着は推して知るべしである。


 にもかかわらず、これほど強引なやり方をしてくると言うことは、彼らの事情が変わったと言うことだろうか。


 いや、そんなことを考えることに意味はない。今は少しでも山頂目指して登るべきだった。


 立ち上がろうとした時、レフは左腕に激痛を感じ、そのままうずくまってしまう。


「レフ!」


 心配そうに顔をのぞき込むリェータに向かい、レフは脂汗を流しながら、リェータにこう告げた。


「先に登れ。やつらはおれがここで足止めするから、早く行け!」


「だ、だめ! レフ一人、危ない。わたし、残る!」


「いいか、よく聞け。これはなおまえを取られたら負けなゲームなんだよ。おまえが生きていれば、おれはそれを取引でつかえるんだ。わかるか? おまえさえ生きていれば、おれもそれまで生かされるってことだ」


 レフは震えるリェータの頬を軽くなでてやった。


「大丈夫だ。おれは後からちゃんとついていくから。だからこの山を下りたところにある街で待ってろ。金はおまえの持ってる鞄の中に入ってるから、宿を取って待ってくれ。いいな?」


「レフ、約束」


「わかってる。おれはな、最低のくず野郎だが、約束を破ったことがないのだけは自慢なんだよ」


 嘘である。約束も信義も時に何の感慨もなく裏切ったことなど、数え切れないほどだ。そうしなければ、自分が騙され、最悪殺されていたかも知れないからだ。


 だが、リェータを安心させるための方便をついたとしても、罪にはなるまい。なったとしても、つまらない罪状が増えるだけで、今更どうということもない。


 リェータはなおも言葉を重ねようとしたが、これ以上ここにとどまっていては二人とも捕まってしまうと思い直し、レフを何度も見ながら、ビエーシ峠を登っていく。瞬く間に九合目を過ぎ、やがてレフの視界から消えた。


 レフはそれを見届けると、大声でわめきながら、道路へと飛び出した。

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