遷都祭に紛れて

 レフが一通りの用事を済ませて、ブラート救児院に戻ってきたのは日も暮れた頃だった。周囲を見渡し、つけているものがいないことを確認してから、中に入ろうとしたら、リェータの悲鳴のような声が聞こえて、扉を蹴破らんばかりに室内へと転がり込んだ。


「あー、似合うね、それも」


「そう? あ、レフ、お帰り」


 室内に入ってみると、ユリヤがリェータを着せ替え人形のように服を着替えさせ、孤児たちを観客とした服飾展示会のような趣になっていた。その様子を見た瞬間、レフは膝が崩れかねないほどのすさまじい疲労感が心身を蝕んでいく。そこに喜色を満面に浮かべたリェータが服をひらつかせながら、やってきた。


「レフ、これ、似合う?」


「あ……ああ、似合ってんじゃねえのか?」


 リェータとしてはレフの褒め言葉を待っていたのだろうが、あまりにも素っ気ない評価だったので、たちまち彼女の表情に暗雲が立ちこめていく。ふてくされたようにレフから顔を背けると、山積みになった服の中から次はどれを着れば、レフをあっと言わせられるかを考えているようだ。


 実のところ、レフはリェータに見とれていたのである。白を基調とした服はリェータの肌の色と相まって、彼女の美しさを際立てていたからだ。だからといって、そんな恥ずかしいことを言えるわけがない。男子の沽券に関わるというものだ。


 そんな安っぽい虚栄心を見透かしたかのように、今度はユリヤがにやけながら、レフの許へと寄ってくる。


「だめだなあ、レフは。女心というものが何もわかってないんだから」


「おまえが考えている女心と世間一般のそれは違うものだからな」


「何だと、この野郎? やんのか、こらぁ?」


 女心を知るものは下から抉り込むように睨みつけてはこないと思うだが、レフはあえて沈黙を貫いた。ユリヤと女心について、妥協点も決着も見いだせない論議に明け暮れるなど、時間の浪費以外何物でもないからだ。代わりに聞いたのは別のことだ。


「にしても、買い込みすぎじゃねえか?」


「買ったのは少しだけだよ。レフは知らないだろうけど、この近くに演劇の学校ができてね、そこからいらない服を貰ってきたんだよ。向こうも救児院に寄付するってなると、いいことしたみたいに思ってくれるから、こっちも気を遣わないですむし。あ、買ったのはちゃんとリェータに持たせるから、安心していいよ。残ったのはあたしがちょいちょいと直して、みんなに着させるか、売るかするから」


「へえ、おまえ、裁縫なんてできたのか?」


「まあね。家計の足しになると思ってさ」


 このブラート救児院で経済的観念があるのはどうやらユリヤ一人らしい。多少見直したところで、レフはユリヤに注文をつけた。


「リェータの服は動きやすくて、地味目のものにしてくれ。目立つのは避けたい。ただでさえ、人目を引くからな、あいつ」


「ああ、そのことなんだけどさ、あたしに考えがあるんだけど。実はさ、化粧すればいいんじゃないかなって思うんだ。そうすれば、かなりごまかせると思うし」


「なるほど。さすが女心の理解者は違うな。化粧の仕方、教えてやってくれ」


「え? あたし、知らないけど」


 レフは全面的にユリヤへの賞賛の言葉を取り消したが、提示された案は確かに有効な手段であろう。自己流でも、リェータには化粧の仕方を覚えて貰いたいところだ。少なくとも、ぱっと見ではわからない程度のごまかしができればいい。幸いなことに化粧道具も演劇の学校とやらから譲り受けたようで、あまりかさばらないものだけ荷物の中に入れることにした。


「で、余った金はやるって言ったが、何に使ったんだよ?」


「ああ、それ? 今日の夕食が少し豪華になるんだよ。みんな、喜べ! 今日は肉だぞ!」


 ユリヤの言葉の後半は孤児たちに向けたものだ。孤児たちは一瞬唖然とした表情を浮かべていたが、理解が染みこむやいなや、歓喜が爆発したように騒ぎ始めた。中には泣き出す孤児もいる。そこまでつましい生活を強いられていたかと思うと、さすがのレフも同情を禁じ得ない。レフがここにいた頃も、毎日の食事も欠く有様だったが、飢えた記憶はない。そう思うと、歴代の院長もうまく経営したものだ。もっとも、背後にはよからぬ目的があったのだろうが。


 ブラート救児院が一時的な狂乱に陥っているところに、顔や服を黒く汚したヤンが帰ってきた。廃棄処分寸前の電導貨車を譲り受け、今日一日、ずっと整備修復していたのである。


「いやあ、疲れた疲れた」


「おう、お疲れ」


「ああ、レフ、帰ってきてたんだね? で、この有様はどういうことだい?」


 レフが簡単に事情を話すと、ヤンはすまなそう顔を向けてきた。今日の食事がレフの金によるものだと思ったからだろう。余人ならいざ知らず、ヤンに恩を売るつもりはないので、あえて言葉にして、謝辞を拒絶した。


「そんな顔すんな。それより貨車の方はどうなんだ?」


「ああ、何とかなりそうだよ。ばらした動力機関を再び組み立ててる途中で部品が余ったりとかしたけど、一応動くことは確認できたし」


「すげえ不安になってきた。本当に大丈夫なんだろうな?」


「大丈夫。今度はきっとうまくいくよ」


 この自信は何を根拠にしているのだろうか。浮き沈みの激しいヤンの性格を知悉していたとはいえ、やや浮かれすぎなのが気にかかったので、念のため釘を刺すことにした。


「楽観すんな。常に最悪を想定しろよ」


「ご、ごめん、レフ」


「まあ、動くようになったんなら、そこはいいとしよう。荷台の方の改造はできたのか?」


「そっちの方はばっちりだよ。どこから見ても、二重底には見えないようにしたから」


 わざわざ荷台を二重底に改造して貰ったのは、そこにリェータを「詰め込む」ためである。多少窮屈だが、西都から十分に離れ、近くに機甲兵がいないことを確認できるまでは我慢して貰うほかない。まるで密輸業者みたいだと笑いたくなるが、実際似たようなものだったので、その笑いも引っ込んでしまう。


 とまれ、これで準備は整った。その夜のブラート救児院は賑やかで楽しいものだった。これほど大勢と食卓を囲むことはもうないだろう。リェータも実に楽しそうで、自分の分の食事を小さな孤児に分け与えたりしている。レフは既視感と違和感の両方を抱えながら、その様子を眺めていた。


 かつて、ここにいた孤児たちには一様に悲壮感が漂っていた。状況としては、貧窮の度合いが増しているとはいえ、子供たちに暗さは感じられない。ヤンの教育がよろしきを得たのだろう。それを思えば、ヤンは誰よりも教育者として優れていたのだ。


 後は経済的観念を持つものが参謀としていればいいが、ユリヤがそうなりつつある。何の問題もなかった。心置きなく異物である自分はここを離れることができる。多少の寂寥感がレフの胸を刺すも、とうの昔に巣立ってしまった以上、古巣に戻るわけにはいかない。


 そして、もう二度と戻ることはない。レフはこの名残惜しさを噛みしめ、今夜くらいは何もかも忘れて、楽しもうと考えたが、それが間違いの元だった。


 いつ眠ってしまったのだろうか、レフはいつの間にか食堂の床に寝転がっている自分に気づいた。今何時だと思ったその瞬間、総毛立つ。西都は東側にグラン・ユグムがあるため、正午辺りまで薄暗い。窓の外が明るいということはすでに日は中天に上り、出発予定時間を大幅に過ぎているということでもある。慌てて跳ね起き、傍で芸術的な格好で寝ているヤンをたたき起こした。


「起きろ、馬鹿! もう昼だぞ!」


 予定では朝方に出発する予定だったのだ。ベクラまでは往復三日かかることを考えれば、ヤンたちも早いうちに出た方がよいと考えたからだ。にもかかわらず、誰一人起きなかった。幸い荷物は昨夜のうちにまとめてあるし、リェータの準備が整えば、すぐにでも発つことができる。


 そのリェータの姿は食堂にない。レフは急いでヤンの寝室に入ると、ベッドの上でユリヤと絡まるように熟睡するリェータを発見した。よくこんな態勢で気持ちよく眠れるものだと半ば感心しつつも、レフは荒々しくリェータの肩を揺すぶった。


「おい、起きろ、リェータ! 出発の時間、とっくに過ぎてるぞ!」


 レフの怒声にリェータはむずがりながら、ユリヤも不機嫌そうに起きてきた。どちらも寝起きでひどい顔をしているが、笑う余裕もない。


「リェータ、寝足りなかったら、荷台で好きなだけ寝ろ。だから、今は起きて、支度するんだ。一刻後には出るぞ」


「ふぇい……」


 リェータは目をこすりつつ、ふらふらと服を着替え始める。さすがにその様子を見ているわけにも行かないので、ユリヤの襟首をつかんで、一緒に室外に出た。首を絞められた形となったユリヤは当然のごとく、レフにかみついた。


「何すんのよ! もう少し優しく扱いなさいよ!」


「目が覚めたろ? なら、よかったじゃねえか」


「もう少しで永遠に目覚めないところだったわよ! つか、あたしとリェータ、扱いに差がなくない?」


「当たり前だろ。おれは差別と依怙贔屓が大好きなんだ。そんなことより、ガキどもの飯を作ってやれよ」


「ああ、そうだ! いけない!」


 レフに言われて、ようやく自分のなすべきことを思い出したユリヤは四肢をばたつかせながら、大急ぎで台所へと走って行く。それを見届けると、リェータが部屋から出てきた。ハバラを着込んでいるので、表情はわからないが、瞳には申し訳なさそうな色が宿っている。


「ごめんなさい、レフ。わたし、ねぼすけ」


「別に怒っちゃいねえよ。それよりもこれから結構きつい目に遭うが、かまわないか?」


「うん。狭いの慣れてる」


「そいつぁ、よかった」


 昨晩、実際に荷台の中にリェータは入ってみたが、思った以上に余裕があり、半日程度なら寝ていても、苦にならないほどだ。とはいえ、適度に外に出してやらねば、いくら閉所が好みだとしても、さすがに息が詰まろう。機甲兵の目を盗むのは容易ではないが、隠れる場所ならばいくらでもあるので、その辺りは心配していない。


 レフがリェータを伴い、食堂へ行くと、さながらそこは戦場のように騒がしかった。孤児たちは遅い朝食を食べることに夢中で、レフとリェータが入ってきたことにも気づかない。レフはヤンを手招きし、傍に呼び寄せた。


「それじゃ、手筈通りに行くぞ。おれがまず先に外に出る。合流するのは南門を出てからだ。その後のことはわかってるな。おれとおまえは他人だ。仲良く喋るなんてあり得ない。そうだな?」


 レフがこのようなことを言うのは、ブラート救児院に累を及ぼすことを防ぐためだ。あくまでもレフはヤンの電導貨車に無理矢理乗ってきたという体を作らねばならない。そのための小芝居も必要かどうかはわからないが、打つべき手はすべて打っておくべきだろう。


 ヤンはその策に最後まで反対していたが、孤児たちの将来を考えろとレフに言われてはどうしようもなく、硬い表情のまま首を縦に振る。


「わ、わかったよ。でも、せめて食事くらいしていってもいいじゃないか? みんなとのお別れも済ませてないし」


「いいんだよ。飯なら途中でなんか買っていくし、おれとの別れを惜しむガキなんていやしねえんだから」


 リェータと孤児たちはずいぶんと打ち解け合ったようだが、レフには誰も近づいてこなかった。それでいいと思う。レフは自分という存在が孤児たちにどのような悪影響を与えるか、よく知っていたからだ。彼らはヤンの庇護の下でのびのびと育てばいい。そうすれば、少なくとも詐欺師などという社会の害悪などにはならずにすむだろう。


 ヤンを言い聞かせた後は、リェータに向き直る。不安そうな顔で見つめるリェータにレフはことさら不敵な笑顔を作った。


「しばらくお別れだ。ヤンはおれよりも信頼できるやつだからな、何も心配はいらねえよ」


「うん。レフ、気をつけて」


「おれ一人だったら、大丈夫だっての。それじゃあ、ヤン、こいつのことは任せたぜ」


 言葉の後半をヤンに向けて言うと、レフはそのままブラート救児院を後にしようとしたが、孤児たちの何人かが走り寄ってきて、彼を呼び止めた。何事かと振り返ると、孤児の一人が包みに覆われたものを差し出した。


「レ、レフお兄ちゃん、これあげる」


 反射的に受け取ってしまい、包みの中を見てみると、孤児たちが先ほどまで食べていた朝食の残りをパンに挟んだものが出てきた。彼らは自分の食事を減らしてまで、レフに弁当を渡したのだ。これを受け取らねば、彼らの崇高な精神を無駄にすることになる。レフはありがたく受け取ることにした。


「ありがたく貰っていくよ。おまえらも元気でやるんだぜ」


 レフが受け取ってくれ、なおかつ、激励の言葉を投げかけてくれたことに、孤児たちは喜色を浮かべ、素直に頷いた。ブラート救児院がよい方向へと変化したことは、この一事だけでもわかる。もうここに心残りはない。彼らならば、もう手を差し伸べずとも、力強く育っていくことは充分にわかったのだから。


 孤児たちから暖かい贈り物を与えられたレフは裏口から人のいないことを確認してから、急いで外に出た。しばらく早足で歩いて、距離を稼いでから、足を止め、振り返る。建物の影に隠れて、もうブラート救児院は見えない。


 五年前に出て行ったときとは違い、今は妙な感慨が胸に残る。こうまで後ろ髪を引かれるのなら、来るべきではなかったとは思わない。むしろ、最後に訪れることができて、何かを得ることができたようにも思うのだ。それが何かはまだわからないが、この変化はきっと悪いものではないとの確信があった。


 レフはしばらくブラート救児院の方向を見ていたが、やがて思いを振り切るように再び歩を進める。すでに遷都祭は始まり、裏通りにまで人が来るようになった。さらに表通りからはじき飛ばされたもので、裏通りも人が溢れることだろう。まだ初日だから、これですんでいるが、明日、明後日辺りになるとさらに混雑が増すだろう。


 レフは最後だからと思い、表通りへと足を向けた。その途中からすでに人いきれで充ち満ちて、一歩進むのにも相当の労力がいるようになる。それでもどうにか表通りへと行ってみると、遷都祭初日であるにもかかわらず、人の群れは津波のように押し寄せていた。祭りが作り出す熱に、ついレフも胸が躍るのを自覚した。


「そういや、おれ、遷都祭初めてかも」


 先帝であるギオルギーは在位十六年中、たったの一度しか遷都をしなかった。そのとき、レフはまだ生まれておらず、ギオルギーが崩御し、皇位継承争いを勝ち残り、皇太子としてウートラを治めていたカルルがそのまま即したことで、東都での遷都祭が行われた。レフはブラート救児院を飛び出した直後であり、遷都祭にも興味がなかったので、帝国西部をふらふらと一年間も彷徨い、ウートラへと辿り着いたのは遷都祭の一年後のことだ。故に今回の遷都祭がレフにとって初めての祭りということでもあった。


 そう思うと、少しもったいない気もしたが、過去は変えようがないので、せめて南門までの短い距離だけでもその雰囲気を楽しもうとした。屋台には普段目にかかることがない南国の果物を使った飲み物などもあり、衝動買いしてから、これは旅の途上で買えるのではないかと思い、口当たりのよいさわやかな甘みがすべて渋みに変わったかのようにレフの顔には苦みが増した。しかも、今思えば、割高だったような気がしないでもない。ますます眉間に寄せるしわを深くしつつ、飲み物を一息の飲み干して、紙製の容器はそのままくず入れに捨てた。


 悪い意味でも祭りを存分に堪能したレフは南門へと向かう人の潮流に乗り、そのまま西都を出た。門には機甲兵と警邏隊が詰めていたが、怪しい人物がいたとしても、職務質問どころか、近づくのすら容易ではあるまい。彼らはあくまでも警備しているとの威圧を与えるのが目的なのだ。


 レフは城門を越えて、すぐに気を引き締めた。周囲を警戒して、それらしい人物がいないかをさりげなく確かめた。アズレトが動かせる機甲兵が十体だとしても、何も監視するのは機甲兵でなくともいいのだ。むしろ、機甲兵に目を引きつけさせ、一般人にアズレトは手のものを紛れ込ませるかもしれない。遅まきながら、その可能性に気づいたのは、今さっきだ。こうなると、合流もいささか難しくなるかもしれない。


 いや、計画はそのまま実行に移すべきだろう。何よりもヤンがその場の状況に合わせて、臨機に対応できるとは思えない。だからこそ、昨日は綿密に話し合ったのだ。もし、状況が変化したとすれば、合わせるのは自分しかない。レフはあえて肩の力を抜き、何事にも万全に対応できるよう心の中で身構えた。


「さて、いっちょやってやるか」


 レフはさらに一歩石畳を踏み込んだ。これが本当の意味での旅の始まり、その第一歩になる。心は軽く、闘志に満ちている。今ならどんな艱難辛苦でも乗り越えられそうだ。


 そして、さらに力強くレフは前へと進んだ。

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