西都ヴィェーチルへ
「あ」
窓の外を見ていたリェータが残念そうな声を上げたのは、鉄軌道車が隧道に入ったからである。
この隧道はカローヴァ隧道と平行するよう掘られたものだ。通すのに八年かかり、関係者と工事の犠牲者の数は征服戦争のときよりも多かったというから、相当な大事業だったことがうかがえる。
そんな事情を知らないリェータはつまらなそうに座席に座り直すと、次は期待を込めた目でレフを見た。何とも面はゆい感じがして、耐えきれなくなったレフはリェータに訊ねた。
「何だよ?」
「このおっきくて、速い箱で故郷まで行ける?」
「さすがにこれで海まで渡れねえよ。だいたいおまえの故郷への船が出てる港までも繋がってないし、そもそもそんな金がねえっての」
「そっか、残念。お金、とても大事。ないとご飯食べられない」
「そういうこった。まあ、その土地土地でうまいもんでも食わせてやるから、それで我慢しとけ」
そう言うが、資金がないわけではないのだ。むしろ、国際線に乗り換え、行けるところまで鉄軌道車で行き、そこからは徒歩でリェータの出身地であろう昏冥大陸ウィルデへ渡る船のある港まで行こうと考えたのだ。
時間的には最短で行けるが、おそらくは明日からは検問が行われるに違いない。今夜のことも、すでに西都へは連絡が入っているかもしれない。アズレトがいない分、そこは何とかなるだろうが、このまま鉄軌道車に乗っていると、その内部で追い詰められたとき、自らの選択肢を大いに狭めてしまうことにもなりかねない。鬼ごっことは広いところでやるのが望ましいのだ。
「しかも命がけのな」
レフは内心で疲れたような笑い声を上げた。道程の長さも問題になる。徒歩で帝国領を縦断、ないし、横断しようとすれば、最短でも一月はかかる。主要幹線道を避ければ、さらにその時間は延びよう。
途中、乗合電動車や馬車を利用できる機会もあろうが、それほど長時間は乗れない。時には道なき道を行くこともあり得るかもしれない。そう思うと疲労感だけ募る。
しかし、その一方で奇妙な高揚感も存在した。この先に待つのは日常を越えた世界だ。レフにとって日常とは地を這い、泥をすすり、夜空を見上げては星々の高さを嫉み、羨むことだ。
今も同じ後ろ指を指され、人からは決して褒められないであろう状態ではあるが、以前の生活より断然よい。少なくとも、心の中央には納得という重しが居座っているのだから。
変化を求めていたということだろうか、レフは自身の心境の変化を相談時用としたとき、意識の外側から刺激してくるものがあった。それは聴覚からであり、まだ聞き慣れない、それでいて心地のよい声が呼んでいるようだった。
「……フ。レフ!」
はっと我に返れば、隣でリェータがレフの服をつかみ、揺さぶっていた。あまりにも揺さぶるものだから、少し気分が悪くなり、リェータのかける声も棘があった。
「んだよ、揺するなって」
「レフが悪い。いくら呼んでも、返事なかった」
「わかった。悪かったよ。それより、窓の外見てみろよ。そろそろすげえもんが見られるぞ」
西都を発ってから、三刻が過ぎようとしている。そろそろ闇都ノーチを通過するはずだ。鉄軌道車専用の隧道はノーチでカローヴァ隧道と合流するからである。レフの言葉から間もなく、突然視界が開けると、巨大な地下都市がその姿を現す。
リェータはその偉容を目の当たりにして、声も出ない。ノーチでは多くの人々が行き交い、その様子は今や東都ウートラを凌駕する勢いだ。もっとも、遷都がすめば、ウートラもノーチも静かになってしまうが。
合流はほんの一刻ほどで、車窓は再び暗黒に染められた。そこでようやくリェータは興奮冷めやらぬ様子でレフへと向き直る。
「何あれ? すごい!」
「一度見ただろ? 西都から東都に行くとき、あそこは必ず通るんだが?」
「見てない。わたし、ずっと箱の中にいたから。箱の中、窓ない」
リェータのいう箱とは電導貨車のことだろう。レフが奴隷商の野営地に訪れたとき、その貨車は確かにあった。リェータの言葉とは異なり、貨車に窓はあったが、換気用の小さなものがあっただけで、あの穴から外はあまり見えまい。その意味では窓がないというのも納得できる。
リェータがノーチのことを聞いてくるので、仕方ないという体でレフは乱読の末に得た雑学から知っていることを教えてやった。
「あれはな、ノーチって街だ。まあ、街っても、普段は誰も住んでないけどな。あそこに人がいたのはみんな東都から西都へと移動している途中に立ち寄っているだけだ」
「何でみんな移動?」
「都を東から西に遷すからだよ」
「ミヤコ?」
「都ってのは皇帝とか王様とか一番偉いやつが住んでる街って感じか。まあ、ちょっと違うような気もするが、そういうものだと思えよ」
「わかった」
本当に理解したのかどうか、その瞳からは不分明なところもあったが、リェータはそこからさらに疑問を持ったようだ。とりあえずレフに聞けば何でも答えが返ってくると思っているのか、リェータは次なる質問をレフにぶつけた。
「じゃあ、なんであの街、都しない?」
「決めるのは偉いやつだから、おれも本当のところは知らねえけど、住むには不便だからな、あそこ。見ただろ、建物がすげえでっけえの?」
「見た。この箱よりおっきい!」
「帝国ができるずっと前からこの街があったらしいんだけどな、その昔、人がまだいない時代に巨人が建てたって話だ。ああ、巨人ってのは人よりもずっと大きな人間って意味だ」
ヴァラール帝国のみならず、世界各地で巨人が遺したとされる遺跡や遺構、さらには伝承が存在する。
人類がこの世界に誕生する以前に巨人たちの文明が栄えていたとも言われているが、学術の世界でその論は主流となっていない。文明、文化とは技術の集積の上に成り立つものであり、古代にそのような技術があるはずがなく、すべては自然現象で説明できるとされているからだ。思考停止に近い強引な説ではあるが、巨人の存在もいまだ証明されていない以上、巨人伝説もまた否定されるべき存在であると言える。
いずれ学者なりが歴史的大発見をして、学説が改まる日が来るかもしれないが、レフのさしあたっての懸念は巨人伝説の解明ではなく、リェータとの間で意識を統一させなければならないことがあることだ。レフの説明に感動ひとしきりのリェータの水を差すようで悪いが、西都に到着する前にある程度の意見を一致させたいところなので、やむなく話題を転換させた。
「なあ、リェータ、ちょっと話しておきたいことがあるんだが?」
「ん? 何? 巨人のこと?」
「いや、その話はまた今度な。話ってのは俺たちの関係性のことだ」
「カンケーセー?」
「ええと、つまりだな、ほかの連中が俺たちを見て、怪しまれないような二人のつながりは何ってことだ?」
「うーんと、それ必要?」
「思いっきりな。変に勘ぐられたくないしな」
いまいち簡潔に説明できていないような気もするが、リェータの方はそれで話が通じたようでしきりにうなずいている。しばらくして、リェータから提案があった。
「じゃあ、わたしお姉さん、レフ弟。どう?」
「そういや聞いてなかったが、おまえ、年はいくつなんだよ?」
年齢を聞かれて、怒ると思いきや、リェータは真剣なまなざしで指を折ったり、伸ばしたりしていたが、やがて晴れ晴れしい瞳で答えた。
「十四歳」
「おれより年下じゃねえか! 何でお姉さんぶったんだよ?」
「え? だって、レフ、わたしよりちっちゃいよ」
身長の低さはレフの劣等感の一角を担っていた。優先順位が高いわけでもなかったが、こう明言されると、胸に突き刺さるものがある。しかもリェータに悪気がないから、余計に性質が悪い。レフは分の悪さを感じつつ、リェータの提案を却下した。
「ま、まあ、それも悪くはないんだが、おれさ、西都ではちょっとした有名人なんだよ。身寄りがないって、みんな知ってるから、その手の嘘は通じねえよ」
「じゃあ、ほか思いつかない。それに嘘よくない」
「だったら、本当のことを話すか? おまえは逃亡奴隷で、おれはその手助けをしてる悪党だってよ」
言ってから、さすがに失言が過ぎたと後悔したが、時すでに遅かった。リェータの瞳は見る間に怒気に満ち、眉間には深い縦皺ができたからだ。頭巾の下はものを口いっぱい頬張った栗鼠のように膨れているに違いない。できることならめくって見てみたかったが、わざわざ怒りの炎に油を注ぐ必要は大陸のどこを探してもないし、怒るリェータの瞳は黒真珠のように輝き、ともすればずっと見ていたい衝動に駆られた。
「レフ、意地悪!」
「おいおい、おれなんか、まだかわいい方だぜ。この世界なんて、右も左も性悪ばっかりじゃねえか。そうでなきゃ、おまえは奴隷すらなってねえだろ?」
この世界が優しいのなら、貧困で苦しむものもいなければ、戦争で無駄に人が死ぬこともなく、この世に起こりうるありとあらゆる悲しみと涙はたちまちのうちに消えてしまうに違いない。そうでないからこそ、この世界は残酷なのだ。
そこまでたいそうなことを考えずとも、レフには一つだけリェータに言い返せる材料があった。レフはにやにやと笑いつつ、むくれるリェータに皮肉たっぷりの一言を告げる。
「それによ、意地悪って言うんなら、おまえだって相当なもんだぜ」
「わたし、意地悪してない!」
「してるさ。これから長い旅を一緒にするってのに、本当の名前を教えてくれないんだからさ」
レフに言われ、リェータはすっかり失念していた様子で、驚いたように身体を座席から浮かせたりもしたが、すぐに再び怒りの表情をみなぎらせ、頭からは湯気が立ち上ってきそうな勢いだ。今までのごたごたの中でリェータの真名を教える暇などなかったし、さらには重ねて教えてほしいとも言われなかったことを思い出したからだ。
リェータは身体を小刻みに震えさせながら、レフに背中を見せるように座り直し、憤懣やるかたない様子で声に激情が込もった。
「レフ、嫌い! 名前、教えない!」
あまりにも素直すぎるリェータの反応に、これからの道中が実に楽しめそうだと、レフは底意地の悪い笑みを浮かべる。長い旅路、きつい、苦しいだけではやっていられないというものだ。
そんな他愛もないやりとりをしているうちに、鉄軌道車は長い長い隧道を抜けたらしい。窓の外に広がっていた漆黒の闇がいつしか群青色へと変化していた。進行方向、窓の端に夜の闇から切り離されたかのような西都ヴィェーチルがその姿を現す。
「わあ」
レフへの怒りも忘れて、リェータは幻想的な不夜城の姿に感嘆の声を漏らした。ヴィェーチルが近づくにつれ、鉄軌の継ぎ目を車輪が噛む音が規則的なものから、徐々に遅くなっていき、金属をこすり合わせる制御音がするたびにさらに鉄軌道車は振動とともにさらにその動きを弱めていく。
やがて鉄軌道車は城内へと入っていき、運転手の熟練した技術で歩廊の定まった場所にぴたりと停車した。
熱を持った各機関部が冷却水を浴び、水蒸気を上げていく。駅舎内に擬似的な霧が充満するも、それは一瞬のことでしかなく、乗降口が開かれるやいなや、乗客が我先にと降りてくる。そのまま西都へ直行するものが大半だろうが、中には別の国内線や国際線に乗り換えるものもいる。人それぞれの事情があり、駅舎各所に散っていく人の波の中、レフとリェータの姿もあった。
レフは歩廊に異常がないのを確認すると、リェータを率いて降りてきたのである。最初はこの鉄軌道車が車庫に入るまで潜んでいようと思ったが、下手に策を凝らすと逆に露見も早まることも経験のうちから知っており、ならばいっそ無策であれば、逆に怪しまれないと思って、降車したというわけだ。
何か起これば、臨機応変で対応するしかないと覚悟を決めていたが、狙いが当たったらしく、レフとリェータはとがめられることもなく、駅舎から出ることができた。通達が来なかったというわけではなさそうで、レフたちと同じ便に乗っていた乗客の何人かが駅員に声をかけられたりしていた。いずれも三等席の乗客ばかりで、よもや不審人物が一等席に乗ってくるなど彼らも考えなかったようだ。
貧困は悪、そう言い切らずとも能力がない証拠とされ、侮蔑の対象になるこの国らしい偏見に助けられたレフはリェータを連れ、足早に駅をあとにした。灯火がどんなに光ろうとも、闇を完全に駆逐できるわけではない。光が作り出すより強い影に抱かれるように、レフとリェータは夜の西都へと消えていった。
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