第二話 脱出劇

帝国史概要

 ヴァラール帝国の前身である王国の時から、この国はいささか特別な存在であった。


 それを語るには、まずバラガン大陸の地理を知らねばならない。大陸をほぼ中央で二分する大山脈「グラン・ユグム」がある。かつて世界はこの山脈を境に東西に分かれ、東側を「ヨンユエンタ」、西側を「アイオニア」と呼称され、それぞれ独自の文明を築いた。


 両者ともに大山脈の向こう側には世界が存在しないと信じられてきたが、邂逅は人類史の比較的初期にあった。どちらも人口増加による開拓の拡大が起こり、それは大山脈の麓まで来ていたのだ。


 さらに山があれば、踏破してみたいという欲求が起こるのは時代の流れに関係なく起こるものらしく、命知らずが未踏の山脈に挑んでは命を散らしていった。


 グラン・ユグムを最初に登り切ったのは、西側の住人マーテルリンクとされている。彼は非常に問題のあった人物でもあり、借金取りから逃げていくうちに大山脈の奥地へと入り込み、そのままあろう事か、乗り越えてしまったという。


 後に彼は「あの山を乗り越えられれば、借金がなくなると思った」と供述した。これが今より六百年ほど前の話だ。


 マーテルリンクがどのような人物であれ、彼の通った道が東西の交流が始まるきっかけとなったのは確かである。


 マーテルリンク峠と呼ばれるようになったその道は過酷そのもので、此方の麓から彼方の麓に越えるまで半数が死ぬほどだった。そうであるだけに山脈の彼方からの物品は高値で取引され、「山越え長者」なる資産家もできたほどである。


 マーテルリンクの偉業から三百年後、西の大国カストルム連合帝国の北東にある無主の荒野にヴァラール王国がひっそりと建国された。当時はカストルム連合帝国の一員としての建国を許され、名目上は帝位継承権と選挙権を有するものの、事実上の属国だった。


 何しろ、一年中荒れ狂う北大洋から吹きつける寒風で国土の北半分は永久凍土で、南半分も地味乏しい土地柄だったので、農業生産国となるのはまず無理で、大国の援助を乞うしかなかった。


 加えて何か特別なものを産するというわけではなく、いくつかの貧しい鉱山と、量だけは無尽蔵の電晶石鉱山があるだけだった。


 今でこそ生活に欠かせない電晶石ではあるが、その当時は内部に電気を蓄えた水晶という存在でしかなく、大きなものが宝石として売買される程度で、しかもそれほど高価なものでもなかったので、国庫を潤すにはとても足りなかった。


 なので、ヴァラール王国はあっさりと第一次産業を諦めた。工業もまだその萌芽があったばかりで、人力を多く必要としたため、規模はそれほど大きくならなかった。ゆえに王国は金融に力を入れることになる。


 金融と言っても、まだ中世的経済が幅をきかせており、できることと言えば、国家による高利貸しくらいだったのだが、これが当たった。


 まだ国際間の経済法などなかった時代のことだ、荒稼ぎしようと思えば、いくらでもできたはずだが、ヴァラールの支配者たちは努めて節制した。やり過ぎれば債務者の恨みを買い、債権が踏み倒されるかもしれず、何よりもカストルムに睨まれるわけにはいかなかったからだ。


 ヴァラールは貧しい国との評価を周囲に与え続けたまま、カストルムから援助を受け続け、穀潰しと蔑まれながらも、徐々に力を蓄えていったのである。


 王国が建国され二百年ほど経った頃だ、事件が立て続けに起こった。正確には表面に現れたと言うべきかもしれない。


 ヴァラールは静かに産業革命を起こしていたからだ。


 一つはクランク革命である。直線的な往復運動を回転運動へと転化させる装置の開発により、単純作業が人間の手から離れた。これにより大量生産が可能となり、ヴァラールは工業国として第二の建国を果たすことになる。


 そして、クランク革命を支える主軸となったのが、電晶石革命である。


 クランクを人力によらずに動かす手段として、電力が有望視されていたが、安定的な電力を生むための技術がなかった。


 それを補ったのが、電晶石である。電晶石も中から電力だけを取り出す仕組みがわからなかったものの、ある一人の技師がそれを可能とした。名前は伝わっておらず、おそらくは意図的に歴史から糊塗したようで、後のグレフ侯爵家、もしくはバイルシュタイン伯爵家の祖がその人物とされている。


 実用化にはもう少し試行錯誤が必要とされ、まだ周辺国の目からは隠しておきたい技術ではあったが、別の形でヴァラールはカストルムに目をつけられてしまった。


 マーテルリンク峠に次ぐ新たなる東西公路が発見されたからである。グラン・ユグムを構成する北方山脈にカローヴァ山なる山がある。北方山脈の中でも二番目に、グラン・ユグム全体でも七番目に高いカローヴァ山の麓に巨大な隧道があった。


 建国当初の調査ですでに発見されており、隧道の入り口がいつの年代に建造されたかもわからない人工物でできていることが判明した。


 それから調査を進めていくうちにカローヴァ山の山頂のちょうど真下に巨大な都市の遺跡が発見されたのだ。


 すり鉢状の地面に整然とした都市ではあったのだが、その大きさがとても人間が作ったものとは思えないほど巨大だった。学者たちが計算してみたところ、ここの住人だった「人間」は成人男性の一・五倍から三倍の大きさを持つことが判明し、ますます学者たちを悩ませることになる。


 この都市はノーチと命名され、考古学者たちの目を引く一方で、隧道はさらに奥へと続いていた。途中崩落した箇所があったものの、瓦礫などを除去しながら向かったその先に光が見えた。抜けた先は果てしなく広がる荒涼たる凍土だった。


 カローヴァ隧道が東側へと繋がっているのが判明したが、それならばなぜ東側から接触がなかったのか、その理由もすぐにわかった。周辺に国はおろか、人がいた痕跡すらなかったのだ。


 ヴァラールは東側の地でも建国を宣言し、東側諸国に向けて広く公布した。建国に際し、抗議されることは全くなく、むしろ死の大地に国を建てたことに同情と奇異の視線を向けられたほどだ。東の大国イシュタカルなどはひとしきりの援助まで申し出たくらいである。


 こうしてヴァラール王国はグラン・ユグムの両側に国土を持つという希有な国家へとなった。当然のことながら、このことは最重要国家機密とされ、関係者は一所に集められるなど、徹底的な情報の隠蔽が行われることになる。


 しかし、人間の運営する組織に完璧なものはない。カローヴァ隧道のことがカストルムに伝わってしまったのだ。詰問の使者が来たときは何とか言いくるめることができたものの、カストルムを騒がせた犯罪者集団がカローヴァ隧道へ逃げ込んだとき、カストルムは捜査隊という名目の軍隊を送り込もうとした。


 ヴァラールは捜査権は独立しているとの建前をかざして主張したものの、カストルムは強引に軍隊を越境させると、そのまま隧道へと突入したのである。


 犯人は無事逮捕、もしくは殺害されたが、それ以上に隧道が東側に繋がっていることがカストルムについに露見してしまった。カストルムはこれを重大な背反行為と見なし、ヴァラールに宣戦布告、同時に十五万の兵を国境沿いに展開させたのである。


 ヴァラールも仕方なく応戦の構えを見せ、まだ試作段階であった重装歩兵隊を出撃させた。重装歩兵という単語を従来の概念に当てはめると、全身鎧に身を包んだ歩兵を想像するだろう。それ自体は間違っていないのだが、その鎧が今までのどれとも違っていたのである。


 まず全身を覆う鎧の鋼板の厚さが通常の十倍はあった。当然、そのままではどんな剛強な猛者ですら重くて動かすことができないし、何よりも重さで自壊してしまう。そこで各部の動きを電気の力で補助することにしたのである。


 理論上は電力により機敏な動作が可能ではあったものの、現実的には問題は山積していた。電気が金属製の甲冑を通ってしまい、中の兵士を感電させてしまう事故もあった。各部の機械に供給する電気を甲冑に流さないための絶縁体の開発がまだ途上だったのである。


 とはいえ、戦いはすでに始まってしまい、札が揃っていなくても、それで応じざるを得ない。ヴァラール王国の高官たちは戦争開始直後は敗戦後の身の処し方を考えていたというほど、状況はよくなく、どうにか善戦に持ち込んで、和睦という形が最良な結果だと、誰もが思っていた。


 しかも、重装歩兵隊は一個大隊、つまりは千人しかいなかったことも考慮に入れると、まさに絶望的としか言いようがない。ヴァラールとカストルム、両軍ともに戦端を開くまで勝敗は疑うところなど微塵もなかったのだから。


 しかし、直後、状況は一変する。ヴァラールは一個大隊一列横隊という戦術史に例のない戦法で、雲霞の如くわき起こるカストルムの大軍に対抗したのだが、その大軍が重装歩兵と接触した途端、岸壁に打ち付ける波のように四散したのだ。


 対して、ヴァラール軍は微動だにしていない。この当時において、ヴァラールが技術の粋を集めて作り出した重装歩兵用の甲冑の鋼板は現存するいかなる武器をも通さなかったのだ。さらには試験もなく、実戦投入された絶縁体も期待値以上の性能を発揮した。


 後にヴァラールの鉄壁と呼ばれることになる彼らの戦い方は至って簡単なものだ。敵がこちらに損害を与えられぬ以上、ただ前進するだけでいい。彼らは進撃し、その都度赤い花が戦場を彩ったと戦史は記す。


 無論、カストルムの将が無能だったわけではない。横隊の後背に回り込み一撃を加えてみたり、全身鎧の弱点でもある間接部に攻撃を集中したりなど、彼らの努力はいっそ涙ぐましいほどだったが、すべては徒労に終わることになる。


 結果、カストルム軍は全軍の半数を失う大敗を喫し、対するヴァラール軍は損害が二桁に届かなかった、しかもその被害がすべて新式絶縁体の不調によるものなどであり、歴史上類を見ない完全勝利となり、この一勝が後のヴァラール帝国の覇道へと繋がることになる。


 時の王傲霜王イェゴールがカストルムを滅ぼし、帝国の名を受け継ぐと、彼は始興帝と号し、二代維綱帝ラヴロフを経て、三代儼乎帝ザウルまでの四十八年間に東西合わせて八つの国を滅ぼし、十二の国を属国化した。


 そのまま大陸全土を征服すると思いきや、彼らの進撃はそこで止まる。元々の帝国兵が少なく、何よりも広大な新領土の経営に腐心せねばならず、重装歩兵から機甲兵と名を改めた戦力は治安に向けるために用いられたからである。


 それから半世紀、帝国は一度も対外戦争を起こしてないが、鉄軌網を国内に張り巡らせ、新領土を一体化するとともに、国外へも伸ばしていき、今や帝国の威光は大陸の東端から西端まであまねく届くことになる。このパクス・ヴァローニア体制が築かれたことで、結果的に諸国の紛争が減り、世は空前の平和と安寧を享受することになる。


 ただ世界帝国化したヴァラールにも悩みの種がなかったわけではない。領土が広がりすぎて、東西両方に世界帝国にふさわしい都を造りはしたものの、どちらに重きを置くべきかが問題となったのだ。やはり片方に偏重するのは都合が悪く、遷都制度が施行される運びとなったというわけである。


 ただ、何度遷都するかは完全に皇帝の意向に委ねられており、即位中一度も遷都をしなかったものもいれば、その逆に財政が許す限り何度も遷都したものもいた。


 第十三代皇帝カルル二世は即位してから五年目を迎え、それがちょうど建国百年と重なるので、体裁よく遷都できるというわけだ。


 遷都まで残り三日となり、鉄軌道車に乗ることもできない民衆はすでに徒歩で西都ヴィェーチルまで向かうことになり、カローヴァ隧道は人と荷を運ぶ貨車で混雑しているという。


 途中、闇都ノーチは国民に開放され、普段は考古学者などの学術関係者しか訪れるものもない地下都市も東西両都から出店も出て、非常に賑わっているらしい。


 レフもまた遷都の準備を始めていた。すべての本を古本屋と貸本屋に売り、予想以上の金を手に入れると、それを国内線東都ウートラ発西都ヴィェーチル間の一等車乗車券「二枚」に当てた。出発は本日最終便である。その前に東都での案件をすべて処理してしまわねばならない。


 もうレフは迷うのをやめた。精神的衛生が何事にも優先されることがあると思ったからである。自らの望むままに、レフは顔を上げ、夕闇迫る東都をある場所へと向かって、歩き始めた。

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