第五章 十六話 「近接航空支援」

 北西側と南側の防衛線で味方が奮闘を続ける一方で戦車や装甲車の投入が遅れた北側の防衛線では民族戦線と北ベトナム軍混合の歩兵部隊が南ベトナム軍の防衛線を破れずに攻めあぐねていた。


「あれか……」


 その北側の前線に民族戦線兵士達とともについたアシル・ベル・ナルディは構えたウィンチェスターM70のスコープの視界越しに防衛線の突破を困難にしているアメリカ人狙撃手を捉えていた。


 熱帯樹の枝に登り、セミオートライフルの狙撃銃を単連射する敵狙撃手との距離は百メートル余り。長距離での狙撃だったが、敵の狙撃手が前線に迫る標的を狙撃するのに夢中になっている間に照準を付けたベルはトリガーガードにかけた人差し指を引き金に移すと、ゆっくりとその指を引き込んだ。





 途切れる事なく突撃してくる敵の歩兵部隊を狙撃していたイーノックに百メートル離れた距離から擬装に身を隠し狙撃しようとしているベルに気付く余裕は無かった。


「こいつら、人海戦術で……!」


 一瞬の隙をついて、何とか弾倉を装填しようとしたイーノックが毒づいた瞬間だった。百メートル先から飛翔してきた三〇八ウィンチェスター弾は彼の脳髄を貫通する弾道ルートを滑空してきたが、運良くその間に入ってきたライフルのスコープがイーノックを即死の運命から救った。


 突然、手元のライフルのスコープが粉砕し、同時に右肩に刺さった熱感と衝撃にイーノックは被弾と敵の狙撃を即座に悟ると、そのまま銃弾の運動エネルギーに身を任せるようにして、熱帯樹の枝から背中越しに直下の藪の中へと落ちた。


 敵の狙撃手の目をやり過ごすため、藪の中に落ちた後、暫くの間は動かなかったイーノックだったが、数十秒ほど経つと、ゆっくりとライフルを手元に引き寄せて、右肩の傷を確認した。


(銃弾は貫通している……)


 応急セットから取り出した止血ガーゼを右肩に当てたイーノックは今度はライフルの状態を確かめた。スコープは大破していたが、それ以外の部分には大きな損傷は無かった。自分の武器が無事であることを確かめたイーノックは前線が崩壊し、撤退して行く味方の南ベトナム軍兵士達の後を追って、後方へと匍匐前進のままで撤退した。





(仕留められていないな……)


 ウィンチェスターM70のスコープの中に狙撃弾の命中を確かめたベルだったが、最初に抱いた感想は獲物を取り逃した確信だった。二発目の狙撃を撃ち込もうと、標的が熱帯樹の上から倒れた藪の中に再度照準を捉えたが、彼の狙う標的は姿を見せなかった。


(隠れたか……)


 胸中にそう独り言ち、舌打ちをついたベルはボルトアクション狙撃銃を傍らの民族戦線兵士に渡すと、自分は短機関銃のカールグスタフm/45に獲物を持ち替えて、前線の指揮を再度取り始めた。


「敵の狙撃手は片付けた!行け!数で圧倒しろ!」


 自身も前線に向かって突撃しながら命令を叫んだベルの後ろには数十人の民族戦線兵士と北ベトナム軍兵士が続き、イーノックが排除されて崩壊しかけた南ベトナム軍の前線へと向かって突撃していた。





「タン中将、前線は持たない!後退だ!」


 敵の猛攻の中で既に無反動砲と迫撃砲を失っていた南側の防衛線の最前線でウィリアムは部隊指揮を取るタン中将に無線越しに叫んだ。彼らの目の前には五九式戦車やPT-76水陸両用戦車の他、五両の北ベトナム軍機甲車輌が大部隊の歩兵を引き連れて、藪や木々を捻り潰しながら、前線を押し上げて来ていた。


「機関銃まで潰されたら、前線は一気に崩れる!今の内に後退だ!」


 止むことない激しい機銃弾の掃射とともに撃ち込まれた戦車砲弾がすぐ側で爆発する中、ウィリアムが叫んだのを聞き、一瞬前線を見やったタン中将が副官に命令を下すと、南ベトナム軍の兵士達は後方部隊による機銃掃射の援護の元、後退を始めたが、既に手遅れだった。


 抵抗が弱まった隙をついて一気に前進した北ベトナム機甲車輌の砲撃と機銃掃射が前線に展開していた南ベトナム軍兵士達の半数以上を一瞬の内に葬ってしまったのだった。十発近い戦車砲弾が機銃陣地と塹壕に次々と直撃し、噴き上がった泥土とともに南ベトナム軍兵士達の体が粉々の肉片になって、宙を舞い散る。砲弾の攻撃を辛うじて避けた兵士達にも重機関銃の掃射が襲いかかり、南ベトナム軍の前線は後退と同時に一気に崩されていった。


「立て!立つんだ!退くぞ!」


 片足を撃たれた南ベトナム軍兵士の体を無我夢中で引きずっていたウィリアムの脇にも機銃弾の掃射が轟音とともに土煙を立ち昇らせ、その攻撃を横に飛び退いて、辛うじて避けたウィリアムが振り返ると、先程彼が引っ張っていた南ベトナム軍兵士の体は腰から下しか無くなっていた。


「クソ……!」


 悪態をつきながら立ち上がったウィリアムが背後を振り返ると、藪を挟んで十メートルほどの至近距離に五九式戦車が一〇〇ミリライフル砲の主砲を彼に向けて迫っていた。


(まずい……!)


 咄嗟にM16を構え、M203グレネードランチャーの引き金を引こうとしたウィリアムの目の前で戦車の砲塔から炎の塊が生じ、コンマ一秒の後に襲いかかってきた熱気と衝撃波に彼の体は十数メートル以上も引き飛ばされ、ジャングルの茂みの中を転がった。


(戦車の主砲?撃たれたのか?私は……)


 地面から突き出た岩に体をぶつけ、藪で体に切り傷を付けられながら、動揺する意識の中で様々なことを考えていたウィリアムの体は熱帯樹の太い幹の根本に直撃して、ようやく転倒を止めた。


 意識はある……。感覚は麻痺しているし、全身の痛みも凄まじいが、四肢はあることをゆっくりと体を動かしながら確かめたウィリアムは耳鳴りの中、全身の痛みに呻き声を上げながら、M16A1を杖代わりにして、傍らの木に持たれかかりつつ、ゆっくりと立ち上がった。


 衝撃と爆音で平衡感覚も狂いかけていたが、ウィリアムは銃声の飛び交う中、視界を左右に動かして、先程の戦車の姿を探した。


 ウィリアムの探していた戦車は彼の右二十メートルほどの距離に鎮座していたが、その車体は砲塔を完全に吹き飛ばされ、辛うじて原型を残した車底部分も激しい炎に包まれていた。


(何が起こった……?)


 一瞬前とは変わり果てた姿の敵戦車を見つけ、ウィリアムが当然の疑念を抱いた瞬間、耳をつんざくジェットエンジンの轟音とともに黒い影が彼の頭上を高速で飛び去った。


 低空で飛行し、地上の熱帯林にも衝撃波の熱風を吹かせた飛行物体の残像にウィリアムが顔を上げた瞬間、その視線の先に今度は攻撃ヘリコプターと思しき、細長い機影がこちらに機体前面を見せながら現れた。


 ウィリアムの見慣れたAH-1コブラとは違う……、コブラのそれよりも重厚な装甲に包まれたAH-64アパッチ対戦車ヘリコプターは両翼のスタブ・ウィングに搭載されたハイドラ70ロケット弾ポッドを地面に向かって掃射すると、対戦車ロケットの滑空音に続いて地面を揺らした着弾の衝撃波とともにウィリアム達の目の前に迫っていた北ベトナム軍の前線部隊を炎のカーテンの中に包み込んだ。


 突然の航空支援に数秒の間、呆気に取られていたウィリアムだったが、すぐに我に返ると、体に火が付いたまま、ロケット弾の巻き上げた炎を越えて突撃してくる北ベトナム軍兵士にM16A1を単連射しながら、タン中将のもとへと走った。


「タン中将!あれは味方だ!撃つな!撃つんじゃない!」


 突然現れた敵味方不明の航空機達に銃を向ける南ベトナム軍兵士達を制しながら、ウィリアムはタン中将の姿を探して、後退する前線の中を走った。


「あの航空機は何だ!VNAF(ベトナム共和国空軍)所属じゃないぞ!奴らの空爆に巻き込まれる前に、さっさと機関銃を下げさせろ!」


 ジャングルの中を走って探すこと数分、最前線の副官に無線を通して、命令を叫ぶタン中将の姿を見つけたウィリアムはその傍らに滑り込んで叫んだ。


「無線を貸してください、中将!あれは我々の味方だ!もしかしたら、交信が通じるかもしれない……!」


 言い終わるよりも先に傍らの無線機を手に取ったウィリアムは交信チャンネルを調節し始めた。


「頼む!頼む!頼むぞ……!」


 焼夷ロケットの撒き散らした炎が木々を焼き、ジャングルの中に漆黒の硝煙が巻き上がる中、敵は前線部隊の先頭を全滅させられても、戦車と装甲車輌を全面に出し、砲撃とロケットランチャーの猛攻を掛けて、前線を押し出そうとしていた。


 飛び交う銃撃の弾丸が頭上を飛び交う中、身を伏せ、無線のチャンネルを必死に合わせていたウィリアムの右手に握られた無線機から途切れ途切れの声が聞こえてきた。


「こち……、ヴァイパ……、地上の……、聞こえるか……?」


 明瞭ではなかったが、無線から聞こえてきた声は確かに英語だった。


「ヴァイパー!こちら、ゴースト!聞こえるぞ!応答求む!」


 ウィリアムは必死で無線に叫んだが、応答はなかった。前線を押し返し始めた敵はすぐそこに迫っている。


「大尉!後退しよう!」


「待ってください!大佐!あと少し……!」


 戦車の砲弾が十数メートル脇に着弾し、機関銃の掃射が彼らの盾にする熱帯樹の幹を削る。


「後退だ!大尉!」


 隣でタン中将が上げた怒声を間近に着弾した迫撃砲弾の爆発音がかき消し、ウィリアムが遂に交信を諦めようとした時、


「こちら、ヴァイパー。聞こえるぞ。あぁ……、大尉さんですか。やっぱり攻め込まれてる方だと思いましたよ」


と無線の向こうから特徴的な話し方の男の声が返ってきた。話し方にまでもナルシシズムを感じさせるこの声……、恐らくはA-10サンダーボルトのパイロット、ソリッチ少佐だ。


「そうです!私です!ウィリアムです!」


 今度は鮮明に返ってきた無線の返信に一瞬、タン中将と顔を見合わせたウィリアムは続けた。


「少佐!我々は北と北西と南の三方角で遺跡を囲むように戦っています。敵はスモークの向こう側で我々を包囲するように展開している部隊です!攻撃してください!」


 そう叫ぶと同時にAN M18発煙手榴弾を前線の方向へと全力で投げたウィリアムの脇でタン中将も部下達に前線方向にスモーク弾を投げるように命令を始めた。


「はっ、スモークなんて焚かなくても見えてるよ。大尉達は危ないから伏せときな、行くぞ!」


 その一声が無線に弾けると同時に鼓膜を切り裂くような、低空飛行のジェットエンジン音が頭上に轟き、黒い影がジャングルの熱帯樹林の上を高速で横切ったかと思うと、一瞬の合間をおいてウィリアム達の五十メートルほど先、スモークグレネードの濃緑色の煙幕の向こうで、高さは三十メートルはあろうかというような炎の壁が地面の激震とともに数十メートルの距離に渡って立ち昇った。


「ナパームだ……」


 轟音を上げながら、炎の中から更に次々と巻き上がる爆発の炎を見て、嗅覚を突く特徴的な刺激臭を嗅いだタン中将がウィリアムの隣で呆然と呟いた。その瞬間、隊内無線から「大尉!大尉!応答願えますか?」とイーノックの必死な声が聞こえてきた。


「こちら、ウィリアムだ!どうした!」


 タン中将とともに後退しながら、ウィリアム隊内無線に叫び返した。


「ああ……、大尉。応答してくれて良かったです!」


 途切れ途切れに無線機の向こうから返ってくるイーノックの声に鋭い銃声の応酬が重なっている。


「何があった!はっきりと言え!」


 間近に迫撃砲弾が炸裂する中、ウィリアムは隊内無線に叫んだ。


「前線維持できません!無線機も失いました!部隊を後退させます!」


 イーノックの悲痛な叫びが隊内無線の向こう側から返ってくる。無線の向こう側からは銃声だけでなく、戦車砲の砲声のようなものも聞こえてくる。


「イーノック!敵に向かって、スモークを投げろ!ソリッチ少佐達が上空から援護してくれる!」


 隊内無線に叫びこんだ声にイーノックがどう反応したのか、それを確認するよりも先にタン中将が自身の野外無線機をウィリアムのもとに持ってきて叫んだ。


「大尉!上空には君の同僚達も来ているらしいぞ!」


 銃声の中、そう叫んだタン中将から受け取った無線の交信機をウィリアムが耳に当てると、無線の向こうからは激動の四日間を歩んできた今では懐かしいとさえ思える声が聞こえてきた。


「こちら、ゴースト・アルファ!サンダースだ!ウィリアム、生きているか?」


 アルファ分隊長の快活な声がウィリアムの鼓膜を震わせたと同時にダウンウォッシュの強風が頭上の草木を揺らし、その向こうにUH-60ブラックホークの暗灰色の細長い機体が現れた。


「我々も上空から援護する!だが、敵の対空砲火が予想より激しくて、すぐには降下できない!敵の攻勢が弱まるまでなんとか耐えてくれ!」


 無線の向こうに「了解しました!」と返したウィリアムは無線をタン中将に返すと、必ず連れて帰らなければならない人間の存在を思い出し、ユーリが身を隠している塹壕の方へと向かって走り出した。

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