第一章 六話 「記憶」
ペンタゴンでメイナードがクレイグ・マッケンジーに関する資料を読んでいた時、ウィリアムはフォートブラッグ駐屯地のはずれにあるハワードの墓地をアール・ハンフリーズ少尉とともに再び訪れていた。ウィリアムが車を運転して彼をここまで連れてきたのだった。アールがハワードの墓に献花し、弔いをしている間、ウィリアムはその後ろ姿を少し離れた車の脇から眺めていた。
「わざわざ隊長にこんなところまで送ってきてもらうなんてすみません」
弔いを終えて車のところに戻ってきた長身の副分隊長はウィリアムの隣に立つと墓地全体を眺めて無念そうに呟いた。
「それにしても虚し過ぎます。あれほど国のために戦った人が機密保持のためとはいえ、こんなみすぼらしい墓地の片隅に葬られるなんて……」
ウィリアムもハワードの遺志に報いてやれなかったやり切れなさは感じていた。しかしどうしようもできないこともある。
「不幸にも彼の母親は不法移民者だった。もうその親類を突き止めることは難しいらしい……。それに、ここに葬られたのは単に機密保持のためだけじゃないさ」
ウィリアムはアールに少し笑って見せた。アールも笑って返す。
郊外より更に外に出たこの墓地の周辺には人家もなく、中には忘れ去られて手入れをされることなく、周辺の植物に侵食されかけている墓もあったが、それがかえって生命のあるべき姿を象徴しているようにウィリアムには思えた。
全ての生命はいずれ死に、その地肉は一つ残らず、次の生命の糧となる。人がどう抗おうと嘆こうとその真理に変化はない。悲しくも喜ばしくも、それが生きとし生ける者全てが何れ受け止めなくてはならない運命なのだ……。その真理を人々に忘れ去られ、自然と同化したこの墓地は表現しているようにウイリアムには思えていたのだった。
静かな墓地には、この日も小鳥のさえずりが聞こえていた。
「そうですね。あの人もこんな場所が好きだったような気がします。こういう静かな場所で俺たちには難しくて分からない本を読んで……」
もっと話してみたかった……。そんなことを呟きながら、少し微笑んでいるアールの横顔を見て、今の雰囲気を壊したくはないが、話を切り出すなら今しかないと思ったウィリアムはポケットの中から例のライターを取り出して見せた。
表面に描かれた刻印は傷と汚れでほとんど見えなくなり、その本来の機能も失ってしまったライターを目にした瞬間、先程まで緩んでいたアールの表情が強張った。
(やはり、大佐の調査結果は正しかったのだな……)
ウィリアムは心の中で思いながら、ライターをアールに差し出した。
「ハワードがゲネルバで撃たれた時に、最後に私に渡したんだ」
呆然としたまま、ライターを受け取ったアールは言葉も発せられないという様子で、ただじっと左の手のひらの上にのせた古いライターを見つめていた。
「君のお兄さんのものだったんだな……」
呆然とした表情のまま問う目を向けたアールから顔を逸らし、ハワードの墓がある方をウィリアムは見た。その墓の脇に立つ大樹の、生い茂った緑の下で太い幹に背中を預けたハワード・レイネスがスペイン文学の本を読んでいる姿が今にも現れそうな気が彼にはした。
だが彼はもういない。自分を守るために死んだ……。だから、自分には彼に代わって説明する義務がある……。
ウィリアムはハワードの墓の方を向いたまま続けた。
「本当は彼がカナダにいた時の仲間に渡すように言われたんだ。だけど、その男の経歴を辿っていく中で、それが君の亡くなったお兄さんのものだと分かった。だから、それは君に直接渡すべきだと思ったんだ」
ウィリアムはアールの方を振り向いたが、彼はライターを見つめたまま微動だにしていなかった。ウィリアムはそのまま続けた。
「君のお兄さんからそのライターを受け取り、カナダでハワードに渡した男の名前は……」
「クレイグ……、クレイグ・マッケンジーだ……」
呻くようにアールの口から出た名前がウィリアムの言葉に続いた。
「どういう男か教えてもらえないか?」
「恐ろしい人間ですよ……。あいつは……」
ようやくライターから目を離して、ウィリアムの方を向いたアールの声は震えていた。
☆
なんて恐ろしい能力だ……。
メイナードは執務室でクレイグ・マッケンジーなる元三等准尉に関しての当時の海軍の資料を読みながら、感嘆を禁じ得なかった。
通例、アメリカ軍では准士官の階級は戦闘指揮、訓練教育、整備等何かしらの戦闘技能を有している者に任命されるが、クレイグ三等准尉の場合はそれらの技能は一つとして持ち合わせていなかった。彼が身に付けていた戦闘技能はたった一つだけ……。
超限界域感知能力…、当時の隊員や研究員達には"感"と呼ばれていた一種の特殊能力、第六感のようなものらしい。
メイナードは初めて目にする言葉に続きを追っていった。
彼は海軍入隊直後、わずか二カ月という異例の短期間で原隊の指揮官にその身体能力並びに従順な性格を認められ、SEALsに推薦されている。その後、厳しい選抜試験を一位の成績で突破し、六七年に晴れてSEALs入隊。彼の元来の才能もあり、当然の流れとして当時戦闘の激化していたベトナムへと送られ、MACV-SOGグループに所属し、極秘の越境作戦に参加することとなった。
だが、一九六八年一月二十三日、カンボジア内での作戦行動中に敵の待ち伏せに会う。部隊は壊滅したものの、彼が囮となり、敵陣に単身突入したことで全滅は免れた……。
メイナードは当時彼が所属していたSOGグループの名簿を見て、なるほどな、と思った。SEALs隊員五名とCIDG(不正規戦グループ)隊員九名から構成された隊員達の名前の中には確かにアール・ハンフリーズの名もあった。そして更に興味深いのはその部隊指揮官がアールの兄であるジョセフ・ハンフリーズであったことだった。当時少佐だったアールの兄はこの作戦で命を落とすこととなった……。
クレイグ・マッケンジーについてのその後の記述はかなり短かった。
地獄の戦火の中から生還した彼は重傷を負っていたため、治療を受けるために日本へと送還され、そこで現地の反戦グループの力を借り、祖国を捨てカナダへと亡命した……。
メイナードは最後のページをめくった。そこには今までの形式的な公的文章とは異なり、手書きで書かれた文言をコピーしたと思われる文章が記されていた。
『重要:この男に関しては常に監視をつけること。ソビエト諜報機関との接触もしくは拉致を防ぐため』
その下には更にクレイグが最後の戦いにおいて単身で殲滅した敵部隊の規模が記されていた。
確定戦果、五十人。推定では二百人から三百人の解放戦線兵士を葬った、と書かれている。その中には女、子供まで含まれ、民間人まで無惨に殺害した彼を軍法会議は召集することも考えたが、事件の真相が、それもよりによって国際法違反の作戦の途中で起きた虐殺事件が外部に漏れるのを恐れて、クレイグ・マッケンジーに関する全ての資料を封印したらしい。そして今、メイナードが資料を目にするまで、彼の存在は誰の記憶からも忘れ去られていた。
メイナードはクレイグ・マッケンジーに関する資料を読みながらも、最後の方はほとんど頭の中に内容が入っていなかった。
(推定戦果二百人以上……。単身で敵地に飛び込み、それでいて自力で帰還とは……)
メイナードの頭の中では資料で目にした戦果報告情報だけがぐるぐると回っていた。
(まだ調べなければならないことはあるが、この男は絶対に取り入れなければならない……。次の作戦、たった二個分隊では不可能かもしれないと考えていたが、この男の能力があれば十分勝算はある……!)
国籍を捨て、カナダで逃亡生活を送る男を説得できる保証など全くなかったが、メイナードはもうすでにクレイグを"ゴースト"に引き込むつもりだった。
「拒否などさせるものか……」
メイナードは再び窓の近くに寄ると、満足げに頬を歪めた。彼がこれからの期待に胸を膨らませ、覗く窓の向こうではバージニア州の町が忙しく動いていた。
☆
超限界域感知能力……、"感"と呼ばれた異能力を持つ逃亡兵……、一体どれほどの兵士なのか……。
アールと墓地での会話を終えた後、基地へと車を運転する中、ウィリアムの頭の中ではそのことが常に思考に上っていた。後部座席に座るアールも過去の記憶について何か考えていたのか、基地にたどり着くまでの間、二人の間に会話はなく、車の中に聞こえるのはエンジンの音だけだった。
基地にたどり着き、部隊の兵舎の前で車を止めた時、車の外に降り立ったアールが初めて口を開いた。
「あの男……、クレイグ・マッケンジーを部隊に引き入れるおつもりですか?」
車を降りて、開けたドアの向こうから腰を屈めて運転席を覗くようにして問うた部下の顔をウィリアムは振り返って答えた。
「彼の能力は次の作戦には必要不可欠だ」
ウィリアムの冷静な答えにアールの表情が険しくなった。
「しかし、彼は祖国を裏切った逃亡兵ですよ!そんな男を!」
少し声をあらげたアールの言葉にウィリアムは静かに答えた。
「彼が戦場でどんな経験をしたのか、我々は全く知らない。単なる裏切り者かどうかは、私が直接会って判断する」
もうそれ以上、アールが反論することはなかった。
だが、扉を閉めて車が発進し始めた時、目を堅く閉じたアールが絞り出すようにして声にした言葉をウィリアムは聞き逃さなかった。
「それでも……、俺は彼を許せないかもしれない……」
ウィリアムは答えることなく、基地の駐車場に向かって車を走らせたが、その胸の内では信頼する副官の言葉がずっと引っ掛かっていた。
この問題は大佐や自分が考えていた以上に複雑なのかもしれない。きっとカンボジアでの出来事はアールにとってチューチリンでの事件のようなものであり、彼にとってクレイグ・マッケンジーは "彼"のような存在なのだろう……。
ウィリアムは胸中でそう予感するのだった。
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