第一章 五話 「旧友」

 一九七五年 二月一日 バージニア州


 ウッディー・クリークでの会合から数日後、エルヴィン・メイナードはCIAの知己に頼んでいた調査結果が持ち込まれてくるのを国防総省本庁舎の三階自室執務室で待っていた。回転チェアに腰掛ける彼の目の前のデスクには、先日のファーディナンド・モージズの別荘での会合の後、リアム・エクランドがカットアウトを通じて送ってきた数枚の追加資料が拡がっている。


(A-10 対地攻撃機に加えて、F-111戦闘爆撃機、四機も輸送準備完了……。あの若い長官補佐もなかなか粋な計らいをしてくれるものだ)


 会合の最後の脅しが効いたかな、と資料に目を通しながら、メイナードはほくそえんだが、しかし彼にはまだ解決しなければならない問題があった。


 作戦の要となる"ゴースト"の実動班の方に関してである。前回の作戦の際に一名死亡し、次の作戦に関してはスパイク一等軍曹を含む二名が参加を辞退している。本来であれば、辞退など許されるはずはなかったが、次の任地が彼らにとって、トラウマを呼び起こす忌まわしき場所だと分かっているメイナードは無理に止めることもしなかったし、半ば存在を忘れられた"ゴースト"に対して、ゲイツ中将もランシング大佐もそのことを咎めはしなかった。


 三人の欠員の内、アルファ分隊の方の一人分についてはすぐに補充の目処がたったが、ランシング大佐が新部隊設立に熱心な今、"シンボル"の助けがあってこそ存続可能な"ゴースト"に優秀な人材など回ってこず、ブラボー分隊の二人の欠員を正規の兵士から取るのは不可能に近かった。


(正規の兵士が入ってこないとなれば、はぐれ物を拾うしかない……)


 そう考えて、メイナードは過去の資料に目を通していたが、新たな隊員を招集する鍵は偶然にも二人分ともウィリアムからもたらされた。


 一人はヴェスパ・アルバーン、ウィリアムが戦場でともに過ごしたというグリーンベレーの狙撃兵だが、もう一人は意外なきっかけ……、ウィリアムから渡されたハワードの形見のライターの持ち主を探しだすために、かの男のカナダでの逃亡兵としての生活の経歴を調べていた時にみつかった。


(クレイグ・マッケンジー……)


 かつて、ハワードがカナダにいた頃に生活を共にしていたという元Navy SEALsの隊員。その名前の響きにどこかで聞いたことがあるような気がしたメイナードは彼が残り一名の欠員を埋めることのできる人材かどうか、CIAの知己に調査を依頼したのだった。その調査記録が今日、彼のオフィスに持ち込まれる。それをメイナードは待っていたのだった。


 部屋の扉がノックされる音が響いた。


「アーサー・T・マクドナルドです。例の資料をお持ちしました」


 同時にCIAの知己の名をかたる声も部屋の中に響いたが、その声にどこか違和感を覚えたメイナードはデスクの上の書類をまとめて引き出しの中に片付けてから、「どうぞ」と声の主に返答した。


 扉が開かれると同時にメイナードは自分の感じた違和感が正しいものだったということを確信させられた。扉の向こうから現れたのはCIAの知り合いではなかった。


「リロイ!」


 思わずその姿を見てメイナードは声を上げてしまった。リロイ・ボーン・カーヴァー、CIAの対テロ部門課長であり、かつて"愛国者達の学級"でメイナードと同期であり、"ゴースト"の元隊員だった男だ。紺色のスーツに身を包んだアジア人のその男は、四十五歳の年相応の外観をしているが、メイナードとは同い年である。


「調子はどんな感じだい。エルヴィン」


 メイナードの驚いた様子を気にする素振りもなく、部屋に入ってきたリロイはにこやかな笑みを浮かべながらメイナードの下の名前を呼んだ。彼の右手には、メイナードがCIAの知己から受けとるはずだった暗号ロック付きのバッグが握られていた。


 代わりに届けに来てくれたのか……、そんなことを考えながら、メイナードはかつての親友の言葉に答えた。


「困ったもんだよ。"デルタ"が新設されてから、私たちが隊員だった二十年前以上に特殊戦用部隊に対する風当たりは強いからね……」


「そうかい?それにしては、君の元に大きな作戦が舞い込んだと聞いたんだが……」


 微笑とともにデスクの前まで歩いてきたリロイはその上に先程のカバンを置いたが、メイナードがそれを手に取ろうとすると、さっ、とひっこめた。


「なんのつもりだ?」


 メイナードが、鋭い目線とともに見上げると、顔から微笑を消し去ったリロイも射るような目線で見返し、先程までの旧友達の再開の朗らかな気配は消え失せ、殺気が部屋の中を支配した。


「それはこっちのセリフだ。君たちは一体何をたくらんでいる?」


 リロイは鞄を握っていたのとは反対の手をメイナードの目の前に突き出した。それと同時にデスクの上に数枚の写真が散らばった。リロイの部下が数日前、ウッディー・クリークの別荘で撮影した物だった。画像処理が行われて、鮮明に写し出された写真には、メイナードの他、リアム・エクランドとファーディナンド・モージズの顔もしっかりと写されていた。


(監視されていたのか……)


 瞬時に察したメイナードだったが、焦りや動揺は見せなかった。ただ、鼻で笑い、突き出された数枚の写真をリアムの方に押し戻すと、再びリアムに鋭い視線を向けて口を開いた。


「君には関係ないことだ。そもそも、その鞄は別の人間に持ってきてくれと頼んだ物だ。政府の重要機関内で身分を偽るなど、重罪だぞ」


 目を逸らして、壁の方をみやったリアムは涼しげな表情を浮かべて、答えた。


「正面ゲートを入るときはちゃんと正規の身分証で通ったさ、それに……」


 そう言って再びメイナードを睨んだリアムの顔は険しいものだった。


「大統領を欺いて作戦を行う方がよっぽど重罪じゃないのか?」


 メイナードは彼が何を言いたいのか、大方分かっていたが、わざと肩をすくめて答えた。


「なんのことだか、わからんね。私は参謀本部の意向に従っているだけだ。参謀本部の意向は議会の意向、議会の意向はすなわち大統領の意向だろう?」


 はぐらかそうとするメイナードに、リアムはさらに追及するように顔を近づけた。


「ゲネルバでの作戦は大統領の意向ではないだろう?」


 やはりその質問か、と思ったメイナードは能面の表情を貫いた。


「私はランシング大佐の指示に従っただけだよ」


「そのランシング大佐自体、"シンボル"のシンパだってことは知ってる」


「何が言いたい?」


 デスクに両腕を立てて突きだしていた上半身を引っ込めたリロイは数歩後ろに下がり、深呼吸をすると核心の問いを投げつけた。


「単刀直入に言う。君たちは次は何を企んでいる?"シンボル"の目的はなんだ?」


 メイナードはリロイの顔を無言のまましばらく見つめていたが、やがて深いため息を一つ吐くと、殺気の漂う空間には不似合いな笑みを浮かべて答えた。


「戦争の意味づけを……、本当の価値を取り戻すのさ。」


「戦争の価値を取り戻すだと……?」


 うめくように繰り返したリロイの顔は呆然として、先程までの鋭い眼光はなかった。


「ああそうだ」


 メイナードは立ち上がり、窓の方を見やって続けた。


「現状では戦争は人々の理解においても、またその実際においても一部の人間の利害の争い合いでしかない。核抑止によって、限定された局地戦争では例え、そこで戦う者にとって、それが自由を争う聖戦であったとしても地球の反対側にいる無関係な人間達には無益な争いでしかない」


 メイナードは、枠の大きな窓の向こうを見つめながら続けた。その目には彼の生命に焼き付けられた、宿念の炎がきらめいていたようだった。窓の向こうではワシントン州の市街が慌ただしく動いているのが見える。


 リロイにはメイナードの後ろ姿を固まったままみつめるしかできなかった。その姿を顔半分だけ振り向かせて、メイナードは続けた。


「私はそんな戦争の価値を変える。死んでいく人間達全てが犬死ではない戦争にな」


リロイは呆然とするしかなかった。


「メイナード……、お前は一体何を……、"シンボル"まで利用して一体何をしようと考えているんだ……」


 メイナードは鼻で笑うとリロイの方に向き直った。


「全体の未来を救うための犠牲は、たとえどれほどその犠牲が大きくても正義だよ、リロイ」


 呆然とするしかないリロイに自らの核心を言い放ったメイナードは、また平時の微笑を浮かべた。


「ところで……」


 急に柔らかくなったメイナードの口調に、はっ、と我に返ったリアムにメイナードは続けた。


「そろそろ、そのかばんを渡してくれてもいいんじゃないか?」





「大統領の命令に背くのは重罪だと言ったな……」


 もう弾劾の言葉を発することはなく、無言のまま鞄を渡してオフィスを出ていこうとしたリロイの背中に思いだしたように声に出したメイナードの言葉が刺さった。


「"シンボル"に逆らえば、たとえ大統領であったとしても命はない……。ダラスでの事件のことを思い出せ」


 止めをさすように続けたメイナードの言葉にリロイが答えることはなかった。無言のまま、殺気だったリロイの背中が部屋を出ていったことを確認したメイナードは執務室の扉にしっかり鍵をかけると、回転チェアに腰掛けて例の知己が調査してくれた文章を読み始めた。


(少々、余計なことをしゃべりすぎてしまったか……)


 メイナードは少し、反省しつつ、まあそれも良いと思った。リアムはメイナードが"愛国者達の学級"で怒濤の青年期をともに過ごしたメンバーの中で、すでに最後の生き残りであった。思想を分かち、"シンボル"と"ゴースト"を脱退して数年経つが、そんな人間に対しては少しはしゃべりすぎても良いだろう、とメイナードは思ったが、それより何より、届けられた文章の内容が彼の期待を遥かに越えるものだったので、その気持ちが彼の警戒心を緩めてしまったのかも知れなかった。


 ヴェスパ・アルバーンに関する調査報告に関してはまずまずだったが、やはりクレイグ・マッケンジーに関しては興味深い調査結果が当時の資料とともにまとめられていた。


 メイナードは再び、窓の方に椅子を回転させ、入り込んでくる日差しに目を細めつつも、にやりと微笑した。


(ウィリアムよ、何故君はこうも様々な因縁を引き付けてくるのか……)

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