第一章 四話 「会合」

 一九七五年 一月二十七日

 コロラド州 ウッディー・クリーク


 この日も良く晴れた空のもと、エルヴィン・メイナードはある人物と会合するために、その人物が所要する別荘の庭園の中を歩いていた。先日とは違い、道の両側は高い塀の代わりに青々としたブナの木々が生い茂っていて、メイナードが歩いているのもコンクリートで舗装された歩道ではなく、よく手入れされた芝生の上に敷かれた石畳の小道であった。


 兵士達のランニングの掛け声の代わりに鳥のさえずりが聞こえる静かな原生林の中を数分歩いて抜けると、急に視界が開けて、会合の場所が姿を現した。短く刈られた芝生の緑が延々と広がる中、メイナードの右手には数百メートル離れた場所から見ても、かなり大きく見える木造建築の豪邸がブナの原生林を背後に建っていて、家とは反対の左手には大きな人工の湖が拡がり、その対岸には表面を原生林の緑に覆われた山がそびえ立っていた。水鳥が羽を休める静かな湖の上では、小さなボートが一隻浮かんでいる。その上にいる人影は釣りでもしているようだ。


 一見、どこかの自然公園ののどかな朝に見えるような景色だが、広がる芝生の上に立つ数十人のボディーガードの黒服姿が、そんな平和な佳景を完全に破壊していた。彼らが警護する中、石畳の道は湖の方まで続いており、その先の湖の畔には形の良い岩を小高く積み上げて造られた野外テラスがある。


 そのテラスで白い漆を塗った上品な椅子に座って、湖の方を眺めている一人の老人がいた。ファーディナンド・モージズ、アメリカ議会に大きな影響力を持つ上院議員、彼こそがメイナードをこの会合に招いた張本人であり、この別荘の所有者でもあった。


 テラスには更にもう一人の男がいた。椅子と同じく白い漆を塗られた丸机を挟んでファーディナンドの反対側に座っているその男は、国防高等研究計画局、通称DARPAの局長補佐を務めるリアム・エクランドだ。


 シルバーのスーツに身を包んだDARPA長官補佐は近づくメイナードに気が付いて、彼の方をを向いていたが、ファーディナンドの方は気づいているのかいないのか、湖の方を向いて、ボートの上の人影に向かって、時折手を振って見せたりしている。


 テラスの手前まで来たところで、黒スーツに身を包んだ屈強そうなボディー・ガードの男のボディー・チェックを受けたメイナードは石づくりの階段を登った。メイナードがテラスに上がってもファーディナンドは振り向かず、湖の方を向いていた。七三分けの髪型に、銀縁の眼鏡をかけた三十代後半のDARPA長官補佐はメイナードの方をじっと見つめていた。


「マスター。エルヴィン・メイナードがただいま参上いたしました」


 メイナードが静かに挨拶の言葉を述べると、七十歳の上院議員は、ようやくメイナードの方に小柄な体を向けた。


「おお、来たか。遠路はるばるご苦労だった」


 髪は白髪になり、顔には皺が生えても、メイナードを見据えた双眸の青色の瞳の中には鋭い光があった。メイナードは、同じ目をした人間を見たことがあった。戦場で仲間の地肉すら食らい、貪欲に生き抜いてきた者……、自らの目的の障害となるものは全て排除すると決意し、そうしてきた者の目だ。政界という名の戦場で生き抜いてきた目の前の男も、加齢で腰は歪んで体は弱っても、その目の中に息づいた"狩る者"だけが持つ眼光は全く衰えていない。


「ゲネルバでの任務、ご苦労だったな、大佐」


 形式上の労いの言葉を述べた後、ファーディナンドは続けた。


「次の任務に関して、彼らは問題なさそうかね?」


 探るような目でメイナードに問う。彼らとは勿論、"ゴースト"の隊員達の事だ。米ソの直接戦争の可能性が薄くなったことで、本来の存在意義を失い、一時は解体の危機に瀕していた特殊戦用特殊部隊を自分達の"計画"のために存続させるよう、議会に圧力をかけ続けていたのは、この老人を盟主の一人とする組織、"シンボル"だった。それが故に、ファーディナンドは"ゴースト"の隊員達が、かつてのベトナムでの戦争で心に傷を負った者ばかりであることも知っていた。


「まだ、各分隊長に任務の概要を伝えただけですので、隊員たちがどのように判断するかは分かりかねます。ですが……」


 メイナードは淡々と答えたが、そこで彼が一旦、言葉を止めるとファーディナンドもリアムも問うような目線を強めてきた。


「ゲネルバでの作戦で一名の隊員を失いました。補填要員を探さねばなりません。隊員達にも今は休息の時間を与えた方が良いかと……」


それを聞いたファーディナンドは溜め息とともに椅子に深くもたれかかって、湖の方を向いた。リアムも同じように腕を組んで湖の方に向き直る。


「”計画”まで彼らをあの泥臭い、亜熱帯の土地には私も近づけたくなかったが……」


 唸るようにして、言葉を出したファーディナンドは再びメイナードに向き直った。先程のような射すような眼差しではなかったが、二人の立場関係ではメイナードに反抗は許されなかった。


「ソ連の同胞たちと首脳幹部達との会議では"例の物質"の受け渡し場所はやはり、あのカンボジアの軍事顧問団駐屯地で決定ということになった。そう、かつて東西の思惑が北と南で睨み合ったあの一帯だよ。今も戦闘状態にあるあの辺りなら、少々強引な特殊作戦をしても、戦争の影に潜めることができるからね……」


 ファーディナンドに続いて、今度はリアムが口を開いた。


「大佐、”計画”にはあの力が必要なのです。この作戦には我々の命運がかかっています」


 無論、彼もファーディナンドと同じ"シンボル"の一員だ。DARPA長官補佐のコネを使って、開発中の新兵器を"ゴースト"に回すことができる彼は、"ゴースト"の特殊任務が必要となる事態に関する会議の際はメイナードとともに常に召集されていた。


「承知しています」


 ボートの上に乗った少女が釣れた魚を片手に立ち上がり、背後で使用人が狼狽する様子を意に介することもなく、岸のテラスにいる祖父に向かって、両手を大きく振りながら、ジャンプする。それに蔓延の笑みとともに手を振り返したファーディナンドはゆっくりと腰を上げた。素早く側に歩み出た屈強なボディー・ガードがその身体を倒れないように支えながら、杖を手渡す。


「帝国主義と共産主義の傀儡どもを駆逐して、地球上を制する統一国家にしか、この先の人類の未来は救えん。頼んだよ」


 最後にこちらを振り向いてそう言い残した老人は湖の方に続く石階段をボディー・ガードとともに降りていった。メイナードとともにその姿を見送ったリアムは椅子の脇に置いていた暗号ロック付きのカバンを机の上に置くとロックを外し、中から書類の束が入っていると思しき封筒を取り出してメイナードに手渡した。その封筒の表には"TOP SECRET(極秘・部外秘)"という判が押されている。


「アパッチ、ブラックホークとも実戦運用可能段階に入っています。近日中には部品レベルで分解されたものがリトルロックの空軍基地からC-130でタイの空軍基地に運び込まれます」


 リアムの声を聴きながら、メイナードは極秘の資料をめくって中を確かめた。


「アパッチに関しては新型の対戦車誘導弾も一緒にリトルロックに転送しています。また、各隊員の個人装備についてもいくつか準備できましたので、お渡しした資料に記載しています」


 メイナードは言われるよりも先に、それらを読み進めていた。ソ連の機甲師団と正面から渡り合える対戦車ヘリコプターに新型誘導弾、従来の可視光増幅方式のものを改良し、近赤外線域の光も増幅できるようになった新型のパッシブ方式暗視ゴーグル……。よくぞ、DARPAの人間達に知られず、これだけの試作品を持ち出したものだと、メイナードは感心したが、資料には一つだけ気に入らないところがあった。


「素晴らしいですね。しかし、例の新型対地攻撃機が輸送される装備に含まれていないようですが……」


 そこを問うとリアムは頭を掻きながら、目を逸らした。


「A-10の開発はほとんど終了しています。実戦運用も可能なレベルです……。しかし、あの試作機まで持ち出すとなると、組織外の人間に気取られる危険が……」


 しどろもどろに言葉を紡ぎだすリアムにメイナードは畳み掛けた。


「エクランドさん!我々はたった十六人の部下を孤立無援の戦場に、それも"計画"の命運を左右する作戦のために送り出すのです!」


「ええ、それはわかっています。ですからAC-130ガンシップに関しては何とか融通したではありませんか……」


 何とか言い逃れしようとしたリアムだったが、メイナードは譲るつもりはなかった。


「エクランドさん、これは私や部下だけの問題ではないのです。もし、作戦が失敗すれば、モージズ氏や"シンボル"があなたを許すと思われますか?やるしかないのですよ」


 メイナードは湖の岸でボートの上の孫娘を見つめているファーディナンドの方を見ながら、リアムに迫った。その視線の先を辿ったリアムは生唾を飲み下した。組織の命運がかかっている作戦……、それが失敗し、その原因の一端が自分にあると分かった時、自分の身に何が起こるか、瞬時に想像したのだろう……。項垂れたリアムは小さく声を発した。


「分かりました。何とかしましょう」


「お願いします」


 そう言いながらメイナードが返却した資料を再び、ロック付きの鞄の中に片付けたリアム・エクランドは立ち上がり、「お先に失礼します」と言ってテラスを立ち去った。一人残されたメイナードは再び、湖の方を眺めた。


 遊びを終えて岸につけた船から飛び出した少女がファーディナンドに抱き着くところだった。はた目にはその男が世界の命運を握る秘密結社の盟主などということは誰も思いはしないだろう。だが、世界を動かしてきた原動力、真実というものは、そういった日常の中に潜んでいるものだ。そして、また自分も"シンボル"のメンバー達に気づかれぬようにして、彼らの"計画"を自分の目的遂行のために利用しようとしている……。


 エルヴィン・メイナードは昼下がりの日差しが降り注く中、ウッディ・クリークの別荘地を後にする足を踏み出した。





 その姿を湖の対岸にそびえ立つ山の山腹から、緑の原生林に姿を紛れさせて双眼鏡越しに見つめる二人のCIAエージェントの姿があった。


「間違いありません……。特殊戦用特殊部隊指揮官のエルヴィン・メイナードです」


 スナイパーが装備するのと同じギリースーツに身を包み、顔には迷彩色のフェイスペイントを塗った二人の男の片方が口を開いた。


「ファーディナンド・モージズの別荘地にDARPA長官補佐のリアム・エクランドとエルヴィン・メイナード……。やはり、"シンボル"の会合か……」


 望遠機能のある高性能カメラのシャッターを切りながら、もう一人の男も呟いた。


「やつら、何をやらかすつもりでしょうか」


「俺に分かるはずがないだろ」


 隣で呟いた部下に何も考える間もなく返した男だったが、それは現在の状況が切羽詰まっているからだった。別荘の敷地の芝生の上には、黒服姿のボディーガードの姿が二十人ほど見えていたが、この別荘を警備するのは彼らだけではない。敷地の中に生い茂るブナの原生林の中には数えきれないほどの数の動体検知器や監視カメラが擬装を施されて設置され、さらにはギリースーツを着込んで森の中に溶け込んだスナイパー達が監視の目を走らせていた。


 今、上司から命令を受けて、この場所で本来は国内では禁止されている諜報活動を行っている二人のCIAエージェントが本格的なギリースーツに身を包み、姿を隠しているのはそういう事情があってのことだった。


 どこからでも侵入できそうに見えて、実はどこにも監視の抜け目がない……。そんな場所に飛び込んでいる自分達は蟻地獄にかかった蟻そのものだった。


「あいつらの目的なんて、どうでも良いから早く行くぞ!」


 カメラを背嚢の中に片付けて、小声で部下をせき立てた元スナイパーのエージェントと彼の部下は監視者達に気づかれぬように、ギリースーツで覆った体を地面に這わせるようにして、その場を後にした。

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