第一章 三話 「葬斂」

 軍人墓地は市外から数キロ程離れた、緑に包まれた小高い丘の上にあった。白小目の石材で造られた墓石が整然と立ち並ぶ中に、ハワード・レイネスの名が刻まれた墓もその他の無数の墓達と同じく、ひっそりと目立たないように立っていた。その傍らには大樹がたち、枝の上で鳥達が羽を休め、時おり仲間同士でさえずっている。


 運転手を車に残し、菊の花束を片手に車を降りたウィリアムとメイナードは互いに言葉を交えることはなく、ハワードの墓の前に来てようやくメイナードが口を開いた。


「彼は母親と同じ墓地に葬ってくれ、と言っていたが、あいにく彼の母親がメキシコからの不法移民であったため、彼の指定した墓地はすでに存在しなった。最後の願いくらい聞き入れてやりたかったのだが……、残念だ……」


 メイナードの、やりきれないといった声が本心からなのか、それとも体裁を取り繕うためだけのものなのか、ウィリアムには分からなかったが、そんなことは今はどうでもよかった。ハワードの墓の前にひざまずき、目を閉じたウィリアムは亡き部下に思いを馳せた。


 メキシコからの不法移民の子として育ち、差別と貧困の中で不遇の青春期を送ったはずの彼だったが、仲間の前ではその暗い過去の片鱗を見せることは一度もなかった。博識でおおらかな曹長……、もう戻らぬ部下の顔を今一度思い出したウィリアムは心の中で念じた。


(すまない…。だが、今はまだ死ぬわけにはいかない。最後の務めを果たすまでは……)


 ウィリアムが再び目を開き、顔を上げた時、後ろで立っていたメイナードが口を開いた。


「カークス……、こんな時にすまないと思っている……。できれば、君にはまだ休息が必要だということは分かっている……。だが……」


 立ち上がったウィリアムはメイナードの方を向いて、慄然とした様子でしっかりとその目を見た。ウィリアムの中には、すでに分隊長の重荷を引き受け続ける覚悟ができていた。それを感じ取ったのか、そこまで躊躇いがちに喋っていたメイナードはその後に続く言葉を、命令を躊躇うことなく、真っ直ぐに自分を見返す部下に告げた。


「南ベトナム・ダクラク省北部の国境から北西に八十マイル、カンボジア領内のソ連軍事顧問団駐屯基地への潜入と殲滅任務を命じる」


 覚悟はしていたはずだが、わずかに体が揺らいだ。南ベトナム、ダクラク省……、かつて親しみ深かったそれらの言葉がウィリアムの記憶を掻きまわしていったが、彼はそれを表に出すことはなく、敬礼とともに慄然と答えた。


「任務受領いたしました」


 枝の上から鳥達が飛び立ち、ハワードの墓の上に広がる青空へと飛び立っていったのは丁度その時だった。





 詳しい作戦の内容の説明は車の中に戻ってから続けられた。


 タイ空軍の基地から二機のヘリコプターで飛び立ち、敵の対空砲を避けつつ、NOE(地形追随飛行)で目標地点の十キロ手前まで北上。ヘリコプターを降りた後は工作員と接触し、彼らのボートを使って、トンレ・スレイポック川を下り、目的地に最接近したところで最後は徒歩行軍にて基地に接近し、夜襲をかける。


 目標はソ連軍事顧問団が駐屯する南ベトナム解放民族戦線の前哨基地、駐屯地内部でスペツナズの隊員達によって護衛されているロシア人物理学者と生物学者を救出すること。作戦に当たって、彼らが持ち込んだ研究資料や資材は全て破壊、障害となるものも全て排除し、作戦終了後は南東に向かって移動した後、サモットクラアム周辺で南ベトナム海軍の哨戒艇に回収してもらい、トンレ・スポイック川を下って、南ベトナム支配下のダクラク省へと退避する……。


 細かい部分は省き、要点だけを掴むようにして、メイナードは伝えたが、それでもかなり大がかりな作戦になることはウィリアムには分かった。


 合衆国が回収に動くほどの能力を持ったロシアの科学者がソ連本国ではなく、辺境の地ともいえるカンボジアの中部高原にいる……。明らかに不自然な事態に加えて、任務の場所は国際法上、アメリカ軍地上戦力が存在していてはいけないカンボジアと南ベトナム国境地帯……、グリーンベレーやNavy SEALsは勿論、新設の"デルタ"が関わりたがるはずはなく、メイナードは「任務完了のためには、スペツナズの一個小隊を破らなくてはならない……。だから、特殊部隊殺し専門の我々にこの任務が任せられたんだよ」と言ったが、事実は他の部隊から押し付けられたのだ、ということは明らかだった。


 だが、任ぜられた任務を実行するだけのウィリアムに、そんな事情は関心がなかった。気になるのは任務そのものに関することだけだ。


「その軍事顧問団基地というのが、どれほどの規模であるのか、詳細な情報を今見ることはできますか?」


 ウィリアムの簡潔な問いに、「ああ、勿論だ。」と答えたメイナードは傍らに置いていた黒色の革カバンの中から藁半紙の封筒を取り出すと、その中から数枚のモノクロ写真を含んだ資料を取り出した。


 ウィリアムは偵察写真と思しき、それらを受け取ると、一枚一枚食い入るように見つめた。その様子を横から伺いながら、メイナードが補足した。


「駐屯している部隊の規模はおおよそ三百人ほど。だが、基地の中にはヘリコプター用の飛行場もあるし、戦車もある。周囲の警備も固く、正攻法では落とせん」


 メイナードの言葉を聞きながら、ウィリアムは上空から基地を撮影した航空写真とそれを基に描かれた基地の模式図を互いに比較し合いながら見つめ続けていた。


 基地は南側を除く周囲二百七十度を谷に囲まれていた。谷の深さは五十メートル以上、基地の中へと至る道は北側から来て橋を渡る道か、唯一陸続きになっている南側からの道しかなく、どちらも基地に入る直前には車止めと土嚢を積み上げた機銃陣地、金属製の監視塔が建ち、侵入者を探す監視の目を光らせている。おそらく、この二つの道を使っての潜入は不可能だと思われた。


 更にウィリアムは基地の内部の様子にも詳細まで目を向けた。先程の北側から来た道は基地の中央を突っ切り、南側の道まで繋がっている。その一本道の西側には大きな倉庫が二つ、道沿いに立ち並び、倉庫のさらに西側には小さな木造の建築物、恐らくは解放民族戦線の兵士達の兵舎が十数個並んでいた。一本道の東側には基地の司令部を含む中央棟が建ち、その南側に発電施設の建物、東側には管制棟とヘリコプター飛行場があり、上空から見た飛行場の写真には数機のヘリコプターの姿が写っていた。さらに飛行場と中央棟の北側は車両置き場になっており、車輌の他にSA-2ガイドライン高高度防空ミサイルの姿も見えた。


 基地の外縁部には米軍の爆撃に備えて設置されたと思われる、ZU-23-2連装対空機関砲を擁した機銃陣地が基地の東側と西側にそれぞれ四基ずつ等間隔で設置され、北側ゲートと南側ゲートとともに基地の全集を取り囲んでいた。


「周囲は谷に囲まれ、唯一外とつながる北と南の道は見ての通り、厳重に警戒されていて侵入は困難だ。だが、基地の西と東、ほら、ここだ。歩哨が谷へと降りるための階段がある。これを使ってなら、基地内部への侵入はもう少し簡単だろう」


 メイナードの説明を聞きながら、大まかな基地内の設備の配置位置を把握し、侵入経路について頭の中で考えたウィリアムは資料のベージをめくった。より荒いモノクロの画像は実際に現地で撮られたものらしい。先程の飛行場に停まるヘリコプターが数機写されていた。その内の一機、写真の中央に写る一際大きいヘリコプターをメイナードは指でさした。


「これだ。ソ連軍はこの大型ヘリコプターで目標の二人と研究資材を運んで来た。作戦の時には、これも完全に破壊してくれ」


 見たことのない、恐らくはソビエト製の大型輸送ヘリコプターの外観の特徴を覚えながら、ウィリアムが資料をめくると、次のページには二人の男の顔写真が写っていた。ウィリアムは違和感を覚えた。


 鉄のカーテンの向こう側の人間なのに、隠し撮りされたとか、そういう類いのものではない。二人の男の写真は、身分証明に用いるような正面間近から撮影されたものだったのだ。ページの上側の写真には顔の太いひげ面の男が瞼のたるんだ目を、こちらに向けていた。もう一つの写真には先程の男とは対照的な、顔の細くて若そうな金髪の青年の顔が写っていた。


「拉致するということは、それなりの科学者なのですが?」


 聞いても全ては教えられないだろうと思いながらも、ウィリアムは問うた。メイナードは腕を組み、前を向いたまま頷いた。


「ああ……。彼らの技術は世界の枠組みを大きく変えるものになる……。かつての核エネルギーのようにな……」


 半ば微笑を浮かべたメイナードの横顔にその技術が如何なるものなのか、そして、なぜそれほど重要な科学者がソ連本国ではなく、カンボジアの中部高原にいるのか、聞きたいことは多くあったが、ウィリアムはあえてそれを聞こうとはしなかった。


 恐らくは機密事項……、それにそもそも行って見てみればわかることだ。自分達に求められているのは作戦の目的を考察することではない。ただ、求められた結果を確実に叩き出すことだ。そう、以前の自分はそこが間違えていた。戦争に正義など求めたりしたから、チューチリンでのようなことが起こったのだ……。


 ウィリアムは無言で資料をメイナードに返した。


「これらのコピーは詳細な作戦要綱とともに数日中に本部にて君とサンダースには配る。部下には君達が直接伝えてくれ」


 資料を入れた封筒をカバンに収めながら、こちらを向いたメイナードが意味ありげに口を開く。


「なにせ、ベトナムだ。部隊の中には辞退したがるものもいるだろう。その時は彼らの意見を優先させてやってくれ。補充の要員はその時に探そう」





 再び駐屯地に戻り、特殊戦用特殊部隊の庁舎の前に来たところでウィリアムは車を降りた。例の軍事顧問団基地に関する話をしていたのは体感よりもかなり長く、すでに日は傾き始め、地平線に隠れかけた太陽の光が駐屯地を茜色に染めていた。ウィリアムは車を出たところで、意を決してハワードから受け取ったライターを取り出した。


「ハワードが死に際に私に渡したものです」


 ウィリアムが手渡したライターをじっくりと見ながら、メイナードは「大戦中のものだな……」と呟いて、所在なさげにこちらを向いた。


「あの時、ハワードは脱走兵だった時のカナダでの仲間がどうとかと言っていましたが。何せあの状況でありましたし、それにわたしには……」


「調査する権限も能力もないというのだな。よし、分かった。この件については私が調べておこう。」


 ウィリアムの意思を汲み取ったメイナードはライターを軍服のポケットに入れた。


「よろしくお願いします」


 メイナードを乗せた黒い公用車が視界から消えるまで見送ったウィリアムは、庁舎に戻る足を踏み出した。カンボジア・ベトナムへの任務……、恐らくは部下達にとっても、心に深い傷を残したあの亜熱帯の地での任務をいずれ彼らに伝えなければならない……。ウィリアムの胸の内は重く沈んでいて、一日の終わりの暖かい陽光に照らされた駐屯地の景色とは裏腹に、これから始まる試練を予感して暗く冷えきっていた。

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