第40話 珍しくネガティブになる彼女。

大和やまと君さー、私のこと好き?」

 いつも通りの文芸部室で、結朱ゆずが唐突にそんなことを訊ねてきた。

 今日はここに来るなりずっと黙ったままで、妙にテンション低いなと思ったものの、口を開けばこの通りである。

「あほか。何度も言うが偽物カップルだぞ、俺たち」

 俺もいつものように結朱の妄言を受け流しながら、ゲームの準備を続ける。

 すると、結朱は例の如く人の話を聞かないナルシスト全開の返しを――

「そっかぁ……そうだよねえ……ごめんね、大和君……」

 ――せずに、部屋の隅っこで膝を抱えてしまった。

 な、なんだ? 何があった?

「おい結朱、どうしたんだ」

 悪いものでも食べたのかと顔を覗き込んでみると、彼女はどんよりとした表情でこっちを見つめ返してきた。

「……いやなんかもう、今日は何やっても駄目な日なの。そっとしておいて……好きでもない私のために大和君が気を揉むことはないし」

 信じられないくらいネガティブだ……え、偽物じゃないよね?

 とりあえず俺は彼女の隣に座って、様子を窺うことに。

「ま、まあそう言うなよ。何があったのか言ってみ?」

 そう促すと、彼女は少し逡巡しゅんじゅんを見せてから口を開いた。

「……今朝、テレビの占いで最下位だったの」

「は?」

「『今日の運勢は最悪。忘れ物には注意。仕事や勉強では苦手な分野に挑むかも。怪我にも気を付けて。恋人との仲も険悪に。押して駄目なら引いてみて』……だって。もうフルコースだよね。びっくりしたよ」

「え……それだけでこんなへこんでるのか?」

 思いのほかしょうもない理由が出てきてしまい、逆に動揺する俺。

 だが、結朱は唇を尖らせてこっちを見つめてきた。

「私だってそれだけなら縁起悪いなーって済ませるよ。でもね、今日一日、その占いの内容がめちゃくちゃ当たってたんだよ。宿題やったのに家に忘れてきたし、小テストで苦手なところばっかり出てきて初めて赤点取ったし、サッカー部のボールが頭に激突するし」

 よく見ると結朱のおでこが赤くなっている。ボール痕だろう。

「そいつは災難だったな……」

 思わず同情する俺に、結朱はちょっとだけ咎めるような視線を送ってきた。

「うん……でもまだその辺は自分のミスだと思ったから、最後の望みを懸けて大和君にさっきの質問をしたわけだったけど、やっぱり駄目だったし……」

 なるほど。さっきのアレはそういう流れだったのか。

 となると、悪いことをした気になってくるな。『恋人との仲も険悪に』という占いを、計らずとも俺が当ててしまうことになったわけだし。

「いやまあ、確かに悪いことが重なってるけど、あくまで占いは占いだからな。そう気にしすぎずに」

「じゃあ大和君は私のこと好き?」

 慰める俺に、間髪入れず結朱が質問を返してきた。

 しかも……また答えづらいことを訊ねてくる。ここで好きというのも抵抗あるが、だからといって違うって言ってしまえば、また占いの後押しをすることになる。

「ああ、うん……まあ」

 つい歯切れ悪く答えると、結朱の表情が更に暗くなった。

「曖昧なんだけど……いいよ、そんなに気を遣ってくれなくて」

 うわ、もっと落ち込んでしまった。

「そ、そんなことないって。好きだから、うん。いやもうほんと超好きだし」

 恥ずかしさを堪えながら改めて言ってみると、結朱は深い溜め息を吐いた。

「言い方が軽い……優しい嘘だね、大和君」

 うぐっ、更に悪化しちまった。

 いやだが、ここで俺がうまくフォローしないと、結朱が占いから抜け出せなくなってしまう。

 これはあくまでメンタルケア。そう、一種のカウンセリングみたいなもんだ。

 感情を交えず、淡々と言葉を紡げば問題ない……はず。

「嘘じゃないって。ほんと、結朱のことは大……好きですよ」

 あ、無理。もう無理。

 たった1ワードで心が折れたよね。こんな恥ずかしいとはさすがに予想外だし。

「……本当に?」

 が、無理した甲斐があったのか、さっきまで落ち込みまくっていた結朱が、少しだけ心を開いてくれそうな気配を見せた。

「お、おう。ほら、なんだかんだで可愛いし」

 いつもの結朱なら、これだけで簡単に機嫌を直してくれる。

 が、今日の彼女はそこまでいかず、まだ元気のない表情を浮かべていた。

「うーん……まだ信じられないなあ」

 ぐっ……こいつ、まだ俺にこんな恥ずかしい台詞を続けろというのか。

「し、信じろって。本当に好きだか……ら」

「それが本心なら、もっと歯切れよく言ってほしいんだけどなあ」

「だ、大好きです」

「もっと大きな声で」

「大好きです!」

 誰か助けてくれ。

 明らかに結朱より俺のほうが精神を蝕まれてるだろ、これ。

 が、ここまで言ったからには、こいつもさすがに立ち直っているはず。

 そんな希望を持って結朱を見るも、残念ながらまだ彼女に笑顔は戻っていなかった。

「うーん……口だけならなんとでも言えるからなあ」

 まだ疑ってるのか、こいつ。

 元々、自信家のくせに変なところでメンタルが弱い奴だが、こんなところで脆さを発揮しなくていいのに。

「いつもなんだかんだで私よりゲーム優先だし、割とぞんざいに扱われてるし」

 いや、単に俺の日頃の行動が招いた不信感だった。

「どうしろと……」

 ちょっと罪悪感を刺激された俺が訊ねると、結朱は少し考えてから口を開いた。

「態度で示してほしいなあ。私のことがとっても大好きだと」

「態度……?」

 首を傾げる俺に、結朱は深々と頷いてみせた。

「うん、態度。プレゼントを贈ってみるとか、ラブレターを書いてみるとか、スキンシップを増やしてみるとか。とにかく私が喜ぶことを何かやってみる心意気が欲しい」

「分かった。じゃあ今日はお前の分までレベル上げをしといてやろう」

「微妙なんだけど! やっぱり私よりゲーム優先じゃない!? さっきの話聞いてた!?」

 純度一〇〇%の厚意だったのだが、逆効果になってしまった。

「そうは言われても、俺からレベル上げを取り上げたら何も残らないぞ」

「どういう人間性なのさ……」

 呆れられてしまったが、これに関してはぐうの音も出ない。

 とはいえ、そこで真っ直ぐに指摘を受け入れられるほど俺も大人ではない。

 さっきからやらされていた恥ずかしい行動の数々もあり、半ば捨て鉢になってきた。

「つってもなあ、他にできることって言ったら、お前のこと膝枕しながらサッカーボールが当たった部分を撫でてやることくらいだぞ? 痛いの痛いの飛んでけってな」

「あ、それいいじゃん」

「え?」

「では、早速お願いします」

「え……え?」

 軽い気持ちで零した冗談を真に受けられてしまった。

 うそ、やるの? マジで?

 困惑とともに結朱を見るが、彼女はなんかやたら乗り気なようで、キラキラした目でこっちを見ていた。いやいや……本当に?

「えと、じゃあどうぞ」

 自分で言い出したことだけに後に退けなくなった俺が、あぐらをかいた太ももを差し出すと、結朱はパッと表情を明るくして近づいてきた。

「じゃあ、お願いします」

 そして、そのまま本当に俺の膝の上に頭を載せてしまった。

 途端、太ももに伝わってくる結朱の体温と触れ合った箇所のくすぐったさに、困惑と羞恥がみるみるうちに高まる。

 が、結朱の目が早く続きをと促してきていた。

 仕方なく、俺は結朱のおでこに手を載せる。

「い、痛いの痛いの飛んでけー」

 途端に、結朱の表情がふにゃっと緩んだ。

「あ、本当に飛んでいった。おかげで完治したよ」

「間違いなくプラシーボ効果だな」

 現代医学も真っ青なおまじないである。

「ふう……おかげで痛みもなくなったし、気分もすっきりしたよ。しかも、なんか気持ちが前向きになってきた。やっぱり落ち込んだ時は大和君の手だわ」

「どんだけゴッドハンドなんだ、俺。抗うつ剤みたいな神通力発揮してるんだけど」

 バスケとRPGくらいしかやってこなかったこの手に、何故神様はそんな力を与えたもうたのか。人類の謎がまた一つ増えた。

 時代が時代なら、ちょっとした宗教を開けたんじゃないかと思いながら自分の手を見ていると、完全に持ち直した結朱は俺の膝からどいて、テレビのあるほうに向かった。

「じゃ、今日も元気にゲームの続きをやろうか! お礼に私がゲームの準備してあげるね」

 さっきまでの落ち込みはどこへやら、完全回復した結朱が鼻歌交じりでゲームのセッティングを始める。

 そして、思い出したようにこっちを見た。

「にしても、今朝の占いはやっぱりよく当たるね」

「どういう意味だ?」

「恋愛運は『押して駄目なら引いてみろ』って言ってたし。うん、おかげで大和君にいっぱい好きアピールしてもらえちゃった」

 屈託のない笑みを浮かべる結朱。

「……そうかよ」

 なんかどっと疲れた。

 これ、本当は結朱じゃなくて俺が占い最下位だったんじゃないか?

 そう思い、俺はスマホで今日の運勢を検索してみる。

『今日のあなたは最高にラッキー! 好きな人に素直な気持ちを伝えるチャンスが来るかも!』

 そこまで見たところで、俺はスマホを閉じた。

「……やっぱり占いなんか当てにならねえな」

 呟き、俺もテレビの前に向かうのだった。



 後日。

「大和君! 今日は占いで恋人と世界一臭い缶詰シュールストレミングを食べると運気が上がるって出てたよ! 早速試して――」

「お前もう占い見るのやめろ!」

 占いのせいでまた酷い目に遭う俺がいたのだった。


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