第39話 一緒に朝食を食べるカップル。

「あ、おーい。大和やまと君、こっちこっち」

 俺が喫茶店に入るなり、先に来ていた結朱ゆずが手を振って呼んできた。

「朝から元気だな、あいつ……」

 ぽつりとこぼしながら、俺は彼女の待つ席へ向かうと、対面に座った。

「こんな朝早くによく来たね、大和君。そんなに私に会いたかった?」

「お前が呼び出したんだろうが」

 いつもどおりの妄言を吐く結朱に白い目を向ける。

 時刻は午前七時半。

 普段の待ち合わせよりも早い時間に、俺たちはこうして顔を合わせることになったのだった。

「だって今日は午後に用事があって会えないんだもん。その分、大和君が寂しがらないようにと思って、こうして時間を作ってあげたのに」

 唇を尖らせて、謎の恩着せがましさを見せる結朱。

「寂しがってるのはお前だろ」

「むぅ……そういう解釈もある。あ、でも彼氏に会えなくて寂しがる彼女って可愛いよね。また一つ可愛くなってしまったか、私」

「なにナルシストとしての階段をまた一つ登ってるんだよ」

 呆れた俺は会話を打ち切り、メニューを手に取る。

 すると、結朱がそれに反応してパッと顔を明るくした。

「ここのモーニングはおいしいと評判なんだよ。おすすめはパンケーキ」

「へー、そうなんだ。じゃ、トーストでも頼むか」

「私の意見を完全無視したね!」

 呼び出しベルを鳴らし、店員さんを呼ぶ。

 俺はトーストセット、結朱はパンケーキを頼み、しばし待つことに。

「そういえば今日、一限目なんだっけ?」

「数学だよ。大和君、宿題やってきた?」

「うわ、そんなのあったな」

 家に帰ったら速攻でゲームを始めてしまったため、今の今まですっかり忘れていた。

「やれやれだね、まったく。確認しといてよかったよ」

 読みが当たって嬉しいのか、ドヤ顔の結朱。

 実に業腹だが、実際俺が悪いので何も言い返せない。

「いや助かった。ところで、とっても頭がよくて可愛くて優しい結朱ちゃんに頼み事が一つあるんだけど」

「ほーう? そこまで言われたら聞かざるを得ないね。苦しゅうない、申してみよ」

 これでもかというほど調子に乗った結朱に、俺は不本意ながら深々と頭を下げた。

「宿題写させてください」

「しょうがないなあ。いいけど、条件があるよ」

「……なんだよ」

「私をひたすら褒め称えること! 私が機嫌よくなったら、それに応じたページ数を見せていきますので」

 なんか自力で宿題解くより面倒な条件出してきたぞ、こいつ。

「ちなみに、さっきの褒めポイントで一ページ獲得したからね。宿題は残り九ページ、頑張ってね、大和君」

「おのれい……なんてふざけたナルシ――」

「あ、ちなみに褒めポイントはマイナスもあるからね。そうなったら当然見せませんけど」

「――なんて素晴らしい彼女なんだ。こんな子と付き合えて俺は幸せだわ」

「はい、一ページ追加です。残り八ページ」

 宿題の写しと引き替えに、何か大事なものを失った気がする俺であった。

 ともあれ、この条件だと全部写させてもらうのは辛いな、精神的に。

「しょうがない。簡単なところだけ自力で解いて、難しいところだけ写させてもらうか」

「うんうん。自分でやらないと力が付かないからね、頑張って」

 そうして、俺は教科書とノートを鞄から出し、宿題になっているページの問題を解いていく。

 その間、何が面白いのか結朱はじっと俺を見つめていた。

「……なあ。別にスマホ見たりしていいぞ。そんなに俺のこと見てても面白くないだろ」

 微妙な居心地の悪さを感じて話し掛けると、結朱はどこか悪戯っぽく笑った。

「そう? 真剣に頑張ってる彼氏の顔を見てるのも楽しいものだよ?」

 また微妙に恥ずかしいことを言ってくる結朱。

「……やっぱスマホ見とけ。集中できん」

「はいはい。ま、私みたいな可愛い子に凝視されたら緊張しちゃうのは普通か。配慮が足りなくてごめんね、大和君」

「ツッコみたいところだが、もう面倒なんでそれでいいわ」

 結朱の視線が外れると、俺は再び問題を解き始める。

 最初こそ順調だったものの、徐々に問題が難しくなっていき、少しずつ俺の手は遅くなっていった。

「お待たせしました、トーストセットとパンケーキセットです」

 と、集中していて気付かなかったが、店員さんが注文したメニューを持ってきてくれた。

「ちょうど手も止まってきたし、休憩しようよ」

「そうだな」

 出来たてを逃すのは作った人にも申し訳ない。

 俺は教科書とノートを隅に寄せ、トーストセットを手前に持ってくる。

「わ、パンケーキ美味しそう。いただきます!」

「いただきます」

 結朱に合わせて、一緒に食事を摂る。

 トーストはサクッとした食感だが、中はもちもちで、噛みしめる度に小麦とバターの香りが広がった。

「……確かに美味しい」

「でしょ?」

 自分が作ったわけでもないのに、結朱は何故か得意げだった。

 が、それよりも俺は彼女の手元にあるパンケーキのほうに目が吸い寄せられる。

「……おい、今まで気付かなかったけど、なんだそれ」

 宿題に意識が持っていかれたため、全く視界に入っていなかったが、結朱のパンケーキはものすごく異様な盛り付けをされていた。

 なんていうか……ステーキを載せるような熱々の鉄板に載っているのである。

「この店名物の鉄板スフレパンケーキだよ」

 鉄板に落ちたはちみつが焼ける甘い匂いが漂う中、結朱はさらりと商品名を告げる。

「名物か……確かにインパクトはあるな」

「味もいいんだよ。一口食べてみなよ」

 結朱はナイフとフォークでパンケーキを切り分けると、俺の口元に差し出してきた。

「じゃあ、せっかくだし。勉強中の糖分補給にもなるしな」

「はい、あーん」

 結朱の提案に乗り、一口分けてもらおうとした、その時である。

「……あれ、七峰ななみね和泉いずみじゃない?」

「うわ、こんな時間から一緒にいるし。もしかして……朝帰り?」

 店内から知り合いらしきひそひそ声が聞こえてきた。

 反射的に、俺たちはぎくりと身体を強張らせる。

 ――それがいけなかった。

 一瞬の動揺で状況を忘れた俺たちは、互いに距離感を間違え、必要以上に前のめりになってしまう。

 その結果、

「あっつ!?」

「大和君!?」

 結朱の差し出した熱々のパンケーキが、俺の首元に押しつけられた。

 唐突な焼き印に驚いて飛び退く俺と、目を見開く結朱。

「だ、大丈夫? ごめんね、びっくりしちゃって」

「いや、俺も同じだから」

 俺はおしぼりで焼き印が押された箇所を冷やしながら、さっき話し声が聞こえてきたほうを見る。

 が、誰もいない。

 出口の方を見ると、結朱と同じ制服を着た後ろ姿が店の外に出ていく姿を捉えた。

「……こっちに気付かれたと分かって逃げたか」

 今の一瞬で消え去るとは、どこの誰かは知らないが忍者のような身のこなしだな。

「大和君、首見せて」

 そんなことを考えていると、心配そうな結朱がこっちを覗き込んできていた。

「ん、たいしたことないと思うぞ」

 おしぼりを外して首を見せると、やはり軽傷だったのか、結朱はほっとしたように表情を和らげた。

「少し赤くなってるだけみたい。これなら今日中にでも治りそう」

 と、そこで結朱は表情を暗くする。

「けど、今のは私の不注意だったね。ごめん、熱かったよね?」

「んなもん気にするなって。たいしたことじゃなかったんだし」

「でも……」

「あんまり気にされると、こっちも気まずいし。お前は周りに気を遣いすぎだ」

 俺が叱ると、そこで結朱はようやく表情を緩めた。

「ん……ありがと」

「ああ。ま、気にしすぎはよくないが、そうやってちゃんと相手を思いやれるのも、結朱の長所だと思うぞ」

「大和君……」

 目を丸くする結朱を見て、俺は悪戯に成功したような気分で笑った。

「今の、褒めポイントいくつ?」

 俺が冗談めかしてみせると、結朱は楽しそうな笑みを浮かべた。

「……一〇〇点。よかったね、これで宿題完了だよ」

「よっしゃ。禍福はあざなえる縄の如しってやつだな」

 ちょうどよく宿題を終わらせる当てができて、俺は小さくガッツポーズをするのだった。


 朝食と宿題を終え、俺たちは学校に登校する。

 そうして教室に一歩足を踏み入れた途端、妙な空気……というか視線が、俺たちに向けられた。

「あ、結朱っちに和泉。おはよう」

 その時、クラスメイトの生瀬なませが声を掛けてきた。

「ああ、おはよう」

「おはよ、啓吾けいご。ねえ、なんか変な空気じゃない?」

 居心地悪そうに訊ねる結朱。

 すると生瀬は意味ありげな視線を俺と結朱に向けてきた。

「いやあ……それが、なんか二人が朝帰りで学校に来たんじゃないかって噂が流れててさ」

 と、生瀬が切り出したのをきっかけに、クラスメイトたちがこっちの会話に聞き耳を立て始めたのを感じた。

 ……なるほど。喫茶店にいたあいつらが妙な噂を流したらしい。

「デマです。私は大和君とわざわざ朝に待ち合わせてご飯を一緒に食べただけ」

 動揺するとより疑われると分かっているのか、結朱は毅然とした態度で否定した。

 と、それが説得力を持ったのか、教室の空気が少しだけ緩む。

「そっか。まあそうだろうと思ったけど……というより、今の今まで俺もそう思ってたんだけどさ」

「なに?」

 結朱が首を傾げると、生瀬は申し訳なさそうな顔をして俺の首元、パンケーキによる火傷がある部分を指差した。

「さすがにキスマークまで見せつけられると、ちょっと……」

「え……いやいやいや! これキスマークじゃないから!」

 さっきの毅然きぜんとした態度はどこへやら、不意打ちを食らった結朱は真っ赤になって否定し始めた。

「馬鹿、そんなあからさまな態度を取ったら……!」

 俺が止めようとするが、時既に遅し。

「……あれ、やっぱりあやしくない?」

「あやしいね」

「朝帰りで、キスマーク」

「確定と見てよろしいのでは?」

 教室中に、すごい勢いで噂話が流れていった。

 それを聞いて、真っ赤になった結朱が羞恥のためかぷるぷると震える。

「だ、だから違うんだってー!」

 結朱の叫びに、耳を貸す者はいなかった。


 教訓・朝のパンケーキは凶器。


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