第36話 彼氏が猫に夢中で構ってくれない時の彼女。

「サブイベもクリアしたし、少し休憩しようか」

 いつも通りの文芸部室で、結朱ゆずがコントローラーを置いてそう提案してきた。

 少し疲れていた俺も、素直に同意する。

「そうだな」

 かれこれ、一時間もゲームをやっている。切りも良いし、ちょっと休もう。

 そう思い、ぐっと伸びをした時だった。

「にゃー」

 廊下から何かが聞こえてきた。

「……ん? なんだ、今の」

「猫の鳴き声っぽいよね」

 結朱と顔を見合わせてから、揃って廊下のほうに視線を向ける。

 すると、すぐにカリカリと文芸部室のドアを引っ掻くような音が聞こえてきた。

「……猫がドアの前で開けろアピールしてるような音に聞こえるんだが」

「私にもそう聞こえる。どうしよっか」

 少し困った表情の結朱が、判断を仰いでくる。

 俺はしばし考えた後、一つ頷いた。

「開けたほうがいいだろうな。廊下の猫に気を引かれて通行人がやってきたら、そっちのほうが厄介だ」

 そう決めると、俺は立ち上がり、ゆっくりとドアを開ける。

「にゃー」

 と、僅かに開いた隙間から、するりと猫が文芸部室に入ってきた。

 妙に毛並みのいい三毛猫である。

 奴はドアを開けた俺のことを一瞥することもなく、まるで我が家に帰宅したかのような態度で室内を闊歩していた。

「あ、可愛い。おいでおいで」

 結朱がはしゃいだ様子で猫を呼ぶ。

 よっぽど人に慣れているのか、猫は逆らうことなく、彼女の膝に飛び乗った。

「かーわーいーいー」

 ほっこりした表情を浮かべ、結朱は猫を撫でる。

 その拍子に、首元の毛に隠れていた首輪が見えた。

「こいつ、飼い猫なのか。なんで学校にいるんだ?」

 自分のパイプ椅子に座りながら首を傾げる俺に、結朱が何か思い出したような顔をした。

「そういえば、事務室で飼われてる猫がいるって聞いたことあるなあ。多分、その子が抜け出してきたんじゃない? 確か名前はぽんずだったはず」

「へー……よく知ってるな」

「大和君と違って顔が広いからね。いや、物理的には小顔ですけど」

 忘れることなく自画自賛をかます結朱。

 そんな結朱のナルシストっぷりにうんざりしたのか、猫は彼女の膝の上から降りると、俺の膝の上に飛び乗ってきた。

「お、結朱よりも俺のほうが好きか。見所があるな」

 可愛げのある猫の頭を撫でてやる。

「む。男の趣味悪いよー、ぽんず。大和やまと君を選ぶとか、見る目がないにも程がある」

「お前が言うな」

 我が最愛の彼女を白い目で見てから、膝の上の猫に目線を落とす。

 ここのところ寒くなってきたので、この体温と柔らかさが非常に心地良い。

「あー……猫はいいな。癒される」

「へえ。大和君って猫好きなんだ?」

「ああ、好きだ。可愛いし、触り心地いいし、なんか自由だし」

 自分の家じゃ飼えないけど、猫飼ってる親戚の家に行った時はずっともふもふしている。

「私も好き。けど、その子は事務室のところの子だから、そろそろ帰さないと事務員さんが探しに来ちゃうかもよ?」

「んー……もう少し」

 駄目だと分かっていてもやめられない。猫は中毒性がある危険な物質である。

「大和君がここまで骨抜きにされるとは……猫、恐るべし」

 戦慄する結朱をよそに、よほど俺と相性がいいのか、ぽんずは膝の上で完全に丸くなり、昼寝の体勢に入った。

「自由奔放なのに愛嬌があるっていいよなあ……落ち着くし、癒されるし、ずっと一緒にいたいわ」

 もう癒されすぎて完全に緊張の糸が切れた俺は、思考がそのまま垂れ流しになりつつあった。

「うむむ……私にもそんなこと言ってくれたことないのに。いや、私も猫好きだから分かるけど……でもなんか複雑」

 と、なんか結朱が隣で唇を尖らせていた。

「いいよなあ、猫。事務室にいるんなら、また会いに行くか。定期的に通ったら顔覚えてくれるかな」

「すごいマメだね。私のことは割とぞんざいに扱うくせに」

 ちくちくクレームが入っている気がするが、猫で弛緩した俺の脳には届かない。

「そうだ、休みの日に会いに来るのはどうだろう。授業ないし、たっぷり遊べるな」

「おーい? 休日は最愛の彼女に使ってみないかね? デートに誘う相手がいる幸福を噛みしめてみない?」

 痺れを切らしたのか、とうとう結朱が袖を引っ張ってきた。

「ねー、猫よりも私に構ってよー。孤独感がすごいんだけど。猫も可愛いけど、私も負けず劣らず可愛いでしょー」

「お前は何に対抗してるんだ……」

 猫に張り合う結朱に呆れ顔をすると、彼女は頬を膨らませる。

「だってさー、常日頃から私がしてほしいなーって思ってもしてくれないことを、何故かぽっと出の猫が全部してもらってるんだよ? これは彼女の沽券こけんに関わるでしょ」

「関わらねえよ……どんだけ余裕ないんだ、お前は」

 正論で返すが、結朱はますます拗ねたような顔をしてしまう。

「それは私のせいではなく、普段から愛情表現をちゃんとしてくれない大和君のせいだと思うの。だから私に余裕が生まれない。大和君は猫にすら嫉妬する大人げない女と付き合ってるってことを、もっと自覚してほしいね」

「自分で言うか」

「言いますとも」

 大真面目に頷く結朱。

 と、そこで俺の膝に乗っていたぽんずが、むくっと起き上がり、ドアのほうに向かった。

「にゃー」

 何かを訴えるように俺のほうを見ながら、カリカリとドアを爪で擦る。

「む、また出ようとしてるのか。事務室に帰りたがってるのかな」

 となれば、閉じ込めていくわけにもいかない。

 俺は再び文芸部室のドアをゆっくり開けていく。

 すると、ぽんずはまたもドアが開ききる前に、隙間からするりと抜けてしまった。

「あ、コラ。一人で出るなって」

 慌てた俺が、廊下まで追いかけようとした時だった。

「ぽんず! ここにいたのか!」

 廊下から人の声が聞こえてきて、慌てて文芸部室に引っ込んだ。

 少しだけ隙間を空けてみると、事務員さんらしきおじさんが、ぽんずを抱えている。

「まったく、心配させて。おーい、ぽんず見つかったぞー」

 そうして、事務員さんは俺たちの存在に気付くことなく、ぽんずを抱えたまま去っていった。

「飼い主が迎えに来てたから、部室を出ようとしたのか……」

 少し寂しいが、まあ飼い主と一緒にいるなら追いかけるわけにもいくまい。

 今度、事務室に遊びに行こう。

 そう決めることで未練を切り捨て、踵を返す。

「よし。いい気分転換になったし、ゲームの続きやるか」

「やだ」

 が、リフレッシュに成功した俺とは対照的に、結朱はこっちに背を向け、パイプ椅子の上で膝を抱えてしまっていた。

「やだって……どうしたんだよ」

 困惑気味に訊ねると、結朱は首だけ振り返り、恨めしそうな視線を俺に浴びせてきた。

「だって、猫がいる時は全然私に構ってくれなかったのにさ。猫がいなくなった途端に急にこっち来られても納得しがたいものがあるよ。私の優先順位は初対面の猫より下ですか」

 あ、完全に拗ねてる。

「いやいや、そんなことないから。結朱ちゃんが一番です」

「むー……口だけだね」

「口だけじゃないって。心の底からそう思ってます」

 結朱の正面に回り込もうとする俺だったが、彼女は逃げるように反転してしまう。

 どうしたもんか……あ、そうだ。

「分かった、結朱。俺が口だけではないことを証明しよう」

 そう言いながら、俺は自分のパイプ椅子に座り、膝の上をぽんぽんと叩いた。

「……なに?」

 顔だけこっちに振り向く結朱に、俺は爽やかな笑みを浮かべて切り出す。

「ほら、結朱のことが一番大事だという証明に、ぽんずにやったのと同じことを結朱にもやってやろう。そうすれば信じてくれるだろ?」

 無論、防御力が紙装甲な結朱がこんな提案に乗るはずがない。真っ赤になって断ってくるだろう。

 しかし、俺からこういった歩み寄りの提案することで、筋を通せるはず。これで平和的解決だ。

「なるほど。じゃあお願い」

 が、俺の予想とは裏腹に、結朱はパイプ椅子から立ち上がると、ちょこんと俺の膝の上に座ってきた。

「え、あ、あれ?」

 唐突に感じる結朱の体温と柔らかさ、ふわりと漂う甘い匂いに硬直する。

「ほら、早く。それとも鳴いたほうがいい? にゃー」

 結朱から急かされ、俺はようやく我に返った。

 こ、こんな提案を素直に受けるなんて、こいつ――

「結朱……そんなに拗ねてたのか?」

「……ずっとそう言ってるんだけど。余裕なくて悪かったですね」

 俺に体重を預けながらも顔を背ける結朱。

 怒りながらもちょっと恥ずかしそうな様子に、俺はなんだか苦笑してしまった。

「まったく……可愛い奴だな、お前」

 拗ねたままの結朱の頭を撫でる。

「なんかニュアンスに引っかかるものを感じるんだけど」

「いやいや、言葉通りの意味ですよ? 可愛い可愛い」

「むー……」

「よしよし、可愛い可愛い」

 まだ仏頂面の結朱だったが、抵抗しようともしない。

 そうして、結朱の機嫌を直してくれるまで、俺はちょっと子どもっぽく拗ねる彼女を愛でるのであった。


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