第33話 お嬢様と執事になるカップル。
「
穏やかな雰囲気の喫茶店で、
「演技? 俺は人前で演技すること機会なんて、全くないが」
結朱の言葉を受け流しながら、俺はちらちらと周囲の店員を見る。
放課後、いきなり結朱に連行されて来た店だが……なんか普通の喫茶店じゃないっぽい。
具体的に言うと、店員がみんな男。もっと言うと執事の格好している。
いわゆる執事喫茶? 客層はほぼ女しかおらず、微妙に居心地が悪い。
「演技ならしてるでしょ、私とカップルを演じるというね」
「大丈夫だって。たとえ形が偽物だったとしても、俺の結朱への気持ちは本物だからね。マジ愛してるわ。よって演技の必要はない。話も終わったし、帰ろうぜ」
この場所でこんな話題を振られたことに嫌な予感を覚え、俺は早々に席を立つ。
が、結朱はそれに合わせて立ち上がることなく、俺を手で制した。
「まあまあ。大和君が私のことを大好きなのは知ってるし、私も大和君のことを大好きだけどね? 私たちはそれを周囲にアピールしなきゃいけない立場なんだよ。アピールするために必要なのは何か。そう、演技力です」
理路整然とした口調でそれっぽいことを言う結朱。
一応、仕事として偽物カップルをやっている以上、こうして説得力のある言葉を出されたら、無視するわけにもいかない。
俺は溜め息と共に席に座り直し、結朱の話を聞く。
「つーか、もうだいぶ慣れてきたのに、なんでこのタイミングで特訓なんだよ」
「逆だよ。慣れてきたからこそ、なの。何事も、慣れてきた頃が一番緊張感を失って事故を起こしやすいものなんだよ」
「まあ……言われてみれば、そうかもな」
そういやうちの親父も、車の運転は免許取った直後より、運転に慣れた頃が一番危ないんだとか言ってたっけ。
一度気を引き締める意味でも、ここは結朱の話に乗っておくべきかもしれない。
「話は分かった。で、俺に何をしろと?」
背筋を伸ばして結朱の話を聞くと、彼女は満足そうに頷いて、テーブルに置いてあったメニュー表を開いた。
「うん。これをやろうと思って」
そうして、俺は結朱の指差した文字列を読む。
「『カップル限定。彼氏を執事にしちゃおうコース』……?」
数分後。
「あ、いい。結構似合うよ、大和君。なんかシュッとしてる。いいなー」
妙にテンションの上がった結朱が、スマホで俺の写真を撮りまくっていた。
「なんすか、これ……」
俺は、呆れと困惑が半分ずつ混じった状態で自分の格好を見下ろす。
執事服である。
区別を付けるためなのか、微妙に店員とは違う服だが、紛う事なき執事服である。
しかも、オプションとして黒縁眼鏡まで付けられていた。いや本当になんすか、これ。
「おい結朱、これはいったい――」
「こら、お嬢様と呼びなさい。執事なんだから」
謎のリテイクがかかった。
無視してやろうかと思ったが、なんか妙な迫力があって逆らえない。
「……お嬢様、これはどういうことでしょうか」
「よくぞ聞いてくれたね。これは大和君の弱点を補うためのスペシャルコースなんだよ」
「弱点とは?」
俺の
「もちろん、私をぞんざいに扱うことだよ! 私に呆れたり、『何言ってんだこいつ』みたいな目で見たり、あんまり構ってくれなかったり! 特に教室にいる時は非常にその傾向が強い!」
まるで被疑者を糾弾する検事のように、日頃の不満を爆発させる結朱。
「いや、そう言われても、こっちも四六時中お前に――」
「執事口調!」
「……こちらも四六時中、お嬢様と一緒にいるわけにも参りませんので。お嬢様には友だち付き合いもあるでしょうし」
俺の言い分を伝えると、結朱はヒートアップしたテンションを少しだけ落とした。
「そこはしょうがないにしても、雑な扱いが滲み出てるのはよくないと思うの。周りの友達に『あ、この子、彼氏に大事にされてないんだな』みたいな目で見られる私の身にもなってほしい。なかなか切ないものだよ」
「そういうものですかね?」
「そういうものですとも」
真剣に頷く結朱。
俺としては、結朱が友達と過ごす時間を減らさないよう、気を遣っているつもりだったが、それが裏目に出たらしい。
ちょっとしたすれ違いだが、こういうところから亀裂が入るのが人間関係というもの。
ここはケアの意味も込めて、言うことを聞いておこう。
「分かりましたよ、お嬢様。今日だけですからね?」
俺が頷くと、結朱はパッと表情を明るくした。
「うん! ありがとね、大和君」
……面倒なことだと思ったが、こうも無邪気な笑顔を見ると、まあいいかという気がしてくるから、不思議なものである。
――が、俺はすぐにその前言を後悔することになった。
「大和君、紅茶淹れてきてー」
「かしこまりました、お嬢様」
「大和君、ケーキ食べさせてー」
「かしこまりました、お嬢様。あーん」
「大和君、肩揉んでー」
「か、かしこまりました、お嬢様」
「大和君、スマホで癒しの猫画像集作ってー」
「……かしこまりました」
「大和君、YouTubeのおすすめプレイリストを――」
「タイム! これ執事っていうかパシリじゃね!?」
結朱の側に控え、矢継ぎ早に放たれる我が
だってこれ演技とか関係ないもん。ただの小間使いだもん。
「気のせいだって。これくらいでギブアップしてたら立派な執事になれないぞ」
不本意な言われようだったのか、足を組んで優雅に紅茶を飲みながら憤慨する結朱。まさに我が儘お嬢様である。
「いやいやいや。執事っていうか、もはやシンデレラに共感しつつあったよ。途中から早く魔法使い来ないかなって思っちゃったもん」
「誰がいじわるな継母だよ。私が
「そりゃすごいバッドエンドだな……ともかく、労働環境の改善を要求します。謙虚さと遠慮を覚えろ、お嬢様」
執事らしい
「むぅ……確かに、途中から楽しくて本分を見失った感じはあったよね」
「だろ?」
結朱は調子に乗りやすいが、話の分かる奴である。
「じゃあ最後に一つ、今度こそちゃんと練習して終わろう」
「いいけど、何をやるんだ?」
今までが今までだったため、つい身構える俺である。
「そんな警戒しなくてもいいよ。最後にやるのはずばり、『惚気の練習』!」
「……惚気?」
意外な方向から来た注文に、俺は首を傾げた。
「そう。やっぱり大事にしてる感を出すには、惚気を聞かせるのが一番じゃないかと。というわけで、私を第三者だと思って、私について惚気てみてください」
「……お前を相手に、お前の惚気を言うの? え、新手の拷問?」
「いえいえ、ただの特訓ですとも」
「……あー、早く魔法使い来ないかなあ。男用のガラスの靴ってあるのかな」
「誰が継母だよ! いじめてるんじゃないの! これに関しては真面目な特訓なの!」
あまりの辱めに現実逃避してしまったものの、どうやらマジらしい。
「いやいや……お前もそれを聞いて楽しいのか?」
「きっと楽しいですとも!」
ここで屈託なく頷けるのは、間違いなく結朱の短所。
まあいい……いや、よくないが仕方ない。俺は仕事ならちゃんとこなす男。
ここは義務だと割り切って大いに惚気てやろう。
「はあ……分かったよ。惚気てやるからしっかり聞け」
「やった! さあ、存分に惚気るがいい! これより私は七峰結朱ではない第三者だからね! そのつもりで!」
俺が覚悟を決めて結朱の対面に座ると、彼女はわくわくした様子で前のめりになった。
こんなじっと見られるとやりづらいが、俺はやると決めたらやる男。
「えーと、まずうちの結朱は見た目が可愛いな」
「うん、可愛いよね!」
やたら楽しそうな結朱である。おのれナルシスト。
「あと、性格も……割と可愛い」
「ほう、意外だね。大和君がそう言うなんて」
「いやいや、あれで結構可愛いんだって。すごい周りに気を遣うし、見えないところで努力するし、ナルシストの割に相手を見下すこともしないし」
「え、あ、あの……」
「そもそも、あのナルシストっぷりも照れ隠しでやってる部分もあるんじゃないかなあ。そう考えると、やっぱり可愛いなあって思うわけよ」
「ちょ、ちょっとあの、ナルシストとか第三者の前で言われても困るっていうか、そもそも褒め過ぎっていうか……」
最初は調子よかった結朱だが、俺が言葉を重ねる度に、少しずつ挙動不審になる。
「そうか? ならもっと他の部分を褒めてやろう。たとえば、俺にはたまに辛辣な態度取ることもあるんだけど、あれは甘えてるんだろうなー。他にそういうことできる相手がいないから。なんつーか、俺だけに見せる顔?」
「タ、タイムタイム! もういい! もう分かったから! なんかもうごめん! 想像以上に私のほうが恥ずかしかった!」
とうとう顔を真っ赤にして立ち上がる結朱。
が、俺は菩薩のような笑顔を浮かべたまま話を続けた。
「あはは。惚気っていうのはね、相手が耐えきれなくなってから本番なわけよ。結朱はね、相手に気を遣わせないようにするのがうまくてなあ」
「や、大和君……もしかして怒ってる? さっきまでだいぶシンデレラしてたの、根に持ってる?」
「いいや? むしろ感謝してるくらいだ。結朱の大好きなところをこんなにも堂々と語れる機会をくれたんだから。さあ、最後まで付き合ってもらうぞ」
「やっぱり怒ってるー! ごめん! ほんとごめん! 調子に乗ったことは謝るから!」
この後、一時間近く惚気という名の公開処刑は続いた。
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