第32話 眠気と戦うカップル。

「ふわぁ……今日はいい天気だね」

 いつも通りの文芸部室で、結朱ゆず欠伸あくびを噛み殺した。

 間近に迫ったボス戦に備え、二人でレベル上げをしている最中だったのだが、雑魚敵を狩る単純作業に眠気を誘われたらしい。

「まあ、小春日和ってやつだよな」

 窓から差し込む午後の日差しは暑すぎず、涼しすぎず、ちょうどいい具合に部室の空気を暖めてくれている。

 この絶妙な陽気は、一日の授業を終えて疲れ切った頭によく染み渡り、結朱だけではなく俺も強い眠気に襲われていた。

「ふわぁ……さすがに俺も眠いな」

大和やまと君もかー。あ、ところで眠い時に見る私ってどうかな? やっぱりどんなに眠くても可愛いと思う気持ちは変わらない?」

「このタイミングで何を気にしてるんだ、お前は……」

 どれだけ眠くても、結朱に呆れる気持ちは変わらないものである。

「にしても、これじゃゲームにならんな。今日はもう解散するか?」

 ゲームは娯楽。無理してまでやるようなもんじゃないという主義の俺は、そう提案する。

 が、結朱は微妙な表情をしていた。

「んー……それもいいけど、これから何日か部室棟の老朽化を点検するとかで、しばらく立ち入り禁止らしいよ? せっかくいいところまで進んだのに、何日か空けたらストーリー忘れちゃいそう」

「む……それはゆゆしき事態だな」

 これから山場のボス戦なのだ。そこで感情移入できないような事態になったら、もはやなんのためにRPGをやっているのか分からなくなってしまう。

「仕方ない。何か眠気覚ましになることをするか」

 俺が方針転換すると、結朱もコントローラーを置き、ぐっと伸びをしながら頷いた。

「賛成。さすがにここで止めるのはもったいないもんね」

 そうしてセーブポイントに行き、ゲームを終わらせると、俺はコントローラーの代わりにスマホを手に取った。

「えーと、眠気覚ましの方法は……と」

 検索して、適当なサイトに出てきたものをピックアップする。

「目覚ましのツボっていうのがあるみたいだな。押すだけで眠気が覚めるらしい」

「いいじゃん。試してみようよ」

 結朱も乗り気なようで、俺のスマホを横から覗き込んでくる。

「まずはこの労宮ろうきゅうってツボを押してみるか」

「うん。えーと、『手のひらの真ん中にあるツボ。もう片方の手の親指で押して刺激する』ね。私、片手でちゃんと押せるかな? あんまり握力に自信ないんだけど」

 スマホに映ったお手本画像を見ながら、手のひらを押す結朱。

 が、しっくり来ないのか、眉根を寄せて首を傾げている。

「うまくいかないなら俺が押そうか?」

 そう申し出ると、結朱は何故か感心したように唸った。

「あ、いいねそれ。私はツボを押してもらって眠気が覚める、大和君は合法的に私の手を握れて嬉しい。素晴らしい提案だよ、大和君。もしかして、ここまで見越してツボ押しを提案したの? だとしたら、なかなかの策士だね」

「世界一嬉しくない過大評価をいただいたわ。こんなスキンシップのために、そこまで頭脳回せないからね、俺」

「いやいや、謙遜することないって。私の彼氏なら、このくらいはできなきゃね?」

「だとしたら俺は彼氏失格だよ。不出来な男で申し訳ねえわ」

 馬鹿なやりとりをしながらも、俺は結朱の手を握る。

 細く白い手は少しだけ俺より体温が低く、柔らかかった。

「どう? やっぱりドキッとしてる?」

「してないから。押すぞ」

 上目遣いでからかってくる結朱を受け流し、ツボ押しを始める。

 痛くならないようにゆっくり力を強めながら、結朱の様子をうかがった。

「眠気飛んだか?」

「まだ分からないよ、そんな即効性ないだろうしね。ただ、大和君が私を気遣ってる感じが伝わってくるのは非常にいい。愛を感じる」

「寝ぼけたこと言ってるな……どうやら眠気は解消されてないらしい」

 ツボ押し作戦は失敗した。

 結朱の手を離し、俺はスマホで次の方法を検索する。

「『冷気で目を覚ます』……か。単純に涼しくすればいいっていうのは明快だな。ちょっと窓開けてみるか」

 こんなにいい陽気ではあまり期待できないが、それでももしかしたら、いい風が吹いて涼しくなるかもしれない。

 そんな一縷いちるの期待を抱いて、窓を開ける……が、残念ながら無風だった。

 と、その瞬間、

「ふー」

 と、俺の首筋に結朱の吐息が浴びせられた。

「ふうぉあ!?」

 あまりの不意打ちに、俺は奇声を上げて飛び退いてしまう。

「な、何しやがる!」

 首筋を押さえて犯人を睨む。

「いや、無風だったから、人工的に風を吹かせたら涼しくなると思って」

「心遣いがものすごく悪いほうに出たよ! 残念だがそこそこ不快な体験だったわ!」

 いやまあ、お陰でそれなりに目は覚めたが。

「む。そこは愉快に感じなさいよ。世界中で大和君だけだからね? 私にこんなことしてもらえるの」

「そうか……世界にはこんなにも多くの人々がいるのに、今の不快感は誰とも共有できないんだな」

 人って孤独な生き物だな、と思う俺であった。

「それより、風も吹かないし、他の方法を調べてみようよ」

 俺が軽く黄昏れていると、それが時間の無駄だと思ったのか、結朱は自分のスマホで調べ始めた。

「えーと、耳を引っ張るといいんだって」

「耳? なんだそりゃ」

 一見、全く関連性のない行為に首を傾げる。

「なんでも、耳に眠気覚ましのツボがあるから、引っ張ることで刺激できるとか」

「へー。初めて知った」

「耳だけに初耳ってこと?」

「やかましいわ」

 なんかむかつくドヤ顔だった結朱を一瞥してから、自分の耳たぶをつまむ。

「む……眠気が覚めるような、そうでもないような?」

 引っ張る痛みのおかげで即効性があるのか、手のツボよりは効いている気がする。いやまあ、本当に少しだが。

「んー、言われてみれば、ちょっとだけ効くような? でもこれじゃすぐ効き目切れちゃうね」

 結朱も微妙な効き目だったらしく、残念そうに耳から手を離した。

 と、何か思いついたのか、急に表情を明るくする。

「あ、そうだ。手のツボの時みたいに、相手の耳を引っ張ればいいんじゃない?」

「なんでさ。これは別にやりにくいとかないだろ?」

「うん。けどほら、大和君は初心だから、私とのスキンシップでドキドキして目が覚めるでしょ? どう、彼氏を目覚めさせてあげようという私の気遣い」

 どうもこうも、ひたすらイラッとした以外の感想などない。

 よって、俺も反論することに。

「初心なのはお前だろ。『チョコレートボンボン耳たぶ事件』を忘れたか。あの時、耳を触られて照れ死寸前まで追い込まれたのは誰だったかな?」

 ブランデー入りのチョコレートボンボンを食べて酔った俺が、非常に可哀想な人間になって暴れまくった事件である。

 俺のトラウマにもなっている忌まわしき惨劇だが、さすがにあんなことを言われては、この件を持ち出さざるを得ない。

「あ、あれは大和君が酔っ払って謎の人格を見せたからだし!」

 結朱もあの一件を思い出したのか、ちょっと顔が赤くなった。

「普段のへたれ大和君になら、耳たぶを触られても平気だからね! ていうか、お互いに触るんだったら、私よりも先に大和君が照れ死するはず! よって私は無事!」

 紙装甲のメンタルしか持たないくせに、小癪なことを言ってくる結朱。

 そうまで言われたら、こっちとしても退けない。戦の時間だ。

「ほーう、じゃあ試してみるか? どっちが先に照れ死するかを!」

「望むところだよ! いよいよ私の可愛さが死者を出す時が来たね!」

 火花を散らしながら互いに向き合う。

「せーの!」

 そうして、同時にお互いの両耳を引っ張った。

 ぷにっとした耳たぶの感触を指に感じると同時、結朱の小さな手が俺の耳を引っ張ったのが分かる。

「ぬ……」

「うむむ……」

 明らかにお互い照れながらも、必死に顔をしかめ、怒りの表情を露わにすることでそれを隠す。

 普段、耳なんてあまり人に触られる部位ではない。

 だからこそ、それを触り合っているという状況に、なんか……独特の背徳感というか、照れを感じた。いかんいかん、こんなこと考えてたら先に照れ死してしまう。

「か、顔真っ赤だよ、大和君。そろそろギブアップしたほうがいいんじゃない?」

 と、自分のほうが真っ赤な顔をしながら降参を促してくる結朱。

「な、舐めるな。俺はまだ余裕で耐えられるわ。お前こそりんごみたいに真っ赤になってきたぞ、無理してるんじゃないか?」

「へ、平気だし!」

 しかし、お互い限界が近い。

 このままデッドヒートを繰り広げていたら、両者ノックアウトになりかねない。

 それを防ぐためにも、なんとか――。

「大和君」

 俺の思考がまとまる寸前、結朱が名前を呼んできた。

 そして、俺の目を真っ直ぐ見たまま、小さく微笑して、

「好きだよ」

 と、普段とは違う素直な声音で直球の言葉を吐いてきた。

 しまった……! 俺より一歩早く不意打ちを!

「ぐっ……ぬあああ!」

 限界まで溜まったダムに最後の一押しをされ、俺の精神が決壊した。

 照れ死を避けるため、俺は結朱の耳から手を離して頽れる。

「お、俺の負けだ……! あのタイミングであんな台詞を持ってくるとは、やるな」

 顔が熱い。心臓がバクバクしてる。

 完敗である。今きっと心拍数の世界記録出してるわ。

「くそう……まさか、紙装甲の結朱に負けるとは……」

 少し落ち着くと、悔しさがじわじわと湧き上がってきた。

 これから、どれだけ結朱にからかわれるのかと恐怖しながら前を向く。

 すると、何故か俺の目の前で彼女が両手で顔を押さえながらしゃがみ込んでいた。

「えと、結朱?」

 心配になって顔を覗き込もうとするも、結朱は耳まで赤くしたまま手で顔を覆い、ぷるぷる震えていた。

「やめて! こっち見ないで! 不意打ちでからかってやろうと思ったのに、なんか意外と素直な声が出てしまった私を見ないで!」

「え……いやいや、あれは計算じゃ」

「計算じゃないよ! だからめちゃくちゃ恥ずかしいの! やめて、見ないで! さっきの声は忘れて!」

 予想外なことに、フィニッシュブローを決めたはずの結朱が反動で照れ死していた。

「あああああ……! なんであそこで素の声出しちゃうかなあ……! 絶対に勝てるタイミングだったのに……!」

 なんという、勝者のいない決着か。

 争いがいかに不毛なものなのか、身を以て噛みしめる俺たちであった。

「なんか……眠気覚ましのつもりが、どっと疲れたな」

 俺は床に座り込んだまま、壁に寄りかかる。

「そうだね……ちょっと休憩したい」

 まだ赤い顔をしながらも、会話できるまでに回復した結朱も少し離れた場所で壁に寄りかかる。

「休んでから……ゲームの続きを……」

「そう……だね……」

 疲労困憊の頭脳、照れ死寸前まで追い込まれた精神、そして小春日和の陽気。

 となれば、結論は一つなわけで。

「すぅ……すぅ……」

「くぅー……」


 その後、俺たちが目覚めたのは、最終下校のチャイムが鳴った時だった。


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