第29話 ダイエットに勤しむカップル。

「今日はダイエットをします!」

 いつも通りの文芸部室。

 俺より少し遅れてやってきた結朱ゆずが、入室するなりそう叫んだ。

「お前はいつも急だな」

 ゲームをやる気満々でテレビに配線を繋いでいた俺は、今まさにやっている準備が無駄になりそうな予感に顔をしかめた。

「いやちょっと思ったんだよね。最近、ずっとゲームばっかりやってて不健康じゃないかと。やはり楽しくゲームをやるためにも、健康な身体を維持しなきゃね!」

 きらりと輝く笑顔で、素晴らしい理念を語る結朱。

 反論する理由もない。俺はそんな彼女に頷いてみせた。

「なるほど。そういえば今日、身体測定あったもんな。お前、太ったのか」

「なんで言っちゃうかな!」

 口では立派なことを言いながらも、本音はこれですよ。

「まあ落ち着け、肥えた結朱よ。俺も彼女が太るのは望まないし、お前がダイエットしたいなら付き合うぞ」

「肥えたとか言うなし! 元々、大和やまと君に合わせてRPGをやってたせいで運動量が減って太ったんだからね! 大和君が責任を取るべきだよ!」

 顔を赤くしてビシッと指を俺に突きつけてくる結朱。

「そう言われたら確かに心苦しいものがあるな……よし、ちゃんと責任は取ろう。まあ俺は同じようにゲームしてても太らなかったけど」

「最後の情報はいらないから! ていうか、なんで大和君は太らないのさ! 私が太ってるんだから、こういう時は気を遣って一緒に太りなさいよ!」

 無茶苦茶言い出したぞ、おい。

 どうやら、俺が思っている以上に精神的ダメージを受けているらしい。

「分かったから。一緒に太ることはできんが一緒に痩せる努力はしてやる。ともかく、運動しよう」

 どうどうとなだめながら言うと、結朱もようやく落ち着いた。

「むぅ……ありがと」

「で、何をするんだ? 有酸素運動にするか? それとも筋トレ?」

「ここで有酸素運動は無理かな。やっぱり筋トレじゃない?」

「となると、スクワットと背筋がいいな」

 背筋や太ももの筋肉は大きい部位なため、腹筋などを鍛えた時よりも筋肉量が増えやすいのだ。特にスクワット。

「スクワットね。了解」

 やる気満々で頷く結朱。

「じゃあ、背中は曲げずに、視線は真っ直ぐ前を向いたまま膝を曲げてー。膝を曲げるときはなるべく爪先より前には出さないように。はい、いーち、にー、さーん」

 俺は、お手本を見せるように自分でもやりながら指示を出す。

「む、難しいね」

 慣れないトレーニングに戸惑いながらも、持って生まれた運動神経か、それなりにこなす結朱。

 とりあえず二十回やらせたところで止めると、彼女は息を切らせてパイプ椅子に座った。

「きっつ……スクワットってこんなにきついんだね」

「トレーニングの王様だからな……上級者はこれに重り持ってやるし、もっときついぞ。どうする? ここにある辞書でも使ってやってみるか?」

 そう提案するも、結朱はぶんぶんと首を横に振った。

「絶対無理。にしても大和君、なんか妙に手慣れてるね。インストラクターみたい」

「これでも中学時代は運動部だったからなあ。こういうのはめちゃくちゃやらされたし、覚えてるんだ」

 特に筋トレは、あまり思い出したくない負の記憶である。

「そうなんだ。やっぱり身体に染みついた動きっていうのは、現役を引退しても忘れないものなんだね」

「みたいだな。それに、RPGの息抜きに今でもたまに当時習った運動したりするし」

「なんですと! 私がぶくぶくと太っている間に一人こそこそと運動してたとな!? この裏切り者!」

「なんで責められてるんですかね……それより、もう休憩は終了だ。続きやるぞー」

 理不尽な罵倒に冷たい視線を返しつつ、トレーニングの再開を告げる。

「ねえ、こういう筋トレもいいけど、せっかくだから二人でできる運動を探さない? 一緒にやれば、一人でやるより心折れないかもしれないし」

 と、よっぽどスクワットが堪えたのか、結朱がそんな提案をしてきた。

「まあいいけど、何をやるんだ? 組体操とか?」

 この場でサボテンをやる自分たちの姿を想像し、ちょっとげんなりしてしまう。

「それじゃ痩せないでしょ。もっとこう、カップルでやるトレーニングみたいなのがあるはず! ちょっと調べてみようよ」

 そう言って、結朱がスマホを取り出した。

 正直、だいぶ脱線してると思うが、何事も楽しもうとするのは結朱の基本姿勢。

 それに反対するつもりもない俺は、彼女の後ろからスマホの画面を覗き込んだ。

「ダブル空気椅子……お互いに背中を預けるようにして空気椅子をするって。やってみるか? 結朱」

「さっきスクワットやった後にこれはちょっと……それより、これがいいんじゃない? 彼氏が彼女を背中に乗せて腕立て伏せ! これできたらちょっと見直すかも」

「俺がそれやって何の意味があるんだよ。肥えたのはお前だろ」

「全くもって正論だけど、その肥えたって表現は二度と使わないでね!」

 ペアでできそうなストレッチは結構あるけど、筋トレとなるとかなりアクロバットなものが多くなるなあ。

「ちょっと俺たちにはできそうにないものが多いな」

「他のサイトも見てみようか」

 今見ているサイトからブラウザバックをして、次の検索候補に挙がったサイトを見る。

 すると、『カップルでのダイエットならまずこれ!』と気になる見出しの記事があった。

「なにかな、これ」

「ちょうどよさそうだな。面白そうだったらやってみるか」

 見出しに惹かれた俺たちは、その記事を確認することに。


『カップルでダイエットするならまずはこれ! セクササイズ! ベッドの上で○○を××! 互いに愛情を確認しながら自然と運動が――体位は――』


 ――現れた生々しい記事に、俺たちはしばしフリーズした。

「………………」

「………………」

 気まずい。かなり気まずい。

 結朱もスマホの記事を見たまま、視線をこっちに向けてこない。絶対意識してるのに。

 でも目を合わしても何を言っていいのか分からないから、振り返れないのだろう。その気持ちは痛いほど分かる。だって俺も同じだから。

 いやまあ、よく考えたら出るよね、その手の話。すげえ激しい運動だもん。

 けど、偽物カップルである俺たちには、ちょっとまだその手のことは荷が重すぎるというか、空気を読んでほしかったというか……!

 硬直した空気の中、いたたまれなさに負けた俺は、勇気を持って口を開く。

「なあ。考えたんだが、やっぱり筋トレって一人でやるものじゃないか?」

「……私もそう思う」

 そうして、結朱はゆっくりとスマホを鞄に仕舞った。

 それから数秒、再びの沈黙。

 そして――

「……さて、トレーニングしようか! 大和君、なにとぞバスケ部秘伝の筋トレを教えてください!」

「……ああ! 厳しく行くから覚悟しろよ!」

 ――俺たちは、この数秒をなかったことにしたのだった。


 そうして、その日は雑念が浮かばないよう徹底的に自分の身体をいじめ抜き、しばらく筋肉痛に苦しむことになるのだった。


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