第19話 部室にものすごく大きい蜘蛛が出た時のカップルの反応。
「ねえ、
いつも通りの文芸部室で、
「なんだ、急に」
ゲームの準備をしようとしていた俺は、彼女の言葉に手を止める。
「いや、よく考えたらこの部室って、廃部になってから多分誰も手入れしてないでしょ? 前からちょっと
「まあ、言われてみれば確かに……」
正直、一時的な隠れ蓑にするだけのつもりだったので、あんまり気にはしなかったが、俺と結朱の付き合いも割と長くなってきたし、そろそろ一度軽い掃除くらいはしといたほうがいいかもしれない。
「そうだな。じゃあ、今日は掃除でもするか」
「賛成!」
今日の予定が決まった。
俺は掃除用のロッカーからバケツを取り出すと、誰かに見つからないようにこっそりと水を汲みに行くことに。
周囲を窺いながら部室棟の水道でバケツに水を汲み、文芸部室に持ち帰る。
「おーい、水持ってきたぞ」
そうして扉を開けた瞬間だった。
「うみゃああああああ!?」
猫めいた悲鳴とともに、結朱が俺に突進してきた。
「どふぅ!?」
いきなり女子に抱きつかれた衝撃よりも、物理的な衝撃が大きすぎて、潰れたカエルみたいな声を出す俺。
「な、なんだよ、いったい」
大打撃によろめきながらも結朱に問いかける。バケツの水を零さなかったことを何よりも褒めてほしい。
「く、も……が……もが……」
結朱が俺の背骨をへし折りそうなほどの力で抱きついてきながら、引き攣った声で答えてくる。
「もが……? え、最上川……?」
なんでこの状況で急に風流な言葉が出てきたのか。
「違う!
「なんだ、蜘蛛か」
大騒ぎするから何事かと思ったら、蜘蛛が出ただけかよ。
思わず溜め息を吐いていると、結朱が不満そうにこっちを睨んできた。
「何その顔! 言っとくけど、ただの蜘蛛じゃないからね! めちゃくちゃ大きい蜘蛛だったし! 毒持ってるかもしれない!」
「分かったから落ち着け」
俺はそっとバケツを床に置いてから結朱を
と、その時、足元に何か高速で動く影が見えた。
下を向くと、そこには俺の手のひらよりも明らかに大きい蜘蛛が――。
「出たああああああああああ!」
結朱が素早く俺の背後に回ると、そのまま子泣き爺よろしく背中に乗ってきた。
「重い! 降りろ馬鹿! 腕白すぎるだろお前! それでも女子高生か!」
「無理無理無理! こんな大きい蜘蛛がいる床に足を降ろすとか、もし身体を登ってきたらどうするのさ! 大人しく私と密着できる幸せを噛みしめなさいよ! 蜘蛛にも感謝したら!? あなたのお陰で大好きな結朱ちゃんとくっつけてますって!」
「どのタイミングでナルシスト発動してんだよ! ブレねえ奴だな本当に!」
それに俺としても予想以上にデカくて不気味な蜘蛛が出てきたので、密着を楽しむ余裕などない。
「と、とりあえず外に出て、大和君」
「分かったから人の背中で暴れるなよ?」
踵を返し、部室の外に出ようとする。
が、それより早く蜘蛛が俺たちの前に回り込み、行く手を塞いでしまった。
「きゃあああ! 大和君、バック! バーック!」
「うおっ、引っ張るな! 背骨が!」
背負われたまま後ろに逃げようとした結果、結朱は俺に軽いキャメルクラッチを決める形になった。
「え、あ、ごめん!」
我に返ったらしい結朱が、急に力を緩めてきた。
「ちょっ……いきなり緩めたら――!」
こっちも結朱の力に耐えるために踏ん張っていたのに、いきなり透かされた形になる。
結果、バランスを崩した俺たちは、前のめりに倒れてしまった。
「きゃっ」
「ぐはっ」
床と結朱に勢いよくサンドイッチされ、俺は目を白黒させる。
顔面から思いっきり落ちたため、めちゃくちゃ鼻が痛い。
「いてて……結朱、大丈夫か?」
俺はなんとか状況を確認しようと、押しつぶされたまま顔を上げた。
――ふにっ。
途端、後頭部が何か柔らかいものに包まれる感触がした。
「ひゃうっ!?」
次いで、結朱の悲鳴。
慌てたように彼女が俺の上から離れていく。
い、今のはまさか……。
錆び付いたブリキ人形のようにぎこちない仕草で振り返ると、結朱が真っ赤な顔で自分の胸を押さえていることに気付いた。
「わ、わざと?」
「ノー。事故です」
両手を上げて無罪アピール。
平然と応じてるけど、俺も多分顔真っ赤になってるからね。耳が熱いし。
「嘘だ! 普通あそこで顔上げないもん!」
「上げるだろ! あの潰され方したら! ただ一つ言えるのは蜘蛛さんありがとう、あなたのお陰で大好きな結朱ちゃんとくっつけました!」
「本当に感謝する奴がいるかー! この偽装ラッキースケベ!」
「誰が偽装だ! 真性ラッキースケベだわ! ていうか九分九厘お前の過失だろ!」
「うぐ……」
直球で正論をぶつけると、結朱も自覚があったのか黙り込んだ。
と、そんなやりとりをしているうちに、蜘蛛ももはや俺たちにあきれ果てたのか、開けっ放しだった文芸部室の扉から出ていってしまう。
「あ……よ、ようやく行ってくれた」
天敵の退場に、結朱が深々と溜め息を吐いた。
「大変な目にあったな……」
口ではそう言いつつ、後頭部をしっかり包み込んだ柔らかさとサイズ感の残像をいまだに忘れられない俺である。
「……大和君のえっち」
結朱はまるで俺の心を読んだかのように詰ってから、ふと気付いたように真顔になる。
「ねえ、あの蜘蛛って毒とかないよね……? もし室内で繁殖したりしてたら困るんだけど」
「ネットで調べてみるか?」
「うん、お願い。私、蜘蛛の画像と睨めっことか無理だし」
想像してしまったのか、鳥肌を立てて顔をしかめる結朱。
俺はスマホを取り出すと、蜘蛛の特徴をいくつか入れていく。
「えーと……あ、こいつだ。アシダカグモ」
「毒は? 毒はある?」
「大丈夫、無毒だって。むしろ見た目はやばいが益虫とされてるくらいだと。その理由は……生物界有数のゴキブリハンター。ゴキブリを追いかけて家から家へ移動するため、この虫がいる家には必ずゴキブリが存在するという……」
読み進めるうちに、二人の間にとんでもない緊張感が漂ってくる。
「や、大和君。それってつまり――」
結朱が、結論に辿り着こうとした時だった。
視界の隅に、カサカサと動く黒い物体が――。
「うみゃあああああああああ!?」
「うおっ! 首、首が絞まって……!」
涙目の結朱と、首にあざの付いた俺が、コンビニまでバルサンを買いに行くのは、それから三十分後の話。
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