第3話 七夕のパンダ
「七夕の夜にパンダが来るのよ」
ママが笑いながらそう言った。
あたしの家では、毎年七夕が近づくとパパが笹をもらってくる。パパの身長よりも大きな笹だ。あたしはママやお兄ちゃんと一緒に、折り紙で飾りを作ってそれを飾る。7月7日にそれを玄関の柱に縛り付けて、みんなで七夕をお祝いするのが、我が家の決まりになっている。
頑張って作った七夕飾りだけど、7月8日の朝になると、なぜかいつもボロボロになって庭に落ちていた。笹はぶちぶち千切られているし、紙の飾りもビリビリに破られてそこら辺に転がっている。
あたしが悲しくなって泣いていると、ママが壊れた七夕飾りをゴミ袋に入れながら、
「今年もパンダが食べちゃったのね」
と言った。
「パンダ? パンダが来るの? 動物園にいるパンダ?」
あたしはびっくりして聞き返した。ママはのんびり「そうよー」と答えた。
そこにパパもやってきた。壊れた七夕飾りを見るとやっぱり、
「今年もパンダが来たなぁ」
と、当たり前みたいに言った。
それからあたしは、七夕飾りが壊れても悲しくなくなった。
その代わり、笹を食べにくるパンダが見たくて見たくて、仕方なくなった。
「駄目よ。パンダが来るのは真夜中なの。よい子は寝てる時間よ」
「そうだぞ。それにサチに見られてることがわかったら、パンダがびっくりして逃げちゃうよ。パンダはとっても恥ずかしがりやなんだから」
ママもパパも、そう言ってあたしをたしなめた。あたしはお兄ちゃんを誘った。
「やだよ。ひとりでやれよ」
お兄ちゃんは冷たかった。
困った。自分の部屋で、ひとりぼっちでずっとパンダを待っていたら、退屈すぎて真夜中になる前に眠ってしまうに決まっている。実際、あたしはそうやって3年を無駄にした。
4年目、あたしが8歳の7月7日。今年こそパンダを見たいと思ったあたしは、しばらくやらなかったお昼寝をし、体力を温存して、夜更かしに備えた。
そしてあの、忘れられない夜がやってきたのだ。
目論見がまんまと当たり、あたしはその夜、目をこすりながらもなんとか起きていることができた。
あたしの部屋の窓からは、七夕飾りを飾った玄関が見える。カーテンの隙間からこっそり外を眺めながら、あたしはパンダが来るのを待った。
いい天気だった。あたしの住む町は、田舎なので晴れると星がよく見える。夜の町は静かで、いつもと何だか雰囲気が違って、あたしはとても不思議な気持ちになっていた。
下の階で、リビングの大きな柱時計がボーンボーンと鳴る音が聞こえ始めた。夜中の12時だ。
その時、あたしは門扉のところで、何かが動いているのを見た。
誰かが……パンダではない。人間が歩いてくるのだ。
こんな時間に出歩いてる人がいるんだ。あたしはそう思って見ていたが、その人物は門扉の鉄格子の間を、突然にゅるりとすり抜けてうちの庭に入ってきた。あたしは思わず叫び出しそうになるのを、口に手を当ててこらえた。
骸骨みたいに、ガリガリに痩せた男の人だった。手術を受ける病気の人が着るような服を着て、星明りの下、ゆっくり、ゆっくりと歩いている。目のところが黒い。目玉があるべきところに、真っ暗な穴が空いているからだ。
男の人は七夕飾りを探しあてたかと思うと、いきなり腕を伸ばし、笹を引きちぎって食べ始めた。紙の飾りを地面に投げ捨て、硬い笹を次から次へと口に運ぶ。
あたしは息を殺し、足音をたてないようにしながら、ベッドに戻った。タオルケットをかぶり、震えているうちに、あたしはいつの間にか眠ってしまった。
気が付くと朝になっていた。あの痩せこけた男の人はおらず、いつものように庭木に水を撒くママの姿が見えた。
あたしは庭に走り出た。ママがにっこり笑ってあたしに手を振った。
「おはようサッちゃん。今年もパンダが来たわね」
あたしはおはようも返せないまま、七夕飾りの残骸を見つめていた。あたしが作った折り紙のパンダの顔が、地面の上に落ちてひしゃげていた。
「見たか?」
急に声をかけられて、あたしは飛び上がりそうになった。いつの間にか、お兄ちゃんが隣に立っていた。
「誰にも言うなよ。ママにもパパにも友達にも絶対言うなよ」
あたしは黙ったまま、うなずくことしかできなかった。
ママやパパは、あの男の人のことを知っているのだろうか。
確かめたわけじゃないけど、知っているんだろうな、とあたしは思っている。そうじゃないならどうしてパパは、毎年あんなに大きな笹をわざわざもらってくるだろう。どうしてママは、あんなにいっぱい飾りを作って笹に付けるだろう。
何の答えもないまま、今年もまた7月7日が来る。
七夕のパンダ 尾八原ジュージ @zi-yon
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