第279話 人間にそんな真似できるはずが

 海の水は少し冷たかったけれど、しばらく泳いでいるとすぐに慣れる程度だった。

 天気がよく、日が照っていることもあって、水着姿で浜辺にいても寒さはあまり感じない。


「ルーク! もう泳がないの~~っ?」

「僕はちょっと疲れたから浜辺で休むよ」


 ひたすら海で泳ぎ続けているセレンやフィリアさんは、さすがの体力だ。


 ミリアは最初少し泳いだだけで、すぐに上がってしまい、今はパラソルの下で優雅にビーチチェアに腰かけながらジュースを飲んでいる。


「ルーク様、お飲み物をどうぞ」

「ありがとう、ミリア。……そういえば、ゴリちゃんは?」

「ゴリティアナ様なら、あちらにいらっしゃいますよ」


 ミリアが指さす沖の方に目を凝らしてみると、右から左へ、水飛沫が猛スピードで移動しているのが見えた。


「は、速すぎ……しかもあれ、バタフライじゃない?」


 ゴリちゃんが信じられない速度でバタフライをしているのだ。

 あまり沖には行かないようにと言ったけれど、ゴリちゃんならきっと大丈夫だろう。


 ベルリットさんとバルラットさんの兄弟は仲良くビーチバレーを楽しんでいて、ノエルくんとゴアテさんは素手で魚を捕まえる競争をしているみたいだ。


 ちなみにセリウスくんは、案の定、フィリアさんの水着姿に鼻血を噴き出してしまい、今は日陰で休んでいた。


 と、そのとき突然、後ろの方から怒鳴り声が響いてくる。


「お前ら、そこで何をやっている!?」


 慌てて振り返った僕が見たのは、顔を真っ赤にしたおじさんだった。

 もしかして勝手に他国の海で遊んでいることがバレたのかと思いきや、おじさんが続いて口にしたのは予想外の言葉だった。


「危ないから早く海から上がれ! 最近、この辺りの海で、クラーケンが何体も確認されているのを知らないのかっ!?」

「クラーケン?」


 といえば、確か巨大なイカの魔物だっけ。

 どうやらおじさんは、僕たちが密入国してきたから怒りに来たのではなく、単に危険だからと注意しに来てくれたようだ。


 何だ何だと、海で遊んでいたセレンたちが上がってくる中、ミリアが声を上げた。


「ルーク様っ、ゴリティアナ様がっ……」

「? 何かあったの?」

「あちらを……っ!」


 再び海の方に目を向けた僕が見たのは、沖の方で海上に浮かんだゴリちゃんの姿だった。

 その大きな身体に、それ以上に太い何かが絡みつき、宙吊りにしているのである。


 先ほどのおじさんが叫ぶ。


「く、クラーケンだっ! まさか、こんな危険なときに、あんな沖まで泳いだというのかっ!?  なんと馬鹿なことをっ……あれはもうどう考えても助からんぞ……っ!」


 けれど次の瞬間だった。

 バンッと、ゴリちゃんを捕らえていたクラーケンの脚が千切れ飛んだ。


「……は?」


 おじさんの口から間の抜けた息が漏れる。


「クラーケンの脚を、強引に引き千切っただと……?」


 ……うん、この距離からだと分からないだろうけど、ゴリちゃんのパワーは尋常じゃないからね。


「いやいや、何かの見間違えに違いない。人間にそんな真似できるはずが……」


 一方、海に落ちたゴリちゃんは、水中に潜ってしまったのか、そのまましばらく海面に姿を現さなかった。


「きっと海の底に引き摺り込まれたのだっ!」

「ううん、大丈夫だと思うよ」


 なにせあのゴリちゃんだしね。

 そう思っていると、やがてゴリちゃんが海上に顔を出す。


「こっちに戻ってくるね」

「何か連れて来てない?」


 バタフライで泳いでくるゴリちゃんの背後には、巨大な影があった。


「クラーケンじゃないかな?」

「ば、馬鹿なっ!? 海の中でクラーケンを倒したというのか!?」


 信じられないといった様子のおじさんだったけれど、段々とその影がはっきりと見えるようになってくると、


「あ、あれは、確かにクラーケンだ……っ! だが、それほど大きくない? そうか、恐らく子供のクラーケンだったのだろう。それでもとんでもないことだが……」

「えーと、あの人を一般的な人間のサイズだと考えたらダメだと思うよ?」

「なに?」


 やがてゴリちゃんが浜辺へと上がってくる。

 その筋骨隆々の体躯を見て、おじさんが口をあんぐりと開けた。


「で、でかい……」

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