第168話 間者からです
王宮は未曽有の大混乱の最中にあった。
そのきっかけはもちろん、王家からの使者に対し、アルベイル侯爵が宣戦布告とも取れる言動をしたことだ。
それにより、王宮内は真っ二つに分断した。
侯爵の勢力は今や国内最大と化しており、対立するのは得策ではない。
下手に出てでも、どうにか落としどころを探るべきだと主張する勢力。
侯爵の態度は言語道断で、到底、許されざるもの。
すぐさま相応の対応をするべきであり、武力衝突も辞さない、むしろ今こそ国中が力を合わせ、アルベイルを排除するときだと考える勢力。
王宮内の両勢力が、王家を巻き込んで激しく対立し、もはや対アルベイル以前の緊迫した状況となっていた。
しかしそれがある事件を経て一変する。
好戦派の急先鋒であった宮廷貴族たちが次々と何者かの襲撃を受け、殺害されたのだ。
犯人はアルベイル侯爵の手の者だろうと推測されたが、これが好戦派を大いに怯ませることとなった。
好戦派と言っても、所詮は宮廷でぬくぬくと育った貴族たちだ。
自分たちの命が直接危うくなったことで、怖気づいてしまったのである。
さらにアルベイルの排除を断念せざるを得なくなる大きな理由があった。
それは第三勢力である、カイオンとタリスターの両公爵家の反応が芳しくなかったことだ。
両公爵家の協力無くして、アルベイルに勝つことはできない。
もはや戦争でこの新興勢力を打破する道は閉ざされてしまった。
こうして王宮内の考えは、次第に「いかに現在の権力構造を維持しつつ、アルベイル卿の要求に応えるか」という方向へと傾いていく。
そして主だった宮廷貴族たちが熟考を重ねた結果、ある結論へと至った。
「陛下、畏れながら申し上げます。今やアルベイル卿の勢力は我らを大いに上回っております。従って、その要求を突っ撥ねることは難しく、応じる以外に道はございません。しかし、侯爵が求めているのは、この国の王位。当然ながら、長きにわたって王家が護ってきた尊き高御座を、何の血の由縁もなき者に渡すわけにはまいりませぬ」
「……」
重々しい口調で語る宰相の言葉を、玉座に座るこの国の王、ダリオス十三世は神妙な顔で静かに聞いていた。
まだ若いということもあるが、ここ数代の国王たちがそろって過度な肥満体だった中にあって、珍しくスマートな体型をした王だ。
むしろ謁見の間に居並ぶ宮廷貴族の方がぶくぶくと太っており、いかにも腐敗し切ったこの国を象徴している。
「そこで、我々が提案したいのは……」
宰相の視線がちらりと、ダリオス十三世の傍に控える少女の方を向く。
彼女はこの国の第一王女。
豪華絢爛な王宮内にあって、なお輝くような美貌の持ち主で、国内外からの求婚の話が絶えない、ダリオス十三世の自慢の娘だった。
まだ数年前に祝福の儀を受けたばかりの彼女だが、家臣がこれから告げようとしていることを察したのか、僅かに身体を強張らせる。
「ダリネア王女殿下に王位を継いでいただき、アルベイル卿を王婿として王宮に迎えるのです。そうすれば、アルベイル卿の要求に最大限応えつつ、王家の血を次世代に繋ぐことができるでしょう」
「どうしたものか……」
臣下たちからの奏上を受けた後、私室へと戻ったダリオス十三世は頭を悩ませていた。
「娘はまだ若い。アルベイル侯爵が王婿となれば、実質的には王宮のすべての権力を握ることになるだろう。そうなれば、好戦的な奴のことだ。次は他国の侵略に乗り出すに違いない。きっと今よりも多くの血が流れてしまう。そんなこと絶対にあってはならぬ。だが……余が幾ら反対しようとも、もはや意見が覆ることはないだろう……」
彼は形だけの王だった。
政治を取り仕切っているのは宮廷貴族たちで、介入することはほとんどできない。
先ほどの王に最終判断を仰ぐようなやり取りも、結局のところただのパフォーマンスに過ぎず、たとえ王が突っ撥ねたところで、貴族たちがその案を取り下げることはないだろう。
そもそも王位の任命権が、宮廷貴族たちにあるのだ。
彼らの意に沿わぬ王であった場合、最終的には現王を廃して、別の王を立てることが可能なのである。
王の権威が骨抜きとなっているのは、歴代の王たちにも責任があった。
愚かな王が何年もその座に居座り続け、国が荒れるという事態が繰り返されたため、貴族たちによって王の首を挿げ替えることができるよう、法が改正されたのだ。
しかしそれが宮廷貴族の権力を高め、今の腐敗を生み出してしまう。
さらに、たとえダリオス十三世のように、王として相応しい器を持つ人物が現れたとしても、この国を正しく導くことが難しくなってしまったのである。
「陛下、ご報告が」
そんなダリオス十三世の元へ、とある報告がもたらされる。
「アルベイル領に潜り込ませていた間者からです」
それが彼に起死回生の一手を授けてくれたのだった。
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