また、作者の新たな一面を見た。
空にはクジラが飛び、人間は進化してエラを持ち、海中で暮らしている。
冒頭を読み始めてすぐに、なにか素晴らしい物語が始まったに違いないという期待が膨らむ。
SFとジュブナイルをかけ合わせたような世界観。
おのずと文中には世界観の説明が多くなるが、文章はあくまでもわかりやすく心地良い。
作者は状況の説明をするのがうまいと(私の中で)定評がある。その文体と作品の世界観が見事にマッチしていて素晴らしい。
また、描写の美しさは同作者の『愛するは罪、ソドムの二人』を彷彿とさせる。
(https://kakuyomu.jp/works/1177354054894150655)
チラチラと存在感をただよわせるクジラの描写もユニークで面白い。
作中には、主人公とヒロインのほかに、研究者と呼ばれる人たちや過去の生活様式にこだわる人たちの存在が書かれている。
彼らはそれぞれ異なる考え方を持ち、憧れを抱いたり、前時代の生活にこだわったり、新天地を求めたりしている。それぞれの行動にきっと正解はなく、同時に間違いもないのだろう。
彼らがそれぞれ自分の考えをしっかり持っているため、読みごたえのある作品に仕上がっている。特に、ヒロインからの魅力的な提案に対して主人公がどう答えるのか、というシーンが印象的だ。
そして、主人公とヒロインの考え方の違いによって『空』の定義が異なってくるところが興味深い。
また、物語は主人公がいる場所だけで展開してゆくが、陸地や海底へ思いを馳せることにより想像の中に世界が広がってゆく。その手法が面白い。
さて、今作は「ピンクのトランクス」「深海」「クジラ」「曲芸」「ロバート・ハインライン」という5つのお題をもとにして書かれている。
作者はお題の使い方が相変わらずうまい。
まさか「ピンクのトランクス」といういかにも難しそうなキーワードをメインに使ってくるとは。
そればかりか、実に印象的な演出となり、ラストの感動にまで繋げている。
また、SF作家であるロバート・ハインラインの作品名から『夏への扉』というキーワードを引き出しているが、その使い方もまた感嘆するばかりである。
個人的には扉の向こうが夏ではなく冬に変わることにより時間の流れを表現しているところが最高にいいなと思った。
扉を開くという行為は、新天地を求める行為と同一である。
『夏への扉』というキーワードが物語全体のテーマに繋がっていて、ヒロインの考え方や行動にも説得性を与えている。
ラストに「悲しみ」を感じさせず、「説得性」となって残るところに、作者の物書きとしての才能を感じずにはいられない。