最後で台無しになる短編集

本丸 匠

わたしとメビウス

 「葵って煙草吸ってたっけ?」


 華の金曜日。私は友人の環奈と居酒屋に来ている。


 「うん。最近別れた彼氏の影響でね。今となっては負の習慣だけが残った感じ」


 元彼は喫煙者だった。歳は私より五つ下で、夢追うミュージシャン。とは名ばかりのフリーターだった。


 「あーね。拓哉君だったっけ? 結局別れちゃったんだ」


 環奈の注文していたレモンサワーが席に届く。それを一口飲み、溜息をついた。


 「だからバンドマンは辞めときなって言ったじゃん。私たちも若くないんだから。ちゃんと結婚を見据えた付き合いをしないと」


 私も残り少ないウーロンハイを飲み干し、追加でハイボールを注文した。


 「で、なんで別れちゃったの?」


 環奈は前のめりになって質問してくる。


 どうして別れ話はいつの時代も話のネタとして重宝されるのだろう。


 「浮気されたの。それも二人と。三股かけられてたみたいで」


 私は拓哉のスマホをたまたま覗いてしまった時の事を思い出す。LINEのトーク画面に映る、楽しげな会話の文面を見た時は、裏切られたという悲しみと、やっぱりかという諦観があった。


 「なにそれ。最低じゃん。やっぱりバンドマンはモテるのね」


 環奈はうんうんと一人納得している。


 「環奈の言うとおりだった。私みたいなアラサーが、若い子と付き合うのは無理があったみたい」


 拓哉との同棲の中で感じた、様々なギャップを思い返し、自分自身を納得させようとする。


 「そのとおり! もう元彼のことは忘れて飲もう! 今日は私が多めに払ってあげる!」


 「奢りじゃないんだねー」


 私は環奈と別れ、家に向かって歩いていた。


 環奈に流されるまま、いつもよりも早いペースでお酒を飲んだため、かなり酔っ払っている。ふらつく足取りで、自宅アパートまであと少しというところで盛大に転けてしまう。


 「痛たた……」と、転けた拍子に擦りむいた膝を擦りながら立ち上がる。


 鞄から飛び出し、アスファルトの上に転がるメビウスを眺める。


 「全然いいとこなかったのに。なんで好きになっちゃったんだろう」


 高校の同級生に誘われて行った小さなライブハウス。二十八歳の自分には不釣り合いな、エネルギッシュで騒がしい箱の中で、拓哉と出会った。


 私は仕事帰りだったため、スーツを着ていた。周りにいる若い子たちは皆、派手なTシャツを着ていたり、サイズの大きなダボッとした服を着ていた。その服装の差がさらに、私をライブハウスの中で孤立させているように思わせた。


 初めて見た、生のバンド演奏は衝撃的だった。若い子たちが汗をかきながら叫ぶ姿は、私の胸を強く打った。


 中でも、ピースフルシャウトというグループに心を奪われた。拓哉がギターボーカルを務めるグループだ。


 拓哉の歌はお世辞にも上手くはなかったが、彼の真剣な表情。MCの時に楽しそうに笑う姿に釘付けになった。


 それから私は一人でピースフルシャウトの出演するライブを見に行くようになった。


 ピースフルシャウトを追いかけるようになって一ヶ月が経ったある日。私がライブハウスから出ると、後ろから声をかけられた。それが拓哉だった。


 拓哉はライブが終わってすぐ追いかけてきたので、汗をびっしょりかき、少し呼吸が乱れていた。


 「あの! このあと少し会えませんか?」


 突然、追っかけをしているバンドのボーカルに声をかけられたのだ。その時の私は、まるで自分が物語のヒロインになったような気がしていた。


 今思えば、退屈な日々を忘れさせてくれる拓哉に依存していたのだと思う。だが、そんな魔法は解けた。私は物語のヒロインなんかではなかったし、そんなものになる必要もなかった。


 私はメビウスの箱を拾いあげる。


 「葵!」


 その時、後ろから声をかけられた。私が声のする方に目をやると、そこには拓哉が立っていた。


 「拓哉…」


 拓哉は慌てた様子で駆け寄ってきた。


 「葵、大丈夫?」


 拓哉は私に肩を貸してくれた。


 「なんで拓哉がいるの?」


 私は酔っ払って拓哉の幻覚でもみているのだろうか。さっきまで思い返していた出来事を脳が作りだしたのではないか。


 「さっき葵を見かけた時、かなり酔っ払ってるみたいだったからさ。心配で追いかけたら、目の前で転けてたから」


 「…そうなんだ」


 私の中にある拓哉への想いは完全に無くなっていた。そう思っていたのに。


 目の前にいる拓哉を見ていると、拓哉と過ごした夢物語を思い出してしまう。


 何もなかった私に、夢を見させてくれる。


 涙が溢れ出した。


 「葵? 大丈夫?」


 拓哉に介抱され、忘れようとしていた彼への想いが蘇ってしまう。こんなのはよくない。頭ではわかっているのだけれど。


 「とりあえず家に帰ろ? な?」


 私と拓哉はゆっくりと家に向かって歩き始めた。


 拓哉が水を汲んで、私に手渡す。私はそれを受けとると、ゆっくりと飲み干す。


 「ごめんね。ありがとう」


 私の部屋に拓哉がいるのなんて久しぶりだった。もう二度と会うことはないと思っていた。


 「葵。話があるんだ」


 拓哉が真剣な顔をしている。


 「どうしたの?」


 「俺とよりを戻してくれないか? 自分勝手な話だってことはわかってる。もうあの二人とはキッパリ別れた。俺は葵が本当に好きなんだ」


 拓哉は緊張しているように見えた。彼のこんな姿は、初めて私に声をかけてくれた日以来のような気がする。


 「…うん」


 気づけば返事をしていた。こんなことはよくない。頭では理解できても、心が言うことを聞いてくれない。


 「本当に!?」


 拓哉は驚いたような顔をする。そして喜んでいる。その笑顔は卑怯だなと思った。


 「その変わり…お願いがあるの?」


 「なんでも聞くよ!」


 「本当に?」


 「もちろん!」

 

 「じゃあね。私とひとつになって」


 拓哉は私の言葉を聞き、戸惑っている。しかしそれも一瞬のことで、直ぐに真剣な表情に戻った。


 「うん。わかった」


 私と拓哉はひとつになった。


 「きて」


 「うん」


 拓哉の温もりを感じる。拓哉も私の目を見つめて困ったように笑った。


 「ん?」


 拓哉が私を見る。その顔はやはり困ったような顔をしている。


 「はやくひとつになりたい」


 私はそう言った。


 「え?」


 拓哉の気の抜けた声が聞こえる。そして、「痛ってぇえええええ゛!?」という絶叫が聞こえる。


 時刻は深夜1時。壁の薄い賃貸アパートに彼の悲鳴がこだました。


 村を出る時、母は言っていた。


 「村を出るなら、人を好きになってはだめよ? 私たちは好きになった人とひとつになりたい欲求に逆らえないの。だからね葵。これだけは約束して。絶対に恋をしないこと。わかった?」


 「あっ、ああ゛…化け物…」


 拓哉は切断された男性器を握り、ベッドから落ちた。私はそんな拓哉を優しくベッドの上に戻してあげた。


 「どうしてそんな酷いことを言うの? さっきはひとつになってくれるって言ってくれたのに」


 拓哉の顔が恐怖に染まる。どうしてそんな顔をしているの?


 「だからね? 一緒になろ?」


 私は拓哉とひとつになった。


 私は村を出て初めて、本当の愛を知った。

 

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最後で台無しになる短編集 本丸 匠 @motomaru

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