築く屍修羅の道、なれど、もう止まらず(プロローグのみ)

前世の記憶を持って時代劇時代に転生した男が、TSというより憑依する形で復活した感じの話


気が向いたら続きを書くけど、現時点では気持ちが薄い


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 ――男として生まれたからには、天下を狙うは必然の定めなり。




 幾つかある国の、幾つかある藩の一つを統治する御家の三男坊として生まれた宋吉郎(そうきちろう)にとって、物心が付いたか否かの最中に言われたその言葉は、呪いにも等しき言葉であった。


 そう、呪いであった。


 何故なら、宋吉郎には、親兄弟を始めとして、周囲が語る『天下』というものに対して、欠片の価値も見い出せなかったからだ。



 ――天下とはいったい何を指し示すモノなのか……そういった哲学的な話をしているわけではない。



 純粋に、宋吉郎にとっては興味を引くに値する事柄ではなかったのだ。そして、どうして宋吉郎がそう成ったのか……それは、単に彼が抱えている秘密が関係していた。



 ……簡潔に述べるのであれば、彼には前世の記憶が有る。けれども、それは今よりも昔の事ではない。



 言うなれば、未来を生きた男の記憶だ。


 宋吉郎が生きるこの世界とは異なるが、よく似ている。今よりも、おおよそ400……いや、500年は先となる、夢物語が粗方現実となった時代の、記憶だ。


 最初は……宋吉郎も、己の頭がおかしくなっているのだと思っていた。あまりに荒唐無稽な内容ばかりだし、生れ落ちる前の事など誰もが欠片も覚えていなかったからだ。


 だが、何時しか……何がキッカケなのかは宋吉郎自身にも分からない事ではあるが、それが己の前世であるのだと、宋吉郎は思うようになった。


 何と言えばいいのか……ふとした時に出る前世の知識が、宋吉郎にそう思わせたのだろう。



 ――このやり方では何の意味もない、こうすれば良い。

 ――間違ってはいないが、これでは不十分だ。

 ――そうか、未来で謎とされた事は、実際はコレだったのか。

 ――知っている、そうだ、教科書に記された、あの武将だ。

 ――なるほど、実はあの人は……のような悩みを抱えていたのか。



 そんな事を思う度、そんな事を考える度、人知れずこっそり手を加え、耳を澄ませ……後で、その方法でやった方が利益が出るということが周知されるに連れ……宋吉郎は、理解したのだ。


 ……己だけが記憶しているこれは、己の前世でありながらも、今よりもはるかな未来の記憶であるということを。


 だからこそ……いや、だからこそ等という言い方こそ荒唐無稽ではあるが、あえて、だからこそ、宋吉郎は前世の未来より与えられた記憶によって、分かっていたのだ。



 ――天下を治めるのは己らではない、と。



 それに、『天下』とは言っても、所詮は狭い島国の話だ。海の外に目を向ければ、自分たちなんぞ容易く呑み込む大国同士がバチバチとやり合っている。


 そんな者たちが海の外でやりあっている最中、『天下』だの、『将軍』だの……知らないままならまだしも、知っている宋吉郎が、他者と同じように物事を考えろと……無理な話であった。



 ……故に、宋吉郎は外ではなく、内に目を向けた。



 前世の影響もあるが、元来、宋吉郎は荒事が嫌いである。必要とあれば血を流す政策を取る必要もあるし、人の生き死にが前世よりも密接であることも、宋吉郎は受け入れていた。


 とはいえ、受け入れたからといって、もろ手を挙げて賛成しているわけではない。というか、本音を言えば、今も昔も宋吉郎の考えでは『嫌い』の一言である。



 しかし……現実として、荒事とは無縁の生き方なんぞ出来るわけがない。



 農作機械が発達して大量生産が可能となった未来ならともかく、豊作であっても毎年死者が出るのが、宋吉郎が生きている現実なのだ。



 だからこそ、宋吉郎は……安定を第一に考えた。



 他所より奪うのではなく、まず自国の米を増やす。日照りが続いた時を考えて溜め池や井戸を掘り、兎にも角にも飢えない事を最優先にしたのだ。


 もちろん、三男坊に与えられた実権など大したモノではない。その立ち位置こそ一般人とは異なるが、あくまで三男坊であり、後継者ではない。


 だが、それでも、その他大勢に比べたら、動かせる金も力も大きい。加えて、宋吉郎には……自由に出来る土地を幾らか与えられた。


 それは、宋吉郎の常識外な発想が理由の一つでもあるが、何よりも、父親の深い懐が関係している。


 と、いうのも、宋吉郎の父は、非常に柔軟な考えを持ち、『ひとまず、やってみなければ分からない』を信条とする男であったからだ。


 おかげで、宋吉郎は思うがまま、色々とやれた。当然、白い目で見られる事もあったし、失敗する事だって多かった。



 だが、彼は彼なりに治めるこの地を良くしようと一生懸命であった。それだけは、誰もが認めていた。



 武士らしくない軟弱な宋吉郎を馬鹿にする二人の兄も、『軟弱ではあるが、アレも立派な男だ』と、その姿勢に付いては一目置き、認めていた。


 そうして……様々な挫折によって足を止める時はあっても、それでも前を向き……気付けば宋吉郎は土地を豊かにし、餓死者を減らし、大名たちの間にもその名が知られる男となった。


 ……皮肉にも、だ。


 そうして国を豊かにした結果、それを元手に何度か戦が起こり、流れるはずがなかったかもしれない血が流れたのは……人の業というものだろう。



 ……。


 ……。


 …………それから、色々な事が宋吉郎の身に起こった。



 各大名たちの小競り合いもそうだが、宋吉郎を可愛がってくれた父が御隠れになった事で、後継者争い……御家騒動が勃発した。


 もちろん、前例や常識に則(のっと)って考えるのであれば、長男が継ぐのが当然の流れである。よほどの理由が無い限りは、収まる所に収まるモノである。


 しかし、幸運な、あるいは不幸な事に……どちらを選んでも角が立ってしまう状況だったのだ。



 ――例えば、剣術。長男も次男も、その腕前は互角であり、剣術指南役の目を持ってしても、甲乙付けがたいと言われた。


 ――例えば、学問。こちらも、どちらの出来も甲乙付けがたく、『互いに得手不得手はある、程度の違いしかない』、と。


 ――例えば、健康。これまた、甲乙付けがたい。どちらも立派な体格で精力に溢れ、酒に強く、大の男を投げ飛ばす程だ。


 ――例えば、戦績。哀れな事に、これまで甲乙付けがたい。打ち取った首の数や階級も互角とあらば、もうどうしようもない。



 後は、互いの性根が明暗を分けるだけだが……それすらも、これといって評価を下げるべき点が見つからなかったのだ。


 何せ、互いの部下たちですら、『どちらが上に立っても何ら不思議ではないし、どちらが下になっても納得出来ない』と囁き合うぐらいなのだから……当人たちの葛藤も、相当なモノだろう。



 ……その御家騒動に宋吉郎が関わらなかったのは、不幸中の幸いというべきか。



 まあ、『太平の世であれば……』と囁かれていただけあって、だ。


 不穏な気配がそこかしこで渦巻いている乱世の今、イマイチ迫力に欠ける宋吉郎が上に立つには……という認識が有ったのだろう。



 ――特に、現在は……尾張のうつけ者が、天下を取らんと破竹の勢いでその名を天に地に知らしめようとしている。



 つまりは、何時までも揉めている猶予は無いのだ……が、しかし、理由が有って問題視されていたならまだしも、上には十分な素質を持った男が二人も居る。


 悩ましいを通り越して、もはや雷でも降りて天が決めてくれと誰もが思う程に迷いに迷っていた。


 宋吉郎の方からも、『己は上に立つのではなく、その者を支える方が性に合っている』と発言していた事もあって、決着が付くまではと、宋吉郎は城を離れ……己の屋敷へと引き籠る事となった。



 それからは……平穏な日々を送った。



 三男坊とはいえ、その名は民草たちにも知れ渡っている。当初よりもはるかに仕事がしやすく、顔も通じているので、問題らしき問題は起こっていない。


 もちろん、不作や災害などが起これば、現地の視察や被害女強の確認、近隣への根回しや監視など、一気に忙しくなるのだが……それを差し引いても、平穏な毎日であった。



 ……そうして、だ。



 三男坊ゆえ上に立つ事はなく、のし上がるような野心も持たない宋吉郎の所へ、『松』という女が嫁いで来てくれたのは、城を離れてから一年後の事だった。



 ――『松』は、位こそ宋吉郎と釣り合いが取れる家の者ではあったが、器量はそこまで良くはなかった。



 長い黒髪こそ濡れたようにしっとりと美しく、顔立ちも整ってはいた。しかし、何処となく鈍いというか、頭の回転は悪く、女中たちを束ねるだけの器を持っていなかった。


 頭が悪いわけではない。記憶力の良し悪し、発想の良し悪しだけを考えれば、中々のモノだ。ただ、判断するまでが遅く、また、決断が出来ない女でもあった。



 誰かの庇護下であるならば大丈夫だが、矢面に立つと駄目なのだ。



 つまり、誰かの妻や母に成る分には申し分ないが、側室や女中たちを束ねなければならない立場になると……それが、『松』という女であった。


 おそらく……いや、確実に、松の両親もそうだが、松を以前より知っている者たちは、その性質を理解していたのだろう。


 『見て呉れ』は良くとも、気弱なのは宜しくない。何せ、松の両親は娘を妾の1人ではなく、妻として嫁がせたいのだ。


 松の両親と付き合いのある者たちは、名の通った商人が多かったのだけれども、それ故に、時には毅然とした立ち振る舞いが出来る女性でなくてはならない。


 なので、いくら付き合いがあるとはいえ、だ。妻にするには些か不向きというか……せめて、もう少し我を押し通せる度胸があればなあ……と思われ、やんわり断られてしまった。



 そうなると、困るのは松の両親だ。



 看板娘として、付き合いのある大店等へ嫁がせるのは無理だと分かった。かといって、相応に教養を施し美しく育った娘を、名も知らぬ家に嫁がせるには勿体無さ過ぎる。


 けれども、何処ぞの旗本へと嫁がせるには度胸が足りないし、そもそもそちらへと伝手が無い。有ったとしても、そちらの常識など知る由も無い娘1人、耐えられるとも思えない。



 ならば、どうするか……悩んでいる時間は、そう多くはない。女の命は、花に例えられる程に儚く短いのだから。



 両親ともが……特に母親の方は、如何に年齢が出産という大問題に関わって来るか、身を持って知っている以上、何時までも先送りには出来ないと焦っていた。


 事情が有って婚期が遅れてしまった(限度があるにせよ)のであればともかく、探しても見つからないまま時は流れ……というのが、一番悪いのだ。


 男も女もそうだが、誰彼(だれかれ)よりモテて気が移り、一人に定まらないのが許される(大目に見て貰える)のは、色づく年頃までだ。



 少なくとも、この両親を始めとして、一般的な考え方としては、だ。



 子供が居て当然な年齢になっても、何時までも女の尻を追っかける男は論外。対して、そろそろ母親にならねばならぬ時期なのに、何時までも初心なままなのもまた論外。


 両親から見て、娘である『松』はもう、その年頃を過ぎてしまった。だからこそ、一刻も早く見合う殿方を……と思うのも、当然の流れであった。



 ……故に、だ。



 宋吉郎は『己には勿体無い嫁が来てくれた』と思っていたが、実は、松の両親にとっても、『二度とはない最高』を引き当てた事に狂喜乱舞していたのは、この夫婦だけの秘密であった。



 ……まあ、経緯は何であれ、だ。



 幸運にもと言うべきか、実際に夫婦となった二人だが、相性は悪くはなかった。というか、むしろ最上と断じても不思議でないぐらいに馬が合った。


 それはおそらく、互いの根元が一致していたからだろう。



 宋吉郎にとって、荒事とは暴力でしかない。


 痛みと血飛沫が伴う、辛い出来事。故に、外ではなく内を注視し、自国の強化に努めた。軟弱者と罵られようが、結果的に襲い、襲われないのであれば、それで良かった。



 松にとっても、それは同様であった。


 天下だ何だとか言われた所で、松にとって重要なのは愛する夫と、血を分けた子供と、家族や友人。そして、自らの領地を支え、助け合いながら生きている、領民の事だけだ。


 それ以上はいらないし、それがどれだけ得難いモノなのかを松は本能的に知っていた。いや、もしかしたら、宋吉郎も同様に思っていたのかもしれない。



 だから、大名の三男とその妻という間柄であり家柄であったとしても、二人の生活は非常に穏やかなモノであった。



 必要な場面でこそ立場に見合う振る舞いと恰好をする事はあっても、それ以外は、互いに気楽なモノであった。


 何せ、宋吉郎はもう後継ぎから外れている。つまり、顔を覚えて貰おうと企む家臣は当然の事、取り入ろうとする商人なども来ず、居るのは顔馴染みの者たちばかり。


 それは、妻である松も同様。時折、両親などから文(ふみ:手紙のこと)が届いたり、馴染みの商人が挨拶に来たりする事はあっても、それ以外で訪ねて来る者など、いやしない。


 なので、世間一般の常識(特に、武家などでは)からすれば、めまいを起こすような事を色々と行っていた。


 気分転換がてら宋吉郎が台所に立つ事があれば、庭に作った畑の草むしりを、奥方である松がやっていたり。互いに、互いがやることを良しとされていなかった事を、気にせず行っていた。


 他にも細々とあるが……強いて一番を出すのであれば、子が欲しいと、松の方から宋吉郎を床に誘ったり……が、特に分かり易いだろうか。


 他者が見れば(あるいは聞けば)、思わず目を瞬かせたことだろう。事実、顔馴染みの者たちは誰もが一度は目を瞬かせていたが……まあ、そうして時は流れ……早3年後。


 二人の間に子供が生まれ、よちよちと歩き始めた頃……実家(という言い方も何だが)より連絡が来たのは、梅雨も終わり、茹るような暑さが空気に満たされていた、そんな時であった。






 大名の息子(それも、直系の)が住まう屋敷にしては、かなり小さい。けれども、夫婦二人と子供1人が住まうには、些か広すぎる屋敷の、奥。



 ミンミンミン、と。



 薄い障子など軽く貫通する、喧しい蝉の鳴き声。ジッとしていても噴き出す汗。


 毎年の事ながら、何時まで経っても慣れない熱気に辟易しながらも……宋吉郎は、眼前にて頭を下げている、立場的には己よりも下に当たる家臣へと笑みを向けた。



「――半兵衛、久しぶりだな」



 面を上げよ――そう告げれば、半兵衛と呼ばれた初老の男は笑みと共に姿勢を伸ばした。



「こちらこそ、お久しぶりでございます。以前に会ったのは、もう5年は前の事でしょうか」



 半兵衛は、宋吉郎に父に仕える家臣の一人である。そうなれば、実子である宋吉郎に対しても、今のような砕けた話し方は御法度なのだが……それはそれ、これはこれ。


 いくら頭で分かっているとはいえ、それこそ、宋吉郎がまだ赤子の頃からの長い付き合いなのだ。


 加えて、立場上、宋吉郎に物を言えるわけではないのだが、幼い頃より、良く言って前衛的な考え方を持つ宋吉郎の肩を何かと持ってくれた経緯もある。


 頭が上がらないとまでは言わないが、少なくとも、宋吉郎にとって、半兵衛という男は信用に値し、立場を越えたくだけた話し方をしても咎める必要のない相手だと思っていた。



「そうか、もうそんなになるか……時が経つのは速いものだな」



 5年……改めて突き付けられた時間の流れに、宋吉郎は思わず目を瞬かせ……その姿を、半兵衛に笑われてしまった。



「何を仰います、まだまだこれからでしょうに」

「いや、そうは言うがな、最近はどうにも時の流れを早く感じるようになった気がしてな……」

「それは、奥方を得て、子供が出来たからでしょう。子供が出来ると、特に時が過ぎ去るのを早く感じるようになりますからな」

「なるほど、お前もかつてはそう思っていたのか?」

「かつて、ではありませんよ。今も、です。光陰矢のごとし、ようやく独り立ちしたかと思えば、某(それがし)もすっかり爺になっておりました」

「ふはははは、なるほど、俺もいずれはそうなるわけか」



 半兵衛の言葉に、堪らず宋吉郎は笑い声を上げた。それを見て、半兵衛も笑い声をあげ……ふと、居住まいを正した。



「……後継ぎが決まりました。本日は、その連絡にと来たわけです」

「なんと、ようやくか?」



 それを見て、宋吉郎も居住まいを正した――直後に掛けられた言葉に、思わず安堵のため息を零した。


 我が事にほとんど関係ないとはいえ、ひと月に一度は手紙が送られてくる。父の体調が年明け頃より悪くなっているのは知っていた。



 おそらく、その父より何かしらの沙汰が降りたのだろう。



 まあ、父の目から見ても決めきれないとはいえ、何時までもあっちこっちに迷っている猶予はない。誰よりも、父自身がそれを分かっていたのは考えるまでもない。


 宋吉郎も同様で、いい加減に後継ぎを決めないと、父の死後は泥沼の争いになるのは目に見えていたから……だからこそ、ようやく御家騒動が集結した事に頬を緩めた。



「で、どちらに落ち着いたのだ? 順当に行けば、長男である大兄上に成るはずだが……」

「いえ、次男の宗達朗(そうたつろう)様であります」

「ほう、兄上の方か? 決め手は何だ?」

「…………」

「どうした?」



 だが、一転して顔を曇らせた半兵衛を見て、宋吉郎も顔色を変えた。それを見て、「……お気を確かに、聞いてくだされ」半兵衛はしばし視線をさ迷わせた後。



「実は、つい10日程前の事で……宗一郎(そういちろう)様が落馬なさりましてな」

「なに? 怪我の具合は?」

「幸いにも、命に別状はないのですが……どうにも足を痛めたようで、杖が無ければ走ることが叶わぬと……」

「なんと……それは……」



 ポツリと、宋吉郎にとってはにわかに信じ難い事を述べた。


 しかし、半兵衛はこのような性質の悪い冗談を言う男ではない。使いの者ではなく、わざわざ本人が馬を飛ばして来たのだ……事実と考えて間違いないだろう。



 ――何とも惨い結果になったものだと、宋吉郎は内心にて唸り声をあげた。



 何もかもが互角の相手との決着が、戦場ではない事故によるもの。「……仕方がない事とはいえ、父もお辛い沙汰を出したものだ」そう、口に出すのが宋吉郎の精いっぱいであった。


 非常に酷な話ではあるが、互角な二人の間に、結果的に優劣が生まれた以上、後遺症が残る大兄上を無理に跡継ぎとする必要はない。


 本当に酷な話ではあるが、お互いに……特に、大兄上が覚えているであろう無念を思えば、どのような言葉を掛けるべきか……宋吉郎は思いつかなかった。



「……その件について、是非とも宋吉郎様には知っておいてもらいたい事がございます。某が此処に居る理由も、本当はその為なのです」



 だが、それも。



「実は……宗一郎様の落馬の一件……もしかすれば、何者かに仕組まれた事なのではないかという疑惑が出ておるのです」



 続けられた半兵衛の言葉によって、掻き消されてしまった。




 ……。


 ……。


 …………そうして、様々な疑惑と不穏の種を植え付けられた宋吉郎は、妻である松を伴って、当主の座に着いた宗達朗(つまり、下の兄上)へと挨拶する為に城へと向かった。



 色々と納得出来ない部分があるにせよ、当主が決まった以上は挨拶する必要がある。


 でないと、いくら身内とはいえ此度の沙汰には賛成しかねるという意思表示になってしまう。


 それは、時期当主である宗達朗のみならず、現当主である父への反抗と捉えられてしまう蛮行でしかない。


 おそらく、いや、確実に、非常に重苦しい(厳かではない)雰囲気になるのは分かり切っていたが、出ないわけにはいかない。


 そういう立場として生まれた以上は、受け入れるしかない。


 そして、時期当主となった宗達朗へ万歳をしなければならない。決まった以上は、優劣を付けないと示しが付かないからだ。



(神様、仏様……いくら決まらなかったとはいえ、こんな形で決着を付けるのはあんまりだと思います)



 ――せめて、我が子が顔合わせする時ぐらいは……朗らかで穏やかに……なっておりますように。



 ため息と共に、そんな事を思いながら……チラリと、馬上から。


 後方にて担がれている籠(かご)より、小さな目をまん丸にして初めての景色にきゃっきゃと笑っている我が子と、苦笑交じりに宥めている松の姿を振り返りながら……そんな事を思うのであった。






 ……。


 ……。


 …………そう、思っていた。

 

 




 だが、そうはならなかった。せめて、子供の前だけでは……そんな、ささやかな願いすら、叶わなかった。



 何故なら――切られたからだ。



 最初、宋吉郎は、自分が何をされたのかを上手く認識出来なかった。客観的に考えれば、それも、無理からぬ事であった。


 何せ、離れていたとはいえ、幼少より過ごし暮らしていた実家の城。時刻は、草木も眠るとされる丑みつ時(今でいう、深夜2時頃)。


 親子三人、川の字に並べた布団にて寝息を立てていたわけだが……宋吉郎が、その足音に気付いたのは、虫の声も途絶え、月明かりすら雲に隠れた、そんな時であった。


 うつらうつらと目を開けた宋吉郎が最初に思ったのは、体調がおもわしくない父の事であった。


 久しぶりに顔を合わせた父は、以前よりも痩せ細っていた。去年の冬頃に風邪を拗らせてから、どうにも体力が戻らないとは耳にしていたが……想像以上であった。


 考えるまでもなく、原因は風邪だけではないのはすぐに分かった。


 けれども、経緯は何であれ、結論が出た事には変わりないのだろう。未だ迷いを見せはしつつも、以前の顔合わせの時に比べて、幾らか表情が穏やかになっていた。



 ――だから、もしやと思った。



 前世の記憶だけが根拠ではないが、あのように気の抜けた時が一番危ないのだ。実際、顔見知りの何名かが、風邪が治って元気になった……と思ったら、みたいな事があった。


 それを思い出した宋吉郎は、飛び起きるようにして寝床を出た。「あなた……?」そのせいで目が覚めた妻の呼び声が背中へ掛けられたが、かまわず宋吉郎は障子を開けた――。




 ひゅん、と。




 ――何かが風を切ったのを耳にした直後に、熱が肩口から脇腹へと走った。ぱしっ、と、生暖かい熱が斜めに感じた……直後、それは鋭い痛みに変わった。



「――っ!?」



 何かをサレタ――そう思った時にはもう、遅かった。


 反射的に身を翻そうとした時点で、何かがぶつかって来た。直後、焼けるような熱気と共に走る激痛が腹部より走り――そのまま押し込まれるようにして、障子を壊しながら寝室へと尻餅をついた。



「ひッ!?」



 異変に気付いた松が悲鳴を上げようとした。激痛に飛びかけた意識の中で、何とか妻子を逃そうと宋吉郎は狼藉者が居るであろう陰に手を伸ばした。



 ……だが、しかし。



「悲鳴を上げれば、子が死ぬ事になりますぞ」



 暗闇の中に、ポツリと響いたその声。その声に、松もそうだが、朦朧とした宋吉郎すらも、ギクリと動きを止めた。


 いったいどうして……それは、その声が……二人にとって、聞き覚えが有りすぎるからであった。


 フーッと、それは静かに開かれ……差し込む月明かりに照らし出されたのは。



「全く……無駄に頭が良いのも困り物ですね」



 幼い頃より御家を支え続けた忠臣であったはずの、半兵衛、その人であった。


 傍には、全身黒ずくめの……体格から見て、おそらくは男だ。それが、パッと見た限りでも4人居る。


 その内の一人、手には赤く濡れた刃が握り締められ、点々と続く血の跡が宋吉郎へと続いていた。



 ――こ、これはいったい!?



 信じ難い光景に痛みも忘れた宋吉郎と、夫が切られた恐怖も飛んでしまった松を他所に、半兵衛は勝手知ったる……いや、横たわる宋吉郎を蹴飛ばして、ぬるりと室内に入って来た。



「おっと、三度目は無いですよ。子の命が惜しければ、静かにですぞ」



 混乱のあまり、悲鳴をあげる事も出来ず、痛みに呻く。そんな夫の姿に激昂しかけた松ではあったが、そのように脅されれば、どうにも出来ない。


 ぽつ、ぽつ、ぽつ、と……何時の間に、来たのだろうか。


 新たに姿を見せた黒尽くめの男が手にした灯りによって、室内に置いた行灯(あんどん:木などで作った枠に紙を貼った物)に火を入れれば……ぼんやりと、室内が明るくなった。



「む、謀反(むほん)か……裏切ったのか!」

「とんでもない、それは誤解というものです」



 その中で、辛うじて……即死を免れた宋吉郎は、何とか立ち上がろうと……だが、そんな宋吉郎を嘲笑う……いや、半兵衛は嘲笑った。



「初めから、ワシはお前らになんぞ忠義を持ってはおらんのだからな」

「――っ!?」

「何を驚いているのだ? ワシがお前らに尽くしたのは、それに見合う金と立場を用意されていたからだ。それ以上を貰える相手が出来たなら、手を切る……当たり前の事でしょう」

「き、きさま……!」

「民の暮らしを良くするとか、何とも阿呆な事を考えておりますなと常々思っておりました。まあ、貴方のおかげでワシも色々と稼がせて貰えましたから、幾らか帳消しとしましょう」



 ――幾らか、だと?



 聞き逃せない単語に、宋吉郎は不審に思う。


 これほどの凶行を成しただけではない。発言が事実なら、これまで己が成した様々な政策や試作を利用して、私腹を肥やしていたという事に他ならない。


 それでなお、足りないと口にしたのだ。


 主を裏切るだけではない、畜生にも劣る外道。そんな男が、わざわざ……いったい、半兵衛の目的は……そう思い、睨みつけ――気づいた。



 そう、気付いてしまった。



 半兵衛の視線が、愛する妻である松へと向けられているのを。


 何よりも、半兵衛が見に纏っている着物を押し上げる……隆起したそれを目にして……瞬間、宋吉郎は半兵衛へと飛びかかっていた。


 だが――その拳が、半兵衛に届くことはない。


 それよりも前に、黒尽くめの男に殴り返されたからだ。只でさえ重傷を負っている事に加え、出血も酷い。不意を突かれた事もあり、宋吉郎はたたらを踏んで尻餅をついて……動けなくなった。



「は、はんべえ……」

「そこで、見ておきなさい。さあ、奥方様。少しの間、我慢をするだけですよ」

「ひ、ひぃ!? や、止め――あぐっ!」



 もはや意識すら朦朧としている宋吉郎。掠れた視界の中で、圧し掛かられた半兵衛に何度も殴られる松……手を伸ばしたいが、もう指すら動かせられない。


 なのに、半兵衛は松への乱暴を辞めない。心底楽しそうに、握り締めた拳を、何度も何度も松の顔に振り下ろしている。


 そのせいで、瞬く間に松の顔は腫れ、寝間着は剥かれ、凌辱を受けて出血しながらも、夫と子の名を呼びながら耐え続け……地獄が、この部屋にて開かれていた。



 ――いや、違った。地獄は、これからだった。



「……せっかくだ。母子共々、同じが良かろう」



 もはや息絶え絶え……そんな状態になっている松の前に、半兵衛は二人の我が子を立たせる。


 その顔は、恐怖で引き攣っていた。物心はまだついていないはずだが、聡明なのだろう。


 泣けば事態を悪化させる事を分かっているのか、涙を零しつつも泣き声だけは堪えていた。


 それを見て……意識を飛ばしていた松の目に光が灯る。「う、あ、あ……」力が入らぬ腕を伸ばし、震えながらもその指先が我が子へと届く――その、瞬間。



 ――ごきり。



 何かが折れた音を、宋吉郎は聞いた。位置的に、宋吉郎からは我が子を抱える半兵衛の背中と、伸ばされた松の両腕しか見えなかった。



 でも。


 それでも。


 宋吉郎には、分かった。



 伸ばされた両腕が、目に見えて震え始めたから。それまで掠れていた吐息すらも変わり、「あっ、あっ、あっ」明らかに力が……否、絶望と……憤怒がこもり始めたのを、目にして。



 ――殺したのだと。


 ――母の前で……産み落とした我が子を。


 ――己の命を犠牲にしてでも助けようとした子を、目の前で殺したのだと。



 始めから、子を助けるつもりなど、無かったのだ。


 愛する妻の前で、夫である宋吉郎に致命傷を与え。辛うじて意識のある夫と……幼い子の目の前で、その妻である松を凌辱しただけでなく。


 よりにもよって、子の命を守る為に死を覚悟した母親の目の前で、その子を殺す。それも、手を伸ばせば届く程の距離で、この顔を見せたまま。



 ――鬼畜外道だ。



 それ以外の言葉は無い。それ以上の言葉も無い。正しく鬼畜の所業、外道の所業。生まれ持っての悪鬼……うははは、と高笑いを上げるその姿は、もはや人ではなかった。



「……鬼畜外道め」



 ぽつり、と。


 黒尽くめたちの一人が、心底軽蔑した様子でそんな言葉を零した。他の者たちも同様に思っているのか、彼らは例外なく蔑んだ目を半兵衛に向けていた。



(……許さぬ)



 その光景を、見つめる事しか出来ない中、宋吉郎は……いや、私は、憎悪に燃え上がる心を抑えられなかった。


 手足はおろか、指一本動かす事は叶わない。掠れた視界に、おぞましい光景が続いている。


 疼くような痛みと共に、身体から命が流れ出て行くのを感じる……それを、止める事は出来ない。



(――許さぬ)



 己は、死ぬのだと……宋吉郎は理解した。死ぬしかないのだと分かっていた……けれども、宋吉郎は拒絶した。



(許さぬぞ、半兵衛……!)



 もう、間もなく死ぬ。


 徐々に手足の感覚が薄れ、痛みすらも……忍び寄る死の気配が背後に迫るのを感じながら、同時に、流れ出た分だけ入り込んでくる『ナニカ』を感じ取る。



(必ず、必ずやお前を殺す……魂魄だけになろうとも、お前の全てを滅ぼしてやる)



 スーッと……浮き上がる感覚を覚える。


 見れば、眼下には倒れ伏した己の背中。不自然な方向に首が曲がった我が子。顔中血まみれで、気が狂ったのか、えひゃえひゃと笑う……愛する妻。


 そんな我ら3人を前に、高笑いをする半兵衛。なおも汚したりないのか、再び始めた凌辱を……冷めた眼差しで見つめる、黒尽くめの男たち。



(末代などと生温い事は言わぬ。貴様の知り合いも……貴様と、貴様の子孫、貴様と繋がりのある全てを……必ず殺してやる)



 ぐんぐん、と。浮き上がる速度が速まり、天井を抜け、屋根を抜け、夜空へと登って――させぬ、絶対に。



(――成仏などしてたまるか!)



 チリチリ、と。



 何処からともなく姿を見せた黒いモヤが、己の身体に入ってくる。合わせて、憎悪が血肉に変わってゆくかのような感覚が、全身へと広がってゆく。



 ……許さぬ。


 ……絶対に許さぬ。



 対して、己の意識が薄れてゆく。膨れ上がる憎悪だけで繋ぎとめているが、それでも……己が霧散してゆくのを完全には止められない。



 ……根絶やしにしてやる。


 ……この魂魄が塵に変わろうとも。



 だからこそ、己……いや、俺は呪う。


 やつを、やつらを、やつらに手を貸した者たちを、やつと繋がる事で益を得たモノを、その全てを、根絶やしに、全てを、滅ぼしてやる。



 ……貴様の繋がりがこの世にある事を許さぬ。


 ……許さぬ……絶対に許さぬぞ!



 何に成ろうが、構わない。魑魅魍魎に成り果てようが、構わない。この身が化け物になろうが、地獄へ堕ちようが、構わない。



(絶対に――殺してやるぞ、半兵衛!!!)



 ただ、それだけを叫び、呪いを吐きだしながら、俺は己が四方八方へ霧散してゆくのを感じ……。


 …………。


 ……。


 ……。







 ……。


 ……。


 …………ん?



 ふと、霧のように掴み所の無かった宋吉郎の心が定まった。


 それはまるで、散らばった欠片がスルリと一つに纏められたかのような……不思議な感覚であった。



(俺は……?)



 頭上に広がる青空。視線を左右に向ければ、生い茂った木々が見える。しかし、どうにも見覚えのある景色というか、覚えのない緑の臭いだ。



 ……。


 ……。


 …………臭い?



 反射的に身体を起こした――途端、ちくりと痛みが走った。けれども構わず己を見下ろした宋吉郎は……困惑に目を瞬かせた。



 ――見たモノをそのまま言葉にするならば、少女の裸体であった。



 困惑……いや、宋吉郎が思う程、困惑していなかった。しかし、驚いていないわけではなく、あまりに突拍子な状況に、驚くだけの余裕が無かっただけである。


 つまり、一周回って冷静になったのだ。少なくとも、見たモノをそのまま、素直に受け入れられる程度には。



 ――これは、夢?

 だが、それにしてはあまりに感覚が現実的過ぎる。


 ――いや、違う。

 そう、夢にしてはあまりに何もかもが鮮明だ。


 ――荒唐無稽なれど、現実だ。

 理由は分からない。しかし、だからといって否定する事は出来ない。



 実際、全身から感じ取れるモノを夢と判断するのは難しく……事実として状況をそのまま受け入れるのであれば、今の己は女になっている、という事だろうか。



(……何が起こった? 何が、起こっているのだ?)



 衣服らしきモノは、一つもない。手足は細く頼りなく、肋骨が浮き出ている。農民の子にしても、あまりに痩せ過ぎていて……全身が薄汚れ、薄らと痣が付いていた。


 その中でも、特に酷いのは股間だ。はっきり言うならば、ほと(女性器のこと)から出血していた。



(……月の物?)



 つまり、月経の事だが……一瞬、そう思った。だが、直後に違うと判断する。


 女の身体になるのはコレが初めて(まあ、当たり前だが)なので確証はないが、それでも、この身体には早過ぎるような気がする。


 正確な年齢は分からないが、どう高く考えても10歳、せめて11歳ぐらいだと思われる。


 前世の……今なら前前世になるのかもしれないが、この痩せ細った四肢……月の物が始まるには些か早い気がするし……よし。



 とりあえず、ゆっくりと立ち上がる。



 その際、少しばかりふらついたが、何事も無く立ち上がり……改めて、宋吉郎は己の身体を見下ろした。


 やはり……女の身体だ。凹凸の無い胴体に、下腹部の……触れてみて、改めて女に成っている事を実感する。


 有るべきモノ、有ったはずのモノが無い。代わりに感じ取れるのは、当たり前のように認識出来ていた部分が限りなく消失し、腹の奥へと通じているであろう空間であった。



 ……。


 ……。


 …………そういえば、俺はどうなったのだ?



 しばしの間、ぼんやりと己の身体を見下ろしていた宋吉郎は、ふと、顔を上げて辺りを見回す。


 何処を見ても……木々が生い茂っているばかりだ。見覚えのある物は何も無く、明らかに……己が今しがたまで居たはずの城の中ではない。



 ――死んだと思われ、城の外に捨てられた……いや、それも違う。内心にて、宋吉郎は首を横に振る。



 それならば、確実に息の根を止められている。それに、己が女に成っている説明が付かないし、そもそも、だ。


 城を離れて長いとはいえ、幼少の頃は暇潰しがてらに城の周りを数えきれないぐらいに散策し、それこそ自分の庭のように知り尽くしている。


 なので、城の周りであるならば、どこで目を覚まそうが何となく居場所が分かるのだ。けれども、それが分からないということは、そういう事なのだ……ん?



 ふと――さ迷っていた視線が、草陰よりわずかに伸びている2本の足を捉えた。考えるまでもなく、それは人の足だ。



 気になった宋吉郎は、裸のままに(着る物なんぞ、無いので)そこへ歩み寄り……ひょいっと覗けば、そこには苦悶の顔で横たわる男が居た。



「……なるほど」



 2,3度視線を上下させただけ。辛うじて生きてはいるが虫の息のその男だが……それでも、分かる事はある。


 無造作に開かれた服の下、剥き出しの陰茎が、怪我をしたわけでもないのに薄らと血で汚れていて……ああ、だから己を股が血にまみれていたのかと納得する。



「…………?」



 状況というか、この身体に起こった事の一端は把握出来た。次いで、男の顔に見覚えがあるかどうかを確認するが……全く、身に覚えはない。



 ――じゃあ、やる事は決まっている。



 迷う必要は無いと判断した俺は、傍の……ちょうど、人の頭を潰すには程よい大きさの石が有ったので、それを両手で掲げ……男の頭に振り下ろした。



 ぐげっ!?



 ごりっ、と男の頭が凹んだ瞬間、土まみれの四肢がビクンと跳ねた。


 ぎょろり、と、見開かれた男の目が私を見上げた……が、構わずその目玉ごと頭を踏みつければ……すぐに、男は動かなくなった。



 ……。


 ……。


 …………もう一度、頭に石を落とす。ついに割れて中身がどろりと出たのを見やった俺は……いや、違うか。



 ……私は、今しがた人を殺した己の両手を見下ろした。



 土と垢で薄汚れ、爪の一部が欠けている。小さく頼りないだけでなく、一目で子供の……それでいて、女子の手であるのが分かるか弱さだ。


 その手で、人間を殺した。


 なのに、どうしてだろうか……欠片の罪悪感も覚えていない。高揚感すらも、感じない。歩いている虫を踏み潰した程度の事で、ひどくどうでもいい事に思えてしまう。


 ……そうだ、重要ではない。


 そう、重要なのは。


 そうだ、しかし、それでも、これで、そうだ、そうなのだ。



「生きている……私は、生きている」



 幽霊ではない。痩せ細っていても、この身体は血肉で出来ていて、心臓が動いている。



「――ならば、殺せる」



 そうだ、殺せる。それを自覚した瞬間、噴き出した憎悪が私の臓腑を煮え滾らせてくれる。


 この男を殺したように、石を投げつけられる。ありとあらゆる手で、なぶり殺しにすることだって出来る。



 ――加えて、気になる事が一つ。



 それは、この身体がどうも普通ではないということ。そう、この手は、否、この身体はどうも普通の女子のソレではない。


 才が無かったとはいえ、武士の男として恥ずかしくない程度には鍛えていたからこそ、分かる。



 ――この身体は成長すれば、男以上の怪力が得られるやもしれない。



 こんな痩せ細った身体で、頭を潰せる重さの石を持ち上げられるのだ。そうなれなくとも、男並みの腕力を持てる可能性は高いだろう。



 ――ならばもう、後は動くだけだ。



 己はどうなったのか、そんな些末など、どうでもよい。


 この身体の持ち主がどうなったのか、それを気にする必要は無い。


 俺が、私に、成ったとて、やることは同じだ。



「殺してやるぞ……半兵衛……!」



 それに連なる者たちも全て、この世から……そう改めて誓った私は、まずは生きる為に……男の衣服を剥ぎ取り、水を求めて歩くことにした。


  




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起承転結の『起』で終わっちゃう系の短編 葛城2号 @KATSURAGI2GOU

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