チップス先生こんにちは

ジュン

第1話

「チップス先生、こんにちは」

「こんにちは」

「ところで先生、昨日の続きですが、逃げ出した羊はその後どうなったんです?」

チップス先生は下を向いて目を細めた。そして「その前に」と言った。

「今日は、幸福の話をしようか」

チップス先生は続けて言った。

「矢越君は、自分は幸せだと思うかい」

「そうですね。幸せといえば幸せですし」

「どういうところが幸せだと思う」

「お父さん、お母さんがいて、住む家があって、ご飯が食べられて」

「なるほど。それで幸せなんだと」

「だってそうじゃありませんか。世間ではお金が大事だっていうけれど、僕みたいな子どもには、たいして価値はないんですから」

「お金は幸せの条件ではないと?」

「世の中ってものは、お金は幸せの条件だと、そういうことになってるみたいですが」

「矢越君自身はどう思う」

「ですから、僕は子どもだから、そんなにお金は大事ではないんです」

「そうですか」

「先生は、お金は大事だと思いますか?」

「私は、お金は大事だと思います。けれど」

「けれど」

「お金というのはとても不自由なものだ」

「手に入れることがですか?」

「それもあるが、自由に使うことが難しい」

「なぜ、難しいのですか?」

「自由に手に入れたお金ほど、不自由にしか使えない。そういうものだからです」

「そうなんですか」

矢越エデン君は続けて訊く。

「では、自由に使えるお金は、どうやったら手に入るのですか?」

チップス先生は下を向いた。

「幸福と愛は関係があると思いますか」

「あると思います。愛がなければ人は幸福になれない」

「なぜ、そう言い切れる」

「だって先生、そんなこと当然じゃないですか」

「なぜ、当然だと」

「愛がなければ、人は何のために生まれてきたんです?」

「ふむ」

「それに愛がなければ、人はどのように生まれ得るんです?」

「ははは」

チップス先生は訊ねる。

「愛とは家族にあるものだと」

「そうです」

「愛のある家族には、どのような条件が必要ですか」

「条件って先生、家族の条件ですか!」

「そう」

「お金がある家族!」

「お金がある家族が愛のある家族ということ?」

「そうですとも!」

「お金を家族のために使うから、愛が生まれると?」

「そのために、親は働いてくれているんです」

「そうですか」

「そうです」

「働くことは大事なことですか?」

「もちろん」

「なぜ、そう思う」

「親が働いているからです」

「親がしているから大事なんだと」

「そうです」

「矢越君は、親は大事だと思うかい?」

「当然です!」

「親のどこが大事だと思いますか」

「どこって、すべてですよ」

「すべてとは」

「僕の大好きなお金を稼ぐために、僕をほったらかしにして働いて、稼いだお金を全部、博打や酒に使って、そして僕を大嫌いな学校に通わせてくれている、愛に飢えた僕みたいな子を育ててくれる親のすべてです!」

「そうですか!」

チップス先生は、今度は上を見た。そして言った。

「さて、逃げ出した羊はどうなったか」

「それです!」

「暴力はよくないが、従順過ぎるのもよくない。反抗心くらいはもっていたいものです」

「チップス先生、僕、トイレに行きたくなっちゃった」

「どうぞ」

矢越君は、もう教室には戻ってこないだろう。ようやく、彼自身が逃げ出した羊へと成長したのだなあ。

チップス先生は、そう思ったのです。


終わり

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チップス先生こんにちは ジュン @mizukubo

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