第2話 暮らし安心♪苦等死庵。

 翌日、早々神乃の助言の通り、彼と会った。二人で会うとなるとのらりくらりと避けるので間に共通の友人が店長に声を掛けてくれ、店長と三人で話す事となった。おおごとになっている事に気付いた。

 店長の大切な店で問題を起こした事を重々詫て、本題に入ったが、彼の話は嘘で覆い隠されていた。

 可哀想な人だと思った。

 嘘で武装しなければ自分を護れない脆い人。

 

 私の旦那だった人は他人から言わせれば「大概」だった。

 やはり、欲深で見栄っ張りだった。

 年に一台は車を買い換える。断ると暴れて子供に暴力を振るう。

 おとなしくさせるには好きな物を与える、これしかなかった。

 男の浮気は甲斐性、と言う。私も、旦那の浮気の一つや二つ、見過ごしていた。

 見過ごせないのは「嘘」だ。

 「道を尋ねられた」とか「偶然、同じ商品を手にした」とかそれなら一層、「どんなモンか出会い系をやってみた。」と言ってもらえた方が断然ネタとしては盛り上がる。

 こちとら伊達に一山も二山も越えてない。

 大概の事は笑い話だ。

 例えば、眠っている顔の上に水の入ったガラスの金魚鉢を叩き落とされて溺れ死ぬかと思ったり、お下がりで金銭を要求されて、鉛筆一本自分では買えなかったり、中学生の頃から家に父親ではない、母親の彼氏(既婚者)が同居してたり…自分では逃げられない環境下なら笑って時が経つ迄堪えるしかないじゃないか。

 そんなこんなで私は大概の事は笑って済ませられるし、大概の人とも付き合える。(周りに、その人はイカン人!!と説教されてもイマイチピンと来ないのが難点。)   

 そのお陰で人間なのに人間語が通じない、どう扱えば良いのか取扱説明書必須人物だった旦那ともなんとかやっていけていた。

 有り難い事に旦那はとても奇特な人で、こんな私をとても「愛して」くれていた。余りに愛しすぎて、私が子供と居るととても嫉妬して子供に暴力を振るう程だった。そんな旦那を私は巧く操縦出来なかった。もっと巧く立ち回れなかったのか、と悩む事もあったがいつも結論は「私には無理」と言う無責任なモノでしかなかった。 

 しかし、人間は他人には変える事は出来ない寂しい事実を私は知る。

 出産してすぐの年のクリスマス、旦那は事もあろうに家に彼女を連れ込んだ。

 偶々、私や子供達。私の親が居合わせた。

 旦那は面白い位動揺していたし、母は呆れ、母の旦那は激昂していた。 

 彼女は可哀想な程、真っ青になっていた。逆に、私は自分でも驚く程冷静だった。

 そんな事より、対面して対話させてくれるきっかけが貰えた事に感謝した。

 彼女は私と違って、綺麗に化粧して旦那の為に頑張ってくれたのだろう、キチンと着飾った「女性」だった。赤いチューブトップにミニスカートのワンピースの上に真っ白のコート。旦那の為にお洒落してくれたのだろう。綺麗だった。だがけしからん事にその日はクリスマス。うちの子供がいた。子供は自分のパパの彼女と対面したのだ。一番のショックはそれだった。

 なので、子供には「今年のサンタは女の人だったね。」と言う事にした。半信半疑で返事する子供の声が痛かった。

 それから私は即、離婚に応じた。慰謝料も養育費も貰えない状況を母も母の旦那も怒ったが、お金なんて無いなら無いでどうにかなる、と当時は楽観視していた。

 無論、どうにかなる訳もなく、生活保護のお世話にもなったが市のミスで支払いすぎがあった為、返還金を要求された。全額120万。月8千円しか貰っていなかったのに割に合わない、と思ったが医療費やらそういう物で掛かった金額なのだろう。

 一度は市と闘う姿勢も見せたがあちらはドンと構えたお役所。法律も駆使してくるし、何より、

 「貴方は税金で生活していたのですよ?市民に迷惑掛けたのに返さないと言うのですか?」と言う言葉はキツかった。

 「返しません。」とは言えない。

 奥歯を噛み締めながら返還金に応じた。

 今は役所に通帳を取り上げられている。毎月決まった金額を市に返還する為だ。

 借りたお金でもないモノを私は又、支払っている。

 お下がりをくれた姉にコツコツ貯めた百円、千円を渡してきたあの頃が被る。

 そう、あの頃から私は貧しかった。

 それでも今、三食食べられる生活が出来ているのだ。

 人生ってやつァ、どうにでもなるんだ!

 私は子供にしっかり背中を見せられているだろうか?

 今は反抗期でまともに私を見てくれないけれどいつか気付いてくれるだろうか。

 朝も晩も無く、働き詰めていた母親の存在に。

 それでも次男に言わせれば、「母さんっていつも寝よるイメージしかない。」だそうだ。

 そんな次男を、双子の担任は「お前等の兄ちゃん、授業中いっつも寝よったで〜。」…なんだから余計な所が似てくれて本当に困る。

 

 うちは決してお金のある生活をさせてはやれなかった。

 だから、なんでも手作り。なんちゃって。だった。「なんちゃってファミチキ」「なんちゃってベビーカステラ」「なんちゃってガトー・ショコラ」次男は「そんなんで騙されるか!」と頑なに拒んだが双子は大喜びで餌に喰いついてくれた。

 上等の物が無くたって幸せになれる、お金がなくても幸せで居られる、と、少し自信を持った瞬間でもあった。

 そして、真暗だった世界に一筋の光を感じた「つもり」になっていた。

 父親が居なくなった事で長男が抑えていた気持ちを爆発させる様になった。

 高校生になれば力も付いて、私では対処出来ない。

 この程度のレベルで施設に預けてしまうのも…という自分の非力さを恨んだが双子にも良くない、と説得されて、長男は三年間、障害者の寮で生活する事になった。

 正に三歩進んで二歩下がる生活だった。

 益々、私の依存は双子に向いていった。

 

 

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