神も仏も此処にいる

伊予福たると

第1話 引出しだけならお値段以上。

 一昨年の10月、私は渦中の最中に居た。

 自閉症でありながら薬で誤魔化し我武者羅に働く独りの既婚男性に入れあげていた。

 彼は金銭感覚がおかしく、お金の管理が出来ず奥さんに追い出されて借金を抱えてあくせく働いていた。

 私は困っている人を見過ごせないという困った性格の持主で、彼の借金を共に返したいと仕事を三つ掛け持ちしていた。


 私自身、自閉症の長男を筆頭に四人の息子の母親であり、バツイチだ。仕事、仕事、お金、お金と血眼になっている場合ではない。

 それなのに私は冷静さを失い、仕事に彼にと必死になった。

 私が彼の借金の為にと仕事を始めた事で、彼の負担になったらしく、彼からの連絡が途絶えがちになった。彼との共通の職場の人から、彼が私にストーカーされて困っている、と職場で言い触らしている話を聞いて私の足元が崩れ落ちた。

 そんな最中だった。

 一人の坊主頭のガリガリに痩せて目ばかりギョロギョロ大きな「彼」に会ったのは。

 元々、アロマトリートメントの資格を持っていた私はそれを活かす為にこの仕事を選んだのだった。

 お客様は男性。

 その為、給料も良かった。

 だが、母親としての、女としての、ナニカが削られていく日々だった。

 「彼の為」を支えに立っていたが、自分の立場上、彼の為ではいけなかったのだ。

 なんだかんだと言い訳にして、私は「彼のせい」にして自分を縛りつけていたように思う。

 その縛りの紐を解いてくれたのが彼、神乃《かんな》だった。

 神乃は、バックパッカーの様な大きなリュックを背負って、私に手を差し出してきた。

 「はじめまして!今日は宜しくお願いします。」

 一言、一言を噛み締めるように大切に言葉を紡ぐ人だった。

 私の中の、幼い頃に押し込めた綺麗な心が頭をもたげた。

 大人になるにつれ、大きな声で挨拶するのはオカシイ、知らない人に声を掛けるのはヘン、そう言われて一つずつ殺していった、幼い頃に刷り込まれた「常識」。

 子供の「常識」と、大人の「常識」に違いがあるのは何故なのだろう。私には判らない。

 しかし、大人になって殺した私の幼い「常識」を彼は簡単に突いてきたのだ。

 人懐こい性質と、温和な口調は見た目年齢を遥かに超えていた。

 「人間」を超えている、と思った。

 ついウッカリと私は彼についての愚痴を零した。

 神乃は、我が事の様に真剣に受け止め、

 「貴女の優しさに甘えている上に貴女を見下して、許される訳がない。

 今すぐどういう了見かキチンと話すべきだよ!

 僕ならそうする!」

 私の代わりに彼を責めてくれた。

 ずっと言いたかった「卑怯者!」「馬鹿にするな!」「この仕事から早く連れ出しに来い!」の言葉の代わりを吐いてくれた気がして、彼の背中にオイル以外の物も垂らした。

 お客様の前で泣いたのはこれが初めてだった。

 そして、神乃は付け足す。

 「僕、牧師の息子なの。大学卒業してたら本来もうとっくに牧師にならてたのに、僕、怖くて途中で逃げ出しちゃったんだよね。」

 オネエみたいな喋りの人だな、という印象を持ったが、「牧師の息子」に温和な口調に合点がいった。そして、私の心の結び目が解かれて彼に伸びた瞬間でもあった。

 「凄い偶然。

 私、寺の娘なんよ。」


 私の住む土地はお四国参りで有名だ。

 なので、私が「寺の娘だ」と言うと、必ず「八十八ヶ所の何処か?」と聞かれる。

 しかし、私が家の寺はそんな有名で大きな寺ではない。地元の檀家さんに支えられている素朴な寺だ。

 父も寺に生まれた人だったが何故か母の実家の寺を継いでくれた。祖父が住職、父はテレビ局の企画部で働きながら副住職を勤めていた。

 「おじいちゃん」と言う存在は黒い衣を着ていて当然だと思って育った。

 「南無阿弥陀仏」を毎日聞いた。

 仏壇にお線香を立て、炊きたてのご飯は必ず仏壇にお供えする、それが当たり前だった。

 食べる物は下がり物だった。

 果物やお菓子はお供えのお下がり。

 夕飯のおかずはお葬式の料理の折。

 私は、食べたい物が食べたい時に食べられない事を不服に思って、寺に生まれた事に一つも感謝せず育った。

 私の父は強欲で見栄っ張りだった。

 お酒と女が好きで、とうとう寺を担保に借金をした。

 檀家さんの代表、総代さんが集まり、父母の離婚が決まった。

 大勢の大人から責められて小さく俯く父にすがって、私は総代さん達を責めた。

 「お前等なんかうちに来てお酒飲むだけ飲んで好き勝手しよるくせにお父さん虐めるな!!」

 無知による奇行。

 私の奇妙な遍歴はこの頃から幕を開けていたのかもしれないが、幼さ故知らない事だときっとこの時は誰もが思ってくれたのだろう。

 私自身だけが気づいていた。

 私は場違いな台詞を吐いて此処の空気を狂わせた、と。

 私の場違いな奇行は学校でも浮いた。

 「いただきます。」を手を合わせて言うのは私くらい。

 言わない人は徹底的に注意した。ザ·委員長体質だ。「そんな事、どうでも良い。」と誰もが煙たがった。どうしてどうでも良いのか判らなかった。

 礼儀に何処までも五月蝿い、線香臭い、寺の娘が珍奇な目で見られない訳がない。

 その上、輪を掛けるように、私の六歳歳上の姉が私を殴るので私の顔にはいつも痣があった。

 あの当時は顔に痣があろうが、多少お風呂に入れない程貧しい子が居ようが、学校が間に入ってくれる事は無かった。

 私は誰にも相談出来ないまま、中学卒業までの9年間、姉の怒りの捌け口を顔に記して学校へ通った。

 姉も又、救いが必要だったのだろうと思う。心に鬱積したモノがどうしようもなく暴れているのだと思う様にした。

 母は父が居なくなった事で社会に出て働かなければならなくなった。

 人から施しを受け、手を合わされる家庭に育った母の初めての社会進出だった。

 俗世の「常識」とのズレにきっと母も困惑しただろう。其処には同情するが、母は元々ずっと想い焦がれていた男性(既婚者)を家に連れてきた。

 副住職である父が居なくなり、百歳近い祖父が頑張って住職を勤めたが限界がある。

 母の妹の旦那様に急遽、住職になってもらう運びとなった。

 幸い、ここには男児が居たので跡継ぎ問題も解決だ。

 そして、私達は生まれ育った寺を出ていく事となった。

 俗世はとても冷たかった。

 なかなか馴染む事が出来ない。

 齢40を越えた今でも目を丸くする事がある。

 その一つに、他人の事には関わらない。

 利益にならない事はする必要がない。

 見返りを求めるのは仏教では「慢」と言う。誰かの為にする事は、自分の気持ちで行う事だ。其処には見返りも利益も存在しない。そもそもそんな物、求める必要がない。

 それをなかなか理解されない。

 私のこの悩みを理解してくれたのはやはり神乃だった。

 「判るよ!僕も、真剣に悩みを聞いたのに、付き合う気がないのにどうして真剣に話を聞いた!?と何度土下座させられたか判らないもん。」

 世間は不条理で出来ている。

 私と神乃は暫く二人で手を取り合って心だけを共有した。

 これで、「それじゃあ、さようなら。」は絶対に嫌だ!と言ったのは私だった。

 彼となら気持ちで話せる。

 不条理な事を共有出来る。

 素晴らしいモノを心から「素晴らしい」と言える。

 そんな出会いを、神様のお導きか、仏様の気紛れか、それを無駄にはしたくなかった。

 神乃は言い難そうに

 「実は僕…刑務所に入ってたんだ。

 前科持ちだよ。つい、最近出所したの。」

 変わらない温和な口調のままそう告げた。

 私にはなんてこと無い告白だった。

 「私の叔父も入っとったよ? 

 もう亡くなったけどね。反社会的運動をしよった。

 私の祖母は押し込み強盗に殺されたんよ。叔父は、犯人を殺しちゃる!言うて重罪人かが入る刑務所に入れられた。

 母は私には『入院』言うとった!」

 神乃の大きな眼が更に大きく、そして親近感を持った色に変わった。

 「ホントかな。こんなに共通点が多くて僕達、運命としか言えないよね?」

 「運命」その言葉はズルい。

 今の弱っている私にはこれ以上愛しい台詞は無かった。


 この出会いをきっかけに、私は前の彼ともキチンと切る事が出来、しっかりと前を向いて歩く事を決めた。まだ冬の風が吹き荒む寒い時期だった。

 マッサージの店は店長との話し合いが進まずまだ今すぐ辞めるという話にはなっていなかったが、私の中ではとっくに見切りは付いていた。

 恐る恐るだった。

 今まで、珍奇でオカシな非常識の塊だった私が巧く世間に溶け込む自信はほぼゼロだった、が背中に神乃が居ると思うと自信より大切なのは勢いだと私は大きな一歩を踏み出した。

 

 

 

 

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