episode.7
「ウサギの質屋さんを知っていますか?」
展示物を堪能した後、机を挟んで私は彼に聞いた。彼は本にしおりを挟んで頷いた。
「古い馴染みです。彼に用ですか?」
「いいえ、町で出入りがないのはこことウサギさんの所だって聞いたので」
「あなたは、本当に好奇心が過ぎますね」
呆れたように、カッコウは微笑む。私は尋ねた。
「古い馴染みって、お友達ですか?」
彼は目を伏せた。瞼の下に瞳が隠れる。
「私を、ここに庇ってくれた人です」
「すごい。会ってみたいです」
明るく言うと彼はまた苦笑をこぼす。
「彼はどうでしょうね」
「あなたのように、会いたがりませんか」
冗談だとわかるようににっこり笑って見せれば、彼も笑った。
「彼が町に、呪いをかけたんです」
「え?」
「僕が命を突き落とすカッコウのようだと言われるなら、せめて町の仲間として胸を張れるあだ名にしてやろうと、町の人たちに呪いをかけて記号をつけたのです」
呆気に取られた。彼の横顔を見つめるけれど、彼は微動だにしない。死んだのかと心のどこかが言ったが、違う、と声が反響する。彼はここで、生きている。
「あなたとの縁を繋げるために、あなたが生きていくために」
感嘆が漏れた。思わず手を握ろうとして、はっと手を引いた。けれど、興奮のままに声が大きくなる。
「もう皆が忘れられている理由が、記号の正体は、彼らが近寄らないあなたとの絆の証だったんですね」
声を出して笑ってしまった。キツネのお嬢さんに、大笑いしてしまった。彼が私を見ている。そうだ、彼は一人じゃない。
「きっと嫌がるので」
「言いません。絶対、あなたの安息を守るために、町の人には言いません。でも、気が晴れました。私とあなたは、確かにつながっていたんですね」
彼は困惑しながら首を傾けた。私は黒猫になれてよかったと、心底思った。
「友達と言わなくても、私たちはつながっていたんだ」
「繋がっていると言っても、僕のせいで呪いが始まり、紛れても疎まれているんです。僕さえいなければ」
「そんな悲しいことをおっしゃらないでください。あなたは特異でも、こうして生きているのです。あなたが今生きているおかげで、私はここを気に入りあなたの弟さんに時計を作ってもらっているのです。だから、あなたを好いている人を、簡単に切り捨てないでください」
彼は、口を開いたまま黙った。きっと彼の吐息は、死を迎えたものたちにも届いただろう。私は晴れやかに笑った。
「あなたに親愛の証をお贈りしたいです。少しの間、時間をください」
「いりません」
「大切な人には何か贈りたくなるものです。慣れてください」
私が言い切ると、彼は僅かに疎ましそうな笑みを浮かべた。新しい表情が見れたことが、また嬉しかった。
「大切なものがあることは、僕の長い人生において重たくなるだけです」
「刹那だったとしても、大切で眩しい優しさがあることが、生きるってことではありませんか。また来ます」
「もう、来なくてもいいです」
「来ます。待っててください」
**
私は走って、肉屋さんに入った。いらっしゃい、と明るい声がする。
「お店を出すにはどうすればいいのでしょう?」
チーターさんに聞くと、彼女は嬉しそうに笑った。
「役所に申請書を出すだけでいいわ。決まったのね?」
「あなたのおかげです。ポプリやリースなど心を癒す花を売ろうかと思っているんです」
「そりゃいいわ。そんな店、この町にはないからね。どこに出すんだい?」
私は明るく言う。
「空き家がもう商店街にはないので、古い道の入り口にある場所を使う予定です。私はこの町で、ハーブ屋さんをしながら笑顔で暮らしたいのです」
この間の自己紹介よりもすんなり言葉が紡げた。チーターさんも、陽気に笑った。
「あんた、本当にカッコウが怖くないのかい?」
「あの人は怖くありません。少し気を付けないといけない、ただの町の人です」
「あまり余所で言うんじゃないよ」
「もちろんです。内緒ですよ」
私はにっこり笑った。
誰にも言うつもりはない。彼らが近寄りたくないなら、彼も近づけたくないなら、それでいいことだ。無理に均衡を壊すことは無い。でも私は、どうしても彼と彼の触ったものが好きで、そばに居たい。私は店を出た。まずは、庭をハーブ園にすることだ。
**
早朝、人の気配のない夜明け前に目が覚めた。
ベッドの上は居心地が悪くなり、緑みがかった空を見上げて、ふと外に出る。
朝日が昇るまで、少し時間がある。私は服を着替えてひたひたと町に出た。音もなく町を抜けて、静まり返った廃路を進む。
閑古鳥は何も変わらず佇んでいる。私は小さくノックをした。まもなく、普段通りの彼が出てくる。彼は目を丸くした。
「どうされました」
「素敵な明け方だったので、ここへ来たくなったのです」
早くからすみません、と頭を下げると彼は中へと入れてくれた。彼は優しい。店の中の空気は一層研ぎ澄まされていた。
三階の窓から僅かに水色の光が差し込んでいる。“死”として展示されているものの、目覚めを待つ気配が圧倒されるほど鋭く、ひそやかに広がっていた。
「ホットミルクでよろしいですか?」
彼の声が空気を少し温める。私は頷いて、だんだんと明るくなっていく部屋を眺めていた。窓から朝焼けに燃える雲が見える。紫から緑、紺とグラデーションが遠のいていく。
「どうぞ」
愛用の机にコップが置かれた。黒猫だからか、私はしばらく冷ましてから甘い液体を飲み込んだ。
「これを、渡したかったんです」
私はリースを取り出した。白を基調としたリースには、ラベンダーも混ぜている。私が揺らすたびに、香りが広がっていく。
「受け取ってください」
「いけません。それが死んでしまう」
「怖がらないでください。これはあなたのために用意したものです」
彼の前にずいと差し出す。
「これは私が作った初めての商品です。この花たちの生きている時間を、あなたに最初に受け取ってほしいのです」
「何故そのようなことをするのですか」
苦しそうに彼は呻く。窓から朝日が差し込んだ。吊るしたステンドグラスが反射して、四方が赤やオレンジ、黄に照らされる。キラキラ動く光の中で、私は彼への時間をもう一度差し出した。
「私が誂えた時間を、生きてほしいからです」
部屋の埃までも輝いている。物珍し気に展示物の空気は揺れている。きっとこんなこと初めてだろう。
「罪悪感で満たされた生でなく、贈り物の時間も取り入れてほしいのです。ね、受け取ってください」
「あなたは押しが強い」
「あなたの弟さんから教わりました」
引かない私に、そっと両手が動く。細心の注意を払って、リースにのみ触るように指先が動いた。彼が触れた瞬間、リースは凍った。香りをそのまま漂わせて、作った時よりもいっそう美しく、白い円をつくっていた。
はぁと彼は疲れたように息をついた。
「どこかに、飾らないと」
「ドアにしましょう。きっと誰も見ませんが」
微笑むと、彼もやっと微笑んだ。
「なんとも、優しい時間の流れですね」
「私がこれまでここで受け取ったものに似てるはずです」
ステンドグラスの光が靴の上を転がる。暖色の中で、私たちは微笑んだ。
閑古鳥 空付 碧 @learine
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