episode.6

「兄さんに会っているんですか?」

 少年は目を輝かせて言った。懐中時計の時間調整のために呼ばれて、ついでに細工を見せてもらったのだ。細やかな模様の中に、猫が腹を見せている。


「いいですね。僕も会いに行きたいです」

「お元気そうよ。ぜひ会いに行ってみて」

「兄さんは僕を見ると締め出すんです」

 拗ねた顔に、また余計なことを言ってしまったと気づく。


「あなたのことがよっぽど大事なのね」

 少年は声を出して笑った。嬉しそうだった。


「僕、兄さんのことが大好きなんです」

 ねじの様子を見ながら、楽しそうに言う。

「町の人はひどいことしか言わないけれど、兄さんは立派な人で、臆病で、優しいんです」

 先日の時計の説明の時のように自慢げだった。


「もとはこの店は兄さんが始めたんですよ」

「懐中時計を発明したから?」

「いえ、ただの時計屋です。兄さんが初めて作った時計は壁掛け時計と聞きました。一秒も狂わない正確な時計ができたそうです。兄さんには才能があったんです」

 壁に掛けられた時計を見る。振り子はリズムよく揺れている。


「でも兄さんの体質が出てしまって、兄さんがカッコウと呼ばれるようになって、カッコウと鳴く時計をみんな怖がりました。死に見張られていると誰かが言ったそうです」

 カーテンの影が揺れた。カチコチ、針のリズムが空気を満たしていく。


「兄さんは僕に店と技術を残して、あそこへ行ってしまいました。僕のために、兄さんは僕を捨てなければならなかったのです。ねぇ、臆病で優しすぎると思いませんか?」


「そうね、優しいね。私は友達になれないって、振られたわ」

「相変わらず、臆病ですね」

 私たちは笑った。お土産に持ってきたオレンジピールを齧る。甘酸っぱくも苦い味が口に広がった。噛むほどに、落ち着きが体を満たす。


「いつか二人暮らしをするのが僕の夢です。兄さんが心地いいことが一番ですが」

 鳥のさえずりのような声に、閑古鳥の中で楽しげな弟と穏やかな兄の笑顔を想像した。


「素晴らしいわ」

「僕が諦めない限り、続く夢です」

 時計はもう少しお待ちください、とハトは溌剌と言った。


 **


 帰り道のすれ違いざまに、キツネのお嬢さんが言った。


「最近、カッコウの所によく行ってるの?」

 私は苦笑交じりに答えた。

「彼も、町の人たちと同じように温かで、素敵なお店なんです」


「へぇ。でも私たちの所へ死神を寄越さないでね」

 彼女の声は冷たかった。私は黙って家に帰って晩御飯を作った。彼は一人だ。私が通っていても、ひとりぼっちだというのに。


 白身魚のグリルを食べながら考える。口を動かすたびに、一刻一刻と時は過ぎていく。私はもう一口魚を食べて、椅子の背もたれに寄りかかった。


 年の離れた兄弟が、並んで時計作りしている姿が浮かんでくる。ピンセットで歯車を扱う弟に、丁寧に兄が指導していく。吹きかかる息さえ時計には凍えるものだから、息を殺さなければならない。

 そっと慎重に、修行は進んでいく。そうして弟が立派な時計を作り上げた時、兄は弟を捨てるのだ。


「僕は兄さんが大好きです」

 きっと弟は泣きながらも伝えただろう。兄は眉を八の字にして、ほほ笑んだに違いない。頭を撫ぜるのを我慢していたかもしれない。大きく息を吸い、鼻から吐き出す。咀嚼していくうちに頭痛がしてきた。


 しばらく動かず宙を見ていたが、席を立って外に出た。夜に沈んだ林の近くに、眠りについたラベンダーを数本摘む。空気に花の匂いが揺れて、嗅覚をくすぐった。優しい香りに深く息を吸って、星を仰ぐ。

 頭を空にして身を任せていると幾分か気が楽になった。私は花をまた少し摘んで、灯りのついた家へと入った。


 **


「あら、あんたいい匂いがするね」

 ドアをあけてすぐに、チーターさんが笑顔で言った。私は口元で笑う。

「ラベンダーのポプリです。気分が落ち着くから」

「なんだ、悩み事かい?」

 チーターさんが聞く。私は黙って頷いた。


「私でよけりゃいつでも聞くけど」

「ちょっと深みにはまってしまっていて、自分でもうまく説明できないんです」

 最後のお札を取り出した。この肉は大事に食べていこうとぼんやり思う。


「そういえば最近よくカッコウの所に出入りしてるらしいじゃないかい」

「……悪いことでしょうか」


「私たちは用がないだけだよ。あんたには行く理由があるんだろう?」

「好きな、ところだから」

 言いながら思わず座り込んでしまった。慌ててチーターさんが出てくる。丸椅子に運ばれて、私は頭を深く下げた。


「私らはね、親にきつく言われてたんだよ。カッコウは命を落っことすから近寄るんじゃないって。私の家じゃカッコウを見たのはひいじいさんが最後だよ」

「あの人は、特殊だけど、あなたたちと同じくらいいい人なんです」

 チーターさんは黙った。入れてもらったお白湯の湯気に気を取られる。


「あんたはどうしたいんだい」

「……ここに住んで、あそこへ遊びに行きたいだけです」

「決まってるんじゃないか」

 チーターさんの声に私は顔を上げた。


「何を悩む必要があるんだい。悪意あることなら全力で止めるけどね、あんたがやりたいって思って、それが正しいって思えるなら、堂々としてればいいじゃないか」

 馬鹿だねぇ、とチーターさんが私の肩をたたく。お白湯が振動で揺れた。


「誰に何言われようと気にすることないじゃないか。カッコウはあんたを食べないんだろう?」

「はい」


「なら笑っときな。あんたが申し訳なさそうに小さくなればなるほど、周りはあんたが悪さを企んでるって思うんだよ。胸を張って、笑ってればいいんだ」

 あはは、と励ますように笑ってくれるチーターさんにつられて、私もはははと声を出す。


「そう、笑わないと、楽しくないでしょう?あんたは望んでここへ越してきたんだから、楽しまないと」

「そう、ですね」

 ずっとお白湯を飲む。体の芯が暖かくなった。


「それと、今度そのポリプ、分けてもらえるかい?」

 チーターさんはウィンクした。


 **

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