第12話(1/3) 覆水は盆に返らないし、地を固めない

 学校が再開したのは5月半ばを少し過ぎたころだった。

 徐々に梅雨が近付いてきていることを感じさせるようにわずかばかりの湿気がまとわりつく朝、江南二葉えなみふたばは玄関のドアノブに手をかける。


「行ってきます」


 ずいぶん久しぶりになる挨拶を残し、扉を開けると、 いつかと同じように松崎涼太まつさきりょうたが門柱に背を預けて立っていた。


「おはよう」

「……おはよう」


 二葉は玄関に鍵をかけながら、応える。


 頭の中は困惑で埋め尽くされる。

 涼太に彼女ができたと聞いた時から、顔を合わせていない。

 ラインにもメッセージが何度か送られてきたが、既読スルーしている。

 涼太に悪いところなんてないことは、ちゃんと分かっている。

 ただ、二葉が気まずいだけなのだ。

 面倒臭い感情をしばらく放っておけば、消え去るかと思って放置していたのに、このタイミングで涼太から顔を見せに来たのはどうしてなのか。

 突然変わってしまった関係に戸惑ったままの二葉には、何も言えない。


「俺さ、今日で寮に戻るから」

「そう」

「夏休みにはまた帰ってくるつもりだけど、それまで二葉にずっと怒られてるのは嫌だと思って」


 黙ってうつむいたままの二葉を見て、涼太は話し続ける。


「彼女ができたことを言わなかったのは、悪かったよ。隠すつもりなんてなくて本当に照れ臭かっただけなんだよ」


 涼太は「それでも、ごめん」と頭を下げる。

 二葉は顔を上げてそんな幼馴染を見やる。

 別に謝ってほしいわけじゃない。

 悪いのは、勝手にこの関係を気まずくしてしまった自分なのに。

 けれど、そんなことを正直に言うのも何か違う気がする。

 だから、できるだけ素っ気ない口調を心掛ける。


「別に気にしてないから。それよりも彼女のことをちゃんと大切にしなさいよ?」


 涼太はゆっくり顔を上げると、人差し指で頬をかく。


「それなんだけど……」

「だけど?」

「彼女とは別れちゃったんだよな」

「はぁ?」

「いや、ほんとにはぁって感じだよな」


 肩を落とす涼太を、二葉はこの日初めてまじまじと見つめる。

 本当に落胆しているように見えるし、嘘をついているようには見えない。


「何があったの?」

「遠距離で会えなくても大丈夫って話をして付き合い出したはずだったんだ。けど、コロナのせいで俺とだけじゃなく他の人とも会えなくなったら、やっぱり会いたい時に会えない関係は無理って言われてさ」

「それは……理不尽だね」

「ほんとそう思う。コロナなんて死ねって思うよ。ウイルスが死ぬっていう表現が正しいのかは知らないけど」


 涼太は半ばやけくそ気味にそう言うと、足元の小石を蹴り飛ばした。

 あまり見たことのない幼馴染の姿に、二葉はどう対応すればいいのか戸惑う。

 だから、正直に尋ねてみることにした。


「で、涼太は私に何を言ってほしいの?」

「あー、別に慰めてほしいとかってわけじゃない」

「別に慰めてあげようだなんて考えてなかったんだけど」


 にべもなく言う二葉に涼太は苦笑する。


「そうだな。ただの報告だよ。この間、二葉が怒ったのって俺がちゃんと彼女ができたことを報告してなかったからだろ?」


 二葉は、やっぱりこの男は何も分かってない、と思う。

 けど、今はそれでいい。


「違うけど」

「じゃあ何なんだよ?」

「そんなことも分からないから、せっかくできた彼女にすぐに捨てられるのよ」

「捨てられるって……。これでも結構傷ついてるんだぞ?」


 私だって傷ついたんだから、とは二葉は口に出さない。

 本当にそれぐらいは、自分で気付いてもらいたいと、無言で涼太を睨む。


「そんな怖い顔するなよ。ほら、二葉は笑顔の方が似合ってるぞ。って言えばいいのか、こういう時は?」

「お世辞でも、最後の一言がなければ、少しは私の気分も晴れたんだけどね」


 ほとほと困り果てた様子の涼太に、二葉は仕方なく表情を和らげる。


「私そろそろ行くね。さすがに学校再開の日に遅刻なんてかっこ悪いし」

「そうだな。悪いな、朝から引き留めて」

「じゃあ、またね」

「あぁ、またな」



 涼太を残し、二葉は通学路を歩き始める。

 周りに他の生徒の姿が見えるころになって、この道を通るのもあと少しか、という思いが沸き上がる。

 卒業まで残された時間は、コロナのせいで短くなったと恨めしい。

 一方で、コロナのおかげっていうのもあるのかもしれない、と思ってしまう。

 涼太が彼女と別れたのは、人と会えない状況ができたから。

 自分に涼太と付き合うチャンスが再び生まれたのは、この騒動のおかげなのかもしれない。

 そこまで頭に浮かんで、二葉は大きくかぶりを振る。

 人の不幸は蜜の味なんていうけれど、その蜜を舐めるのは人として最低の行為だ。

 そんなことだけはやめようと心に誓って二葉は歩を進める。


 校門が目に入る。

 いつも仲良しの2人の女子生徒が二葉とは逆方向から談笑しながら歩いてくる。

 2人がこちらに気付いたのを見て、二葉は大きく手を振る。


「おはよう。元気だった?」

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